21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

把瑠都大関昇進でタリン旅行を思い出す

2010-04-01 10:22:42 | 雑記帳
 把瑠都が大関昇進を果たした。これで、ますます国際化と国技としてのこだわりの狭間で大相撲は揺れ動くことになる。こうなることは、世界巡業を始めた時からわかっていた。世界に日本の国技を認めてもらうという市場開放が始まったのだから、横綱や大関が外国人力士で占められたとしても文句は言えまい。むしろ、相撲協会はその流れに逆行して、国技の名のもとに日本人力士と外国人力士を差別し、日本人の地位を保護するような馬鹿な真似は絶対にしないことだ。そうならないために、貴乃花理事にはがんばってもらいたい。

 ところで、把瑠都はエストニア出身。しこ名は同国が面するバルト海からとった。
 実は10年ほど前にエストニアに行く機会があった。フィンランドに2週間ほど滞在した折、日帰りででエストニアまで足を延ばした。ヘルシンキ港からフェリーで3時間あまり、バルト海を揺られ、タリンに着いた。港から徒歩で15分ほどのところに旧市街があり、観光名所になっている。旧市街入口から丘の上の城までさまざまな店が軒を連ね、賑わっていた。物価は安く、フィンランドの半分ほどだった。ちなみに、当時はEUがスタートしたばかりで、加盟国フィンランドもまだユーロではなく旧通貨のマルカをつかっていた。記憶では物価は日本とほぼ同じか、少し安いという印象があった。もっともフィンランドは食糧や衣服など日用品の消費税は安く、趣向品はめっぽう高いので、正直、物価比較はあてにならない。タバコを例にすると当時マルボロが450円、エストニアでは150円だった。日本はたしか280円ではなかったか。ヘルシンキ市民がフェリーに乗って、船内の免税店でタバコや酒を大量に仕入れていた光景が印象に残った。
 旧ソ連とあって、タリンの旧市街はさぞかしロシア一色かと思いきや、てんでそんな感じではなかった。昼食を取ろうと入ったレストランは、もちろんボルシチもあったがパスタが売りでBGMはロシア民謡ではなくブルーノートのジャズだった。何かお宝があるかと路地裏の骨董屋に入ったものの、とくに目を引くものはなかったが、記念に安い土産品と思われる革張りでラベル部分のコルクにタリンと刻まれたのウイスキーの小瓶(写真)を買った。4時間ほど、旧市街をぶらぶらして買ったのは妻への土産に手編みのウールのカーディガン(2000円)とそれだけだったが、それなりに楽しい思い出となった。
 把瑠都の昇進で、ひさしぶりにタリンでの半日を懐かしく思い出した。
 

 

コメント
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