21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

検察崩壊でつけあがる審査会

2010-10-06 21:20:39 | 政治にモノ申す
 昨日は前田検事の所業について、逮捕された上司二人が隠ぺい工作を図った可能性は低いと書いたが、新聞では可能性が高いというニュアンスの記事が大勢を占めている。

 事実はまだ不明だが、もし報道の通りだとしたら、検察はもはや権威どころか犯罪を起訴する機能が壊れたとしかいいようがない。そうなると怖いのが検察審査会が俄然存在感を増すことだ。

 これまで、私は検察審査会について否定的な見解を述べてきたが、今もそれは変わらない。検察審査会について、判決に市民感覚を求めた裁判員制度と同様の意義を唱える意見があるが、それは極めて危険なことだ。

 検察の役目は容疑者の犯罪を立証し起訴し、法廷に送り込むことである。果たしてそこに市民の感覚が介入する必要があるとは思えない。市民の感覚とはずばり印象による感情であり、犯罪の立証する際に不必要な要素だからだ。そもそも裁判官の感情が入る判決とは性格が全く違うのだ。

 小沢問題を契機に、早くも検察審査会は行き過ぎと思える判断が目立ち始めた。横峯議員問題などその典型だろう。真実はともかく、検察が事情聴取を行わなかった人物ついて、検察審査会が起訴相当の判断を下すのはあってはならないことだ。

 地に落ちた検察、その反動で検察審査会が事件関係者をばんばん起訴に持ち込むようになるというとんでもない時代がやって来ると思うとぞっとする。
コメント
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