報道2001のビデオ流出の無益な議論を見ていて、いいかげん腹が立ってきた。
あほらし。
議論すべき問題はそこじゃねえだろうが。なぜ、流出が簡単にでき、尚且つ、一介の保安官が流出する気になった気運を作った政治の責任だろうが。
細野は国家機密がどうのというが、もし国家機密というなら、なぜ、そんなもんが誰でも見れる状態にしてあったんだよ。何度もいうが、あの事件は血の気の多い一中国漁民のやんちゃで、一部週刊誌が報じるスパイでも中国政府の手先でもなんでもないということだ。このアホな中国人の所業を政治問題と捉えた政府のミスだろう。
だから、釈放、海保のビデオの扱いにおける政府の責任こそ追及されるべきなのだ。流出した保安官など、はっきり言ってどうでもいい、懲戒でも、減給でも役所内でやればいい。ま、国家機密でないにしても無責任に証拠資料を漏らしたのだから、それなりの処分はあってしかるべきだ。
問題はマスコミがわめくように、内閣の支持率低下と国民のビデオ公開要求は、菅政権の出鱈目な対中外交が招いたもので、ちゃんとやっていたら、抗日行動も、ビデオの流出も、公開しろなんていう声もあがらなかったのだ。
とにかく、釈放判断をしたのは誰なのか、はっきりしろ。野党もそこを追及しろよ。相手は馬渕じゃないだろうが。