21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

小沢政倫審と内閣改造の茶番

2010-12-28 21:06:30 | 政治にモノ申す
 小沢政倫審出席で、今度は仙石のクビがあぶない。小沢が一転政倫審出席を決めたのは、離党する考えがない以上、離党勧告を突きつけられるわけにはいかないからだ。そりゃあそうだろう。小沢もいい年だ。自民党を飛び出した時と違って、政治家としての寿命は先が見えているのだから、今さら新党でもない。

 とはいえ、強制起訴された時は、再び離党問題が浮上するのは目に見えている。石川が離党した以上、小沢とて無視できない。果たして、その時、執行部は小沢に対しどう出るのか。余計なお世話だが、さぞかし複雑な心境だろう。

 さて、小沢出席で考えられるのは菅との裏取引だ。仙石クビ、つまり内閣改造を条件にしたのではないか。当然、国会審議正常化の条件としては仙石、馬渕両問責閣僚をどうするかの方が、野党としては小沢問題より重く見ている。である以上、菅としても二人を外せざるを得ないはずだ。それなら、二人を始末する方法として最も最良の方法が内閣改造だ。

 年明け、一気に内閣改造、小沢の政倫審を行い、国民にニュー菅政権をアピールするはずだ。

 果たしてマスコミは、その時どうするか。まあ、茶番ではあるが・・・
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中高年はもはや社会に不要なのか

2010-12-28 09:22:54 | 雑記帳
 有馬であっさり夢敗れて、後は年末ジャンボの夢に一縷の望みを託す。なんと平和な年末なのだろう。

 しかし、しかしである。そんな庶民のささやかな年末が、これからいつまで続くのか。食いっぷちを稼げなくなった瞬間はいつやってきても不思議ではない。明日かもしれないし、明後日かもしれない。公務員以外はほんとうにヤバい状況なのだ。

 今朝の朝日の年末特集を読んで、身につまされた。中高年は仕事を失った瞬間から、社会に必要無しの烙印を押されるのだ。大袈裟ではない。コネなしで次の仕事にありつくのは、有馬記念を獲るよりはるかに難しいのだ。

 そんな中高年がどんどん増えている現実を政治家どもはどう受けめているのか。失業といえば真っ先に若年層の就職難が取り上げられるが、深刻なのは中高年の方だ。冗談抜きに、仕事がない。私もフリーマン生活をはじめて、ここ数年中高年の悲哀をいやというほど味わった。今も何も変わっていない。何とか仕事にありつけているが、補償などなにもない。必要とされなくなれば、その瞬間に社会から見離されことを実感するのだ。

 仕事なら何だってあるじゃないか、ガードマンでも旗ふりでも、タクシーの運ちゃんでも、というのは苦労を知らない人間の言葉だ。見下げたことを言うなよ。ガードマンだって旗振りだって、誰でも務まる仕事じゃない。体力、適応力が不可欠だ。

 ちなみに私はどん底(今もたいして変わらないが)の時、いわゆる工場派遣の面接を受けた。その時あっさり言われた。「40歳以上は経験がないと仕事がないんだよね」と。誰でもOKと思い込んでいた私があまかった。結局、日払いの派遣労働をした。工事現場や流通の運び人足だった。3日で腰を痛めてダウンした。
もともと肉体労働と縁のない生活を30年も続けた体である。務まるわけがなかった。

 結局、今は30年の編集キャリアを切り売りしながら何とか食いつないでいる。しかし、仕事にありつけなくなる危機感はいつも持っている。来年は、もう一度奮起して起業というほど大袈裟ではないが、新しい仕事を企画している。リスクはゼロなのでマイナスはない。つまりゼロかプラスだ。厳密には成功しなければ時間というロスが発生する。

 年末ジャンボでも当たらないかなとほんと思う。

  
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