東海村で原発がスタートした頃は、原発は安全な施設だなどと誰も信用していなかったと思う。その後、チェルノブイリ、スリーマイルと立て続けに起きた原発事故に、あらためて原発の危険を思い知らされた。にもかかわらず原発計画は進んだ。脱石油、二酸化炭素抑制という資源と環境保護意識に後押しされ、原発に対する不安を見て見ぬふりしてきたのではないのだろうか。私もその一人である。
今回の福島事故はあいまいな安全神話をいとも簡単にぶち壊した。核の怖さを思い知らされた。そうなのである、存在そのものが脅威だったのだ。想定を超える自然災害などと悠長なことを言っている場合ではないのだ。
いつ暴走するかもわからない危険と真正面から向き合う時だと思うのだが、永田町から脱原発の声は聞こえてこない。原発をなくすには、何十年という時間がかかるわけで、今方向を決めないということは、このままなしくずしに原発に頼り続けることにほかならない。これでいいのだろうか。
今回の福島事故はあいまいな安全神話をいとも簡単にぶち壊した。核の怖さを思い知らされた。そうなのである、存在そのものが脅威だったのだ。想定を超える自然災害などと悠長なことを言っている場合ではないのだ。
いつ暴走するかもわからない危険と真正面から向き合う時だと思うのだが、永田町から脱原発の声は聞こえてこない。原発をなくすには、何十年という時間がかかるわけで、今方向を決めないということは、このままなしくずしに原発に頼り続けることにほかならない。これでいいのだろうか。