21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

福島の悲劇が問うもの

2011-04-21 06:33:35 | 政治にモノ申す
 原発に代わるクリーンエネルギーはあるのか?という意見をいただいた。自然エネルギーで必要な電力は到底賄えない、現実を直視せよということだろう。

 たぶん今までわれわれはそうして原発を肯定してきたのだ。しかし、今、福島で起こっている悲劇を偶発的な事故として片づけていいのだろうか。原発は核であるという危険性を真剣に受け止めなければならないのではないか。

 日本の非核三原則はいわば核廃絶宣言である。もちろん、ここでいう核は兵器を指すもので、原発は範疇にない。しかし、現実には原発も兵器も元は同じではないのか。リスクを考えれば、地震国においてはむしろ抑止力として核兵器を保有するより、ターゲットとなる原発が各地に点在する方が高いとさえ思える。核兵器はボタンを押すか押さないかだが、原発は自然災害、故障による事故のみならず、ミサイルの攻撃ターゲットととなりうるのだ。つまり、存在そのものが人類の危機といえるのだ。そう考えると原発も核廃絶の範疇に入れても決しておかしくはない。

 原発を廃止するにはものすごい時間がかかる。さらに、後始末は容易ではない。事実、核廃棄物の処理すらあいまいなままである。

 福島の悲劇はわれわれに問いかけている。今、代替エネルギーが追いつかないから仕方ないとなしくずしに原発を稼働し続けることが果たしていいのだろうか。むしろ、今決断しなければ、永遠に核のリスクを持ち続け、いつか再び悲劇は繰り返される。

 原発のリスクを抱えて今のライフスタイルを続けるか、自然エネルギーへの転換をめざし省電力のライフスタイルを模索するか、その議論と判断が国民に求められている。


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