40年以上も馬券を買っていると思い出のレースはあまたあるわけだが、圧倒的に多いのは有馬記念の記憶だ。取った外した、悲喜こもごもの有馬劇場がこの時期になると甦ってくる。
何を隠そう、初めて馬券を買ったのがイシノアラシが勝った1975年の第20回なのである。当時は大学生になったばかりで、競走馬といえばハイセイコーしか知らない全くのド素人だったが、友人が有馬を買うというのでそんじゃオレもとのっかって買ったのがホワイトフォンテンだった。芦毛の逃げ馬で、勝った時は万馬券という白い逃亡者の愛称で親しまれていたことを知ったのは後の話。その時はただなんとなく名前にひかれて買っただけだったが、果敢に逃げた白い馬をみながらドキドキしたのが、競馬愛のはじまりだった。
それから半世紀に迫る馬券人生がスタートしたわけだが、初めて取ったGⅠレースが翌年の有馬だった。トウショウボーイとテンポイントの枠連3000円の1点勝負で当てたのだから、今思えばたいしたものだ。
翌年21回の有馬はすごかった。前年の2頭がスタートからゴールまでマッチレースを演じた競馬史に残る伝説のレースだった。
有馬は当てた記憶より外した記憶も鮮明に覚えている。むしろ、そのほうが多いかも。
横山富雄(典弘の父、武史の祖父)のメジロファントムに急に寄られてカネミノブの加賀武美が立ち上がった24回は、審議だろうと叫んだ。連覇をもくろむカネミノブから馬券を買っていたのだ。このレース、勝ったのはグリーングラスで、グリーングラスとカネミノブで大勝負していたのだから、叫びたくもなるというものだ。
オグリコールに揺れた35回は、バブルの真っただ中で仕事が忙しく競馬どころでなかった時期があったが、2年ぶりくらいに馬券を買った。馬券も取ったが、それ以上に感動した。それがきっかけで、再び馬券を買い始めた、馬券人生復活の有馬だった。
翌年はあっと驚くダイシュウサクが勝ち、マックイーンから強気で買った馬券は派手に宙に舞ったが、最終レースで最初で最後の帯封をゲットしたのはこの年だった。
翌37回はメジロパーマーから入ったにもかかわらず万券を逃し、悔しい思いをした。JCで勝った馬は有馬は用なしと決めていたため、レガシーを蹴とばし痛い目にあった。
さらに翌38回はトウカイテイオーの奇跡の復活。前夜の深酒がたたり、馬券を買いに行けず悔しい思いもしたが、大好きなテイオーの復活劇は心底感動した。
オペラオーが勝った45回も鮮明に覚えている。オペラオーとメイショウドトウで何もなしと踏んで、当時発売されたばかりのワイドを初めて買った。13番人気のダイワテキサスから2頭に流した馬券がダブルで当たり、まさにしてやったりの有馬だった。
もちろん、これまで語ったレース以外でも、有馬のレースシーンはめちゃくち記憶に刻まれている。ホウヨウボーイ、ヒカリデュール、グラスワンダー、ブライアン、ヒシアマゾン、またディープ以降はつい最近の出来事だ。
とにかく有馬の記憶は悲喜こもごもで、鮮明に覚えている。
今年の有馬は、どんなドラマが待っているのか。クロノジェネシスのグランプリ4連覇、それにステラヴェローチェが2着にきてのパゴの子ワンツーなどを期待しているのだが…。