スーちゃんが逝った。乳がんからのがん再発だったそうだ。同時代を過ごしてきたかつてのアイドルの死は、衝撃ですらある。
私はキャンディーズの大ファンだった。NHKの歌謡番組でアシスタントをしていたときから78年4月29日の後楽園まで、ずっと見続けてきた。ちなみにランちゃんのファンではあったのだが。
キャンディーズの魅力は歌ももさることながらコントもできるところであった。SMAPに相通じるところがある。当時のアイドルは、歌専門でコントで注目されたのはキャンディーズくらいだったと思う。さきがけはシャボン玉ホリデーのザ・ピーナッツだが、それを受け継いだのがキャンディーズだったといっていい。ドリフの全員集合に始まり、小松の親分、ベンジャミン伊東と絡み続け、笑いに対するセンスの良さをいかんなく発揮してきた。そんな、キャンディーズをずっと見続けたのだから、なかなかのものだ。しかし、大好きではあったが大声でコールする入れ込み方はしなかった。ファンクラブに入る勇気もなく、コンサートに行く勇気もなく、斜に構えてTVの中の三人をひたすらた楽しんでいた。
とりわけ、解散の日は、今でもはっきりと覚えている。大学が後楽園の側だったこともあり、一応現場に駆けつけた。チケットは当然持っておらず、後楽園球場の外でああ始まったんだなと一人ごちているとダフ屋のおっちゃんが寄ってきて、「チケットあるよ。いい席だよ、18,000円でいいよ」と言う。正直、めちゃくちゃどうするか悩んだ。なぜか金は持っていた。でも、あの中に飛び込んでいく勇気がなかった。最後なんだぞ!と自問自答したが、結局、思いとどまった。
そのまま、電車に乗り、阿佐ヶ谷の友人のアパートに行って、麻雀が始まった。TVでは巨人大洋戦を中継していた。横浜球場のこけら落としで、HR第一号を駒田が打ったという記憶がある。
夜も更け、オールナイトニッポンが始まった。キャンディーズファイナルの録音を流すのだ。そのうち誰かが、ニッポン放送にキャンディーズ来るかもよと言った。電車に飛び乗ったか、タクシーに乗ったか忘れたが、気付いたら友人とニッポン放送の前にいた。アホなファンが数十人玄関前でたむろしていた。携帯していたラジオを聞いているうちにだんだん熱が冷め、俺ら何でこんなことしてるんだろうとなって、そのままタクシーで阿佐ヶ谷まで帰った。それまで斜に構えたファンの心まで乱したのだから、解散するとわかっていてもその日はショックだったのだ。
あれから33年、スーちゃんが死んだ。いい女優だった。「ちゅらさん」はもうこれでやらないのだなと思った。
今日は夕方から乳がん術後ケア用品(パッドなど)の会社の企画打ち合わせがある。スーちゃんは乳がんだったのだと思うと単なる偶然だろうが、とても特別な一日のような気がする。
ご冥福を祈ります。
合掌
私はキャンディーズの大ファンだった。NHKの歌謡番組でアシスタントをしていたときから78年4月29日の後楽園まで、ずっと見続けてきた。ちなみにランちゃんのファンではあったのだが。
キャンディーズの魅力は歌ももさることながらコントもできるところであった。SMAPに相通じるところがある。当時のアイドルは、歌専門でコントで注目されたのはキャンディーズくらいだったと思う。さきがけはシャボン玉ホリデーのザ・ピーナッツだが、それを受け継いだのがキャンディーズだったといっていい。ドリフの全員集合に始まり、小松の親分、ベンジャミン伊東と絡み続け、笑いに対するセンスの良さをいかんなく発揮してきた。そんな、キャンディーズをずっと見続けたのだから、なかなかのものだ。しかし、大好きではあったが大声でコールする入れ込み方はしなかった。ファンクラブに入る勇気もなく、コンサートに行く勇気もなく、斜に構えてTVの中の三人をひたすらた楽しんでいた。
とりわけ、解散の日は、今でもはっきりと覚えている。大学が後楽園の側だったこともあり、一応現場に駆けつけた。チケットは当然持っておらず、後楽園球場の外でああ始まったんだなと一人ごちているとダフ屋のおっちゃんが寄ってきて、「チケットあるよ。いい席だよ、18,000円でいいよ」と言う。正直、めちゃくちゃどうするか悩んだ。なぜか金は持っていた。でも、あの中に飛び込んでいく勇気がなかった。最後なんだぞ!と自問自答したが、結局、思いとどまった。
そのまま、電車に乗り、阿佐ヶ谷の友人のアパートに行って、麻雀が始まった。TVでは巨人大洋戦を中継していた。横浜球場のこけら落としで、HR第一号を駒田が打ったという記憶がある。
夜も更け、オールナイトニッポンが始まった。キャンディーズファイナルの録音を流すのだ。そのうち誰かが、ニッポン放送にキャンディーズ来るかもよと言った。電車に飛び乗ったか、タクシーに乗ったか忘れたが、気付いたら友人とニッポン放送の前にいた。アホなファンが数十人玄関前でたむろしていた。携帯していたラジオを聞いているうちにだんだん熱が冷め、俺ら何でこんなことしてるんだろうとなって、そのままタクシーで阿佐ヶ谷まで帰った。それまで斜に構えたファンの心まで乱したのだから、解散するとわかっていてもその日はショックだったのだ。
あれから33年、スーちゃんが死んだ。いい女優だった。「ちゅらさん」はもうこれでやらないのだなと思った。
今日は夕方から乳がん術後ケア用品(パッドなど)の会社の企画打ち合わせがある。スーちゃんは乳がんだったのだと思うと単なる偶然だろうが、とても特別な一日のような気がする。
ご冥福を祈ります。
合掌