戦前基準の消費者物価
アメリカの利上げ問題の中で、イエレンFRB議長は、最近、2パーセントの物価上昇は、いわば上昇の限度で、それ以上の上昇は、賃金・物価のスパイラルを起こしアメリカ経済にとって取って危険だといった考え方を示しているようです。
従来「報道」されていたのは、2パーセントぐらい物価が上がらないと経済が活性化されているとは言えないといったニュアンスでした。最近は物価上昇が必ずしも2パーセントになる必要はない、それより低くても、雇用が着実に増加し、アメリカ全体の経済活動が活発化していることが分かれば、利上げは行うべきといった考え方のようです。
かつて、欧米先進国でも、容易に賃金・物価のスパイラルが起き、インフレ率が10パーセントを超え、10パーセント以上の失業率と合計してMisery index(経済の不快指数)が20パーセントを超えるといった経済の惨状は今は起きないようです。
この原因については、前回述べましたが、国際環境が変化し、それだけ労使を含めて国民の経済についての認識が進化してきたということでしょう。
考えてみれば、日本でも極端なインフレ(消費者物価上昇)を何度も経験しています。労使を含め日本国民はそうした経験に学び、インフレを引き起こさないような行動を身に着けてきたように思います。
戦前基準の消費者物価という統計があります政府・日銀の小売物価の調査から総務省が戦前の昭和9~11年(昭和恐慌のあと物価が最も安定していた時期)を基準にして、戦後から今までも消費者物価(東京都区部)の推移を計算しているものです。
数字が出ているのは昭和22年(終戦の2年後)からで、数字は109.1です。戦後の2年間については国民所得統計もありません。日本経済は混乱の極でした。
昭和22年の数字は109.1です。太平洋戦争を経て物価は100倍以上(年率52パーセント上昇)になりました。
そしてそれからまた戦後のインフレ時代が始まりました。もはや戦後ではないといわれえた昭和30年の数字は297.4で、さらにほぼ3倍(年率13パーセント)に、東京オリンピックが終わって戦後最大の不況と言われた昭和40年には443.2で、年率4パーセント、神武景気、岩戸景気の時期で、戦後の混乱を脱し、物価の安定期になっています。
昭和40年の不況から脱し、「いざなぎ景気」に入り、オイルショックで「いざなぎ景気」が終わる昭和48年には724.1(年率6.3パーセント)で、賃金・物価スパイラルの時期です。
昭和48年秋に第一次オイルショックが起き、翌49年は877.8と1年で21パーセント消費者物価上昇です。ここでは、洗剤やトイレットペーパーが店頭から消えるパニック現象が起きたことをご記憶の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
日本の消費者物価高騰の歴史はオイルショックまででしょうか。2度にわたるオイルショックによるインフレの終息には数年を要しましたが、日本は、 労使、政府の懸命(賢明)な努力により、ここで日本経済はインフレと訣別します。
2度のオイルショックが克服されたといわれる昭和55年の数字は1364.6、終戦2年後の昭和22年からは13倍ほど(年率約8パーセント)ですが、昭和49年から55年の年率上昇率は7.6パーセント、この間がインフレ克服(インフレ率年々低下)の期間です。
そしてバブル経済崩壊直前の平成2年、数字は1709.8で昭和55年から平成2年の10年間、ジャパンアズナンバーワンと言われた好景気の中でも、消費者物価は年率2.3パーセントの上昇にとどまっています。
その後は皆さんご存知の通りのデフレ経済に入ります。その中でも多少物価は上がり、平成22年は1767.3というのが戦前基準の消費者物価統計の数字です。
戦争と物価、戦後の食糧難時代の物価の動き、高度成長期の賃金・物価スパイラル、オイルショックという輸入インフレと国内物価、バブルの絶頂での物価の安定、そしてデフレ時代の物価、そしてデフレ脱却と今の物価、このブログでは、これらについてすでに1つ1つ分析してきました。
世界のどの国も望んでいる物価の安定、どのような物価の状態が国民にとっていいのか、どうすればそれが可能になるのか、これからますます賢明な判断が必要でしょう。
アメリカの利上げ問題の中で、イエレンFRB議長は、最近、2パーセントの物価上昇は、いわば上昇の限度で、それ以上の上昇は、賃金・物価のスパイラルを起こしアメリカ経済にとって取って危険だといった考え方を示しているようです。
従来「報道」されていたのは、2パーセントぐらい物価が上がらないと経済が活性化されているとは言えないといったニュアンスでした。最近は物価上昇が必ずしも2パーセントになる必要はない、それより低くても、雇用が着実に増加し、アメリカ全体の経済活動が活発化していることが分かれば、利上げは行うべきといった考え方のようです。
かつて、欧米先進国でも、容易に賃金・物価のスパイラルが起き、インフレ率が10パーセントを超え、10パーセント以上の失業率と合計してMisery index(経済の不快指数)が20パーセントを超えるといった経済の惨状は今は起きないようです。
この原因については、前回述べましたが、国際環境が変化し、それだけ労使を含めて国民の経済についての認識が進化してきたということでしょう。
考えてみれば、日本でも極端なインフレ(消費者物価上昇)を何度も経験しています。労使を含め日本国民はそうした経験に学び、インフレを引き起こさないような行動を身に着けてきたように思います。
戦前基準の消費者物価という統計があります政府・日銀の小売物価の調査から総務省が戦前の昭和9~11年(昭和恐慌のあと物価が最も安定していた時期)を基準にして、戦後から今までも消費者物価(東京都区部)の推移を計算しているものです。
数字が出ているのは昭和22年(終戦の2年後)からで、数字は109.1です。戦後の2年間については国民所得統計もありません。日本経済は混乱の極でした。
昭和22年の数字は109.1です。太平洋戦争を経て物価は100倍以上(年率52パーセント上昇)になりました。
そしてそれからまた戦後のインフレ時代が始まりました。もはや戦後ではないといわれえた昭和30年の数字は297.4で、さらにほぼ3倍(年率13パーセント)に、東京オリンピックが終わって戦後最大の不況と言われた昭和40年には443.2で、年率4パーセント、神武景気、岩戸景気の時期で、戦後の混乱を脱し、物価の安定期になっています。
昭和40年の不況から脱し、「いざなぎ景気」に入り、オイルショックで「いざなぎ景気」が終わる昭和48年には724.1(年率6.3パーセント)で、賃金・物価スパイラルの時期です。
昭和48年秋に第一次オイルショックが起き、翌49年は877.8と1年で21パーセント消費者物価上昇です。ここでは、洗剤やトイレットペーパーが店頭から消えるパニック現象が起きたことをご記憶の方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
日本の消費者物価高騰の歴史はオイルショックまででしょうか。2度にわたるオイルショックによるインフレの終息には数年を要しましたが、日本は、 労使、政府の懸命(賢明)な努力により、ここで日本経済はインフレと訣別します。
2度のオイルショックが克服されたといわれる昭和55年の数字は1364.6、終戦2年後の昭和22年からは13倍ほど(年率約8パーセント)ですが、昭和49年から55年の年率上昇率は7.6パーセント、この間がインフレ克服(インフレ率年々低下)の期間です。
そしてバブル経済崩壊直前の平成2年、数字は1709.8で昭和55年から平成2年の10年間、ジャパンアズナンバーワンと言われた好景気の中でも、消費者物価は年率2.3パーセントの上昇にとどまっています。
その後は皆さんご存知の通りのデフレ経済に入ります。その中でも多少物価は上がり、平成22年は1767.3というのが戦前基準の消費者物価統計の数字です。
戦争と物価、戦後の食糧難時代の物価の動き、高度成長期の賃金・物価スパイラル、オイルショックという輸入インフレと国内物価、バブルの絶頂での物価の安定、そしてデフレ時代の物価、そしてデフレ脱却と今の物価、このブログでは、これらについてすでに1つ1つ分析してきました。
世界のどの国も望んでいる物価の安定、どのような物価の状態が国民にとっていいのか、どうすればそれが可能になるのか、これからますます賢明な判断が必要でしょう。