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ダルクの千坂さんに教えていただいた。

2015-08-12 | まいにち

  昨日一時間ばかり、鳥取ダルクのお話を聞く機会をえた。ダルクは今、全国に70余りの施設があるそうだ。 僕が知った時には3か所か4か所くらいやったから それだけ必要としとる人たちがようけ居られるということや。

  何年か前から鳥取ダルクはフェーズ制を取り入れている。ダルクの中でこんなプログラムを取り入れているところはほとんどない。 こういったプログラムがどんな効果があるのかきちんと測定されて(こんな言い方がええんかどうかは別にして)いってほしいなあ。そうして行ったらさらに多くの人たちの力が生み出されると思うわ。

朝日新聞のネットでこんな記事があったんで無断紹介

鳥取ダルク代表 千坂雅浩さん

写真:鳥取ダルクの目の前に広がる浦富海岸を歩く千坂雅浩さん=岩美町牧谷 

鳥取ダルクの目の前に広がる浦富海岸を歩く千坂雅浩さん=岩美町牧谷

 
 

◆覚醒剤の罪悪感 長女抱けず

 浦富海岸(岩美町)を見下ろす丘に立つ、薬物などの依存症患者の社会復帰を手助けするリハビリ施設「鳥取ダルク」。2005年にでき、その翌年から責任者を務める。

  父は仙台市の中学教諭。厳しく育てられた。強い男への憧れから、中学卒業後は陸上自衛隊員の養成学校に行きたいと父に相談したが、反対された。高校に入ったが、たばこやシンナーに手を出し、けんかや恐喝を繰り返した。身も心も強くないことは自覚していた。けんかの前、必ず鎮静剤を飲み、不安を抑えた。

  高校は自主退学し、働き始めた。20歳の頃、違法なポーカーゲームの賭場で働き、賭場の先輩に勧められ、初めて覚醒剤を打った。体が宙に浮いたように感じ、何でもできるんだという全能感に包まれた。その後も打ち続けたが、仲間が警察に捕まり、怖くなってやめた。

  飲食店で働き、26歳で結婚したが、妻が出産で実家に帰った際、寂しさから覚醒剤に手を出した。生まれた長女を罪悪感から抱けず、次第に家から足が遠のき、妻から離婚を切り出された。覚醒剤を打ち続け、34歳の時、交際中の女性にそのことを告白。仙台ダルクを教えられた。

  今も仕事に疲れた時、覚醒剤を使いたい衝動に駆られる。「依存は治癒できないが、折り合いをつけて生きてゆくことはできる」。日々、依存と向き合っている。

 ◆悲しい依存症 必ず回復する

  ――責任者になって間もなく10年目に入ります

  依存症は悲しい病気だと改めて感じています。自分で自分の人生をコントロールできない。生きづらくなり、それを物質で埋めるのにも限界がある。

  2005年の開設から延べ130人ほどが鳥取ダルクに入所しました。多くは苦しみながらも、少しずつ安らぎや自由を得ていきました。その様子を見守っていくことが何よりのやりがいになっています。

  ――入所者と接するうえで心がけている点は

  心の弱さをさらけ出すことですね。ありのままの姿で生きていくことへの抵抗は、自分のリハビリを通して薄れていきました。依存症はだれにとっても隠したい部分ですが、それを言葉にすることで初めて、入所する「仲間」と一緒になって、回復に向けて歩いていけるようになります。

  ――依存症の怖さはどんなところですか

  一番なりたくない自分になってしまうことです。うそをつき、周りの人たちを傷つけるし、それを止めることができない。生きる希望を失うほど辛いことなんです。それでもあきらめないでほしい。苦しんでいる人は、必ず回復することができるはずです。

  ○取材後記 柏樹利弘○

  リハビリに何度も挫折した経験を振り返りながら「打ちのめされた。それでも生きることをあきらめたくなかった」と千坂さんは話した。薬物依存の怖さを語る言葉の一つひとつが経験に基づいていて、重みがある。比較的安く、ネット通販などで入手しやすい危険ドラッグが流通しているため、薬物に依存してしまう危険性は以前より高まっている。だれもが抱える心の弱さが薬物依存を生み出しているのではないか。自分と向き合うことの大切さを知った。

  【ちさか・まさひろ】

  1960年、仙台市生まれ。恐喝や暴力事件を起こし、市内の高校を中退。職を転々とする中で覚醒剤依存を深めた。茨城、秋田、福岡などのダルクでリハビリをする傍ら、スタッフとして勤務。2006年、ダルクの関係者の指名で鳥取ダルクの責任者に。09年には岡山ダルク(岡山県瀬戸内市)の立ち上げに努めた。自らの体験を交え薬物依存をテーマとする講演を県内外でしている。

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どっちのはなしに筋が通っているか? はっきりしとるなあ

2015-08-12 | まいにち

テレビニュースで言っている。

菅官房長官「世界一危険な嘉手納基地を何とかしないといけないというのが出発点」

翁長知事「それは違う、住民がいない間に強制収容して嘉手納基地が作られた。そこが出発点だ。そしてそれが古くなったから新しいものを作って提供しろと言うのはどういうことか…」

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=128361

 米軍機が墜落、乗組員全員が助かったというのはええことやけど、負傷者の中に2人の自衛官がおっちゃった。どういうことなんやろ。

<米軍ヘリ墜落>沖縄沖で着艦に失敗、6人負傷

毎日新聞  8月12日(水)20時35分配信

墜落した米軍ヘリとみられる機体を収容した米艦船=沖縄県・伊計島灯台から南東約14キロ付近の海上で2015年8月12日午後、第11管区海上保安本部提供

 12日午後1時50分ごろ、沖縄県うるま市の伊計島の南東約14キロの沖合で、米軍のヘリコプター1機が墜落した。第11管区海上保安本部(那覇市)や防衛省などによると、米陸軍所属の中型多目的ヘリコプターUH60で、海上にいた米軍の車両貨物輸送艦への着艦に失敗したとみられる。乗組員は17人で、6人が負傷し11人が無事だった。負傷者のうち2人は部隊研修中の陸上自衛隊員。

【米軍ヘリの墜落地点】

 米軍は午後3時ごろ、11管に救助要請。11管は巡視船4隻やヘリコプター2機で捜索した。その後、米軍は救助要請を取り下げたが、11管は米輸送艦の船上に機体後部が損壊した米軍ヘリコプターがあるのを確認した。付近の海上に漂流物や油の流出は確認されなかった。在日米軍によると、午後1時45分ごろ、訓練中に破損し、けが人は6人としている。

 沖縄県基地対策課によると、米軍の墜落事故は1972年の本土復帰以降、これまでに45件起きている。2004年8月13日には宜野湾市の沖縄国際大構内に米海兵隊の大型輸送ヘリCH53Dが墜落した。13年8月には宜野座村の米軍キャンプハンセン内の山林に米空軍の救難用ヘリHH60が墜落し、乗組員1人が死亡している。

 沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事は12日、県庁であった米軍普天間飛行場移設問題を巡る菅義偉官房長官との協議で、事故について「やはり基地のそばに住んでいる人にとっては大変なことがある」と述べた。一方、菅官房長官は会談後の記者団の取材に対し「事故は極めて遺憾。米側に迅速な情報提供と原因究明、再発防止策を強く申し入れた」と語った。【鈴木一生、佐藤敬一】

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