今日の日経新聞一面に 「電力需要 初の減少」との見出しで記事が出ていた。
昨日祝島で、そして今日はYMCAで小出さんのお話を聞き、原発の本当の目的は別なところにある・・・との思いを強くした。
平和記念資料館、広島城天守閣の建設は広島復興大博覧会に向けて作られ、この大博覧会では「原子力の平和利用」が大々的に宣伝されたのだという話を先日聞きました。資料館の展示物も「原子力の平和利用で明るい未来」が歌われていたとのこと。
そして今日、小出さんのお話では 1954年7月2日の毎日新聞には
「・・・原子力発電には火力発電のように大工場を必要としない、大煙突も貯炭場もいらない。また毎日石炭を運び込み滝柄を捨てるための鉄道もトラックもいらない。密閉式のガスタービンが利用できれば、ボイラーの水すらいらないのである。もちろん山間僻地を選ぶこともない。ビルディングの地下室が発電所ということになる」といった記事があるそうです。
日本中がこんな状態だったのでしょう。
原子力平和利用博覧会(げんしりょくへいわりようはくらんかい)は、1955年から1957年にかけて日本各地で開催された、平和のための原子力を主題とする博覧会である。1953年に発足した対外宣伝機関アメリカ合衆国情報局(United States Information Agency ; USIA、USISはその下部機関)と、読売新聞社など各地の新聞社とが共催し、延べ約260万人が来場した[1] [2][3]。
名称 | 会期 | 会場 | 来場者数 | 共催 | |
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1 | 原子力平和利用博覧会[4] | 1955年11月1日-11月22日[4] | 東京都千代田区、日比谷公園[3] | 36万人 | 読売新聞社[3] |
2 | 原子力平和利用博覧会[5] | 1956年1月1日から24日間[3] | 名古屋市、愛知県美術館[3] | 37万人[5] | 中部日本新聞社[3] |
3 | 原子力平和利用博覧会[6] | 1956年2月1日-3月4日[6] | 京都市、京都市美術館 | 15万人[6] | 朝日新聞大阪本社[3] |
4 | 原子力平和利用博覧会[7] | 1956年3月25日-5月6日[7] | 大阪市、大阪アサヒアリーナ | 18万人[7] | 朝日新聞大阪本社[3] |
5 | 1956年5月27日-6月17日 | 広島市、広島平和記念資料館[3] | 11万人[8] | 中国新聞社[3] | |
6 | 1956年7月6日-7月29日 | 福岡市、福岡スポーツセンター | 16万人 | 西日本新聞社 | |
7 | 1956年8月26日-9月17日 | 札幌市、中島スポーツセンター | 21万人 | 北海道新聞社 | |
8 | 1956年10月14日-11月11日 | 仙台市、仙台市レジャーセンター | 17万人 | 河北新報社[3] | |
9 | 原子力平和利用茨城博覧会[9] | 1956年12月15日[9]-2月5日 | 茨城県水戸市、水戸総合体育館 | 23万人[9] | いはらき新聞社 |
10 | 北陸三県合同原子力平和利用大博覧会[2] | 1957年6月15日から65日間[2] | 富山県高岡市、高岡古城公園[2] | 約30万人[2] | |
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