降って来るもの

写真と散文とぽえむ

キミとボク

2017-07-12 06:50:06 | 

        キミとボク

 

君の胸に確かに届いているのだろうか?

答が欲しい訳じゃないけれど

僕がのたうつ程には

君を揺さ振ってはいないのだろうか?

 

僕とそれから君しかいない

僕と、それから、他者しかいない

 

この一つのイノチを守る世界で

求めたり望んだり祈ったりは

イノチの鼓動を打ち込む

platinumの撥のように

 一つの感動に行き着くのだろうか?

*07/12 06:50:06

 

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ねのころ日和

2017-07-12 06:32:30 | 随想

            ねのころ日和

 

 昨日は”ねのころ日和”になった。このところ薄々と睡眠量の絶対的な不足を自認し、自覚する日常が続いていたのだが(それなら何とか対処が出来そうなものだが)、毎日の僕の時間割の中ではなかなかその数時間を捻出して、年相応のレベルまで(ある統計では6時間以上らしいが)引き上げる猶予がなかったのだ。

 何時もの僕の執筆時間には必ず起床(古惚けた目覚ましが活躍する場など与えず)し、その起因に向かって粛々と事を進めてゆく。近頃は精励にそれを熟しているので、2月4日から新しく参入したgooぶろぐの記事のタイトルNOは早くも”278”を記録した。大雑把に勘定しても160日余りの月日で(お試し期間に書いた記事”24”を差し引いても)、目標に掲げた”一日一記事”を遙かに凌駕していることになる。

 何がそうさせるのか?その原動力は何なのか?は自身でさえ明確に把握している訳ではないが、時々立ち止まって振り返ってみると、それは当に”呆れるほどに!”の量(かさ)ではある。

 通常の暮らしの中ではやっぱりその部分の消費量(意味あると思える個人的な時間の)が最大で、そうして、その書く楽しみを或いは書ける愉しみを削り取ってゆくことは至難の業だろうという自分勝手な認識が僕の心中に凛とあって、その細やかな思い上がりが大過ない積もり方で次第に膨らんできていたのだと思う、この寝不足感は。

 そんな折も折、昨日の朝は、明るさが侵入してきたのを感じている午前4時前には、又ぞろ既に半覚醒に陥った前頭葉の中に開かれた原稿用紙の上で、”ああでもないこうでもない”と仮想空間を飛び交う降ってくるもの達の卵を転がし”起きる!!”の決心に行き着くのを待っていると、鼓膜を微かに震わせてむずかる3歳児の泣き声が。それを宥めるpapaの声も聞こえ(この頃たびたび早朝に起き出してはpapaを寝不足に追い遣り、僕の活動を否応なく遮断してしまう”あひる組”の現象なのだが・・)、聞き耳を立てていると暫くして階段を下りてゆく音が鼓膜に伝わるのだった。

 7割がた目覚めていた僕の活動量計はそこでハタと立ち止まり、この4時半に起き出してもきっと穏やかな僕の時間は訪れないだろうとの判断を下して進行を中止する。踵を返し、僕は其処から夢中へと引き返した。そう自意識を操作して「ねのころの朝」を創出したのだ。

 それは多分に孫のお陰という他力本願ではあったが、僕はそれから2時間余りもの完熟睡眠を摂ることができた。そう!寝るのに頃合いの微笑ましい理由を添えた、一つの”怪我の功名”とも言い換えることが出来るかもしれない、昨日は「ねのころ日和」に為ったのだ。

2017 07/12 06:32 まんぼ

 

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