likeとloveと
濃度に多少の差異はあっても
”好き!”の根幹は揺らがない
あの人からの便りが滞って半年が経っても
あの人に発信した言葉たちが
もしかして
迷子に成っているかも?の危惧を抱えたとしても
”好き!”の本質には
些かのたじろぎもないのだ
一生をかけて探索しても、多分
得られる”love”は五指にも満たない
巡り合える”like”も
十指で事足りるだろう、きっと
それ故、邂逅の奇跡とは
簡単には離別できないのだ
例え、あの人の秤では
僕の想いの重さの百分の一ほどの軽さだとしても
例え、あの人の海では
僕の滾る波動に比べてほんの一連の漣だとしても
失くしては淋し過ぎる
喪っては
イノチの在処さえ朧になりかねない
それ故、”好き”の豊饒は手放したくないのだ、僕は
例え片側通行の
例え一方通行の
そんな風にしかならない”交道”だとしても・・
*07/17 06:00:06