降って来るもの

写真と散文とぽえむ

BOKUの教室は

2018-01-19 22:02:21 | 徒然

                     BOKUの教室は

 

此のjinenの裡にBOKUの教室は有る

学び書き詠い発表するcurriculumが有る

僕の言葉が生まれ

僕の形式が育まれ

僕の想いを発露する

僕の学び舎が存在する

其処で着想し譜面を起こし

そうしてUTAい始める空間が有る

 

其処に佇んで僕は

徒然に

イノチの満ち欠けをUTAにしてゆくのだ

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Poetに

2018-01-19 21:48:32 | 徒然

                   Poetに

 

空の色のように

雲の形状のように

空気の密度や匂いのように

 何食わぬ風情で

当然のようにtokiは移ろう

 

その移ろいのまにまに

連鎖の最中の奇跡によって生誕し

束の間のイノチを生かされる僕らも

決まりごとのように移ろい

 誰も彼も

やがて消えてゆく

 

今ここでutau僕のように

その一瞬を譜面にできる

 後の世のBOKUの為に

現世の僕は今泡沫のPoetになる

 

 詩人になって

蒼の生き様の事や

雲の役割やozoneの在処や

生き物の営みの愛しさをmelodyにし

イノチのUTAに変換してゆくのだ

 

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新「House」に就いて

2018-01-19 11:07:27 | 随想

                   新「House」に就いて

 

 それは間違いなく想い描いた夢と希望の一つの形の実現であり、其処から次々に生まれるであろう未来の、数多なる喜怒哀楽の全てをそのyumeの滴としてそれぞれの器に盛ってゆく為の覚悟を次第に定めながら、新「House」と共に初めて始まるその日に感慨を深くする睦月半ばの僕である。

 二人暮らしが暫く続いた日々の、連れ合いとの日常の会話の中では事あるごとに”此れから先の二人の生き方”に就いての議論が程よく交わされていたのだ。共鳴したり同意したり時には反論したりも交えて、その時点で考えられる凡その未来のあらゆる場面を想定しては、行きつ戻りつ侃々諤々の意見交換をしていた。

 そうして、そのお互いの未来への想いがようやく大団円に収まろうとする条件が並んだ。賑やかさから程よく距離を置いた鄙の、穏やかな日当たりの有る自然に囲まれ、耕せるほどの畑や、季節ごとに実を付ける果樹園を隣接し、四季の草花を堪能できる広い庭つきの古民家を買って思いの儘にリフォームして気楽を愉しむ!!という方向でほぼ一致したのだ。

 けれど、あれは何が切っ掛けだったのだろう?そうそう、ある日突然女房が一人きりになった時(仮定の、けれど半分は現実の)の場合が俎上に上がったのだった。

 平均値にしかすぎないけれど、此の国の平均寿命は男性が80歳と少し、女性が86歳前後と何れも世界一を争う統計上の長寿国で、もしも僕ら夫婦もその例に倣っての残生だと仮定してみると、9歳年下の女房は僕が居なくなってからも単純計算すれば尚、最低でも15年は一人ぽっちの生活を強いられる(5年先で20年、15年先になっても10年もの)ことになるのに気付いた。そうしてその事実に行き当たったときに、二人の老後のバラ色の人生の青写真は根底から覆されることになった。

女房は耐えられない!と言った。

僕は心配で成仏できないと想った。

 丁度そんな折に、揺らぎ始めた未来からの救いの様に、その不安を払拭する吉報の様に、縁の符号は手を差し伸べてくれた。様々な悩みや迷いや心痛を氷解させるように、時を同じくして息子夫婦に長男が生まれたのだ。僕に直系の孫が誕生した。

 それから息子たちとも何度も何度も(特にお嫁さんとは念入りに心を開いて・・)機会あるごとに、お互いの将来とお互いが描いている明日の像について(それは結局、我が家の未来についてだが・・)話し合った。最終的にはやっぱり8割がた世話をかけることになるだろう息子の連れ合いの意向「寧ろ、一緒に住みたかった!!」の一言で、その嬉しい言葉で混迷は一気に決着した。

 それから車で40分ほど離れて住んでいた息子たちは同じ町内に引っ越してきて、それを待ってたかのようにお嫁さんが第二子を授かった!!という吉報が届き、それではとその慶事を契機に去年の春からは一緒に暮らし始めたのだ。

 そんな風に収束するまでの2年間、僕と女房は(時折息子たちも同道して)住宅情報のチラシや、不動産屋に声かけをし、売りに出ている二世帯用の住宅を見て回ったり、坪数の大きい土地を見定めに彼方此方と動き回った。

 京都の南端の都市に住む長女の家の近くで・・、と最初の内はその近辺を重点的に探してみたものの、それぞれの仕事向きの都合や価格の差異や、各人のimageとの葛藤があって一本化することは至難の業でもあった。さればと原点に戻り、大過なく33年もの歳月を積み重ねた今住む場所の近辺で!!と結論を導き、わが市に2社ある不動産屋に土地探しを登録。あとはひたすら果報を待つことにした。

 何度か紹介があってその土地を訪ねたが気に入る物件には出会えず。更に範囲を絞って今住んでいる団地近辺の土地に的を絞って気長に待つと開き直りながら幾月かの日々が虚しく流れた。

 そんな或る日、突然の電話が入った。

 遂に希望をほぼ満たしてくれそうな土地が見つかったのだ。一昨年の夏の初めに猪の一番に声をかけていた不動産屋さんから吉報が齎された。真っ先に紹介された土地は、二世帯住宅を建てるにも適応した90坪以上あって、日当たりも最高。更に駅まで徒歩7分という願ってもないほどの立地条件。価格も納得できる範囲の、当に”待てば海路の日和あり”を地で行く、俗に言う”駅近”の言うことなしの優良物件だった。

 即決。即契約。最初から”此処で!!”と決めていた工務店と連絡を取り、即工事請負契約を交わした。3か月かけて8度の打ち合わせを繰り返し「本契約」を結ぶ。そういう自然の流れの内に、遂に11月半ばの地鎮祭を経て12月の基礎工事、年が明けて1月半ばからの建て方工事へと「新House」の建築は滞りなく進捗中だ。

 夢や希望は強く心に抱き、その方向に向かってブレずに進んで行けば実現できるものかも知れないと改めて噛み締めながら、日に日に姿を変えてゆく“夢の住まい”の有り様を眺めては、新しい年度の、桜が満開になる頃の”受け渡し日”の到来を一日千秋の想いで待ち侘びる我が一家である。

2018 01/19 11:07 まんぼ

 

コメント (2)
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