NHKの連ドラの「マッチャン」で、出征の場面が放映されていた。
そこで、私の95歳になる母親に、父親が出征した時の様子を聞いてみました。
出征した日にちは?
即座に「19年(昭和)7月7日に召集令状がきて、7月14日に出征した」と答えました。もともと、記憶力のよい母ですが、すぐ返事が返って来たのには驚きました。
マッチャンでは、うたを歌って送ったが、父親の時には?
歌なんかうたわなかった。
万歳はしたの?
万歳をしたかどうかは、覚えていない
その時、泣いたの?
涙なんか流せる時代でなかった。泣いたりしなかった。
どこまで送ったの?
住んでいた東京・板橋の住まいの近くに、市電の終点の停留場があり、そこまでみんなで送った行った。
別れる時、辛くても涙も出なかったの?
7歳、5歳、3歳の子どもがいたので、これからのことを考え、泣き言など言っていられなかった。
そう言いながら、軍歴書があるからと言って見せてくれました。
応召したのが、32歳の時のようで、3人の子持ち。若い兵士が枯渇し、父親のような歳の人も駆り出されるようになったのでしょう。昭和19年は、日本がすでに連戦連敗の時でした。
中国の奉天に行かされ、その後朝鮮半島に。ここで戦闘ではないようでしたが左足骨折、重病(チフス)に罹ったりして、済州島で敗戦を迎えたとのことです。20年11月に除隊。20年11月14日には復員船で佐世保に帰還したそうです。
こんな話を聞いて、父親は運が良かったと思います。奉天からもっと北へ行けば、もしかしたらシベリヤ抑留だったかもしれません。南太平洋に行けば、玉砕だったかも知れません。兵役期間は、実質1年余、本土に近い済州島で敗戦を迎えたので、帰還も早かったようです。
母親は、「お父さんが兵隊にとられたあとは、戦後も苦労の連続だった」としみじみ言っていました。
それにしても、応召したのが、昭和19年ですから、私は7歳の筈です。頭の悪い私は、全く覚えていないのです。
父親が兵隊に行った後は、私たち家族は、母親の実家に「縁故疎開」しました。疎開生活のことはよく覚えているのですが、それ以前のことは全く記憶にないのです。
母親とこんな話をしながら、「戦争だけは、もうごめんだ」とつくづく思いました。
注: 応召(おうしゅう) 呼び出しに応ずること。特に,召集令状を受け軍務につくため指定地に行くこと。
注: 疎開(そかい) 大都市など空襲などの戦火逃れて、地方に避難すること。集団疎開(学童疎開)と縁故疎開[親戚を頼っていくこと) があつた。私は、母親の実家の埼玉県現・寄居町に疎開した。
そこで、私の95歳になる母親に、父親が出征した時の様子を聞いてみました。
出征した日にちは?
即座に「19年(昭和)7月7日に召集令状がきて、7月14日に出征した」と答えました。もともと、記憶力のよい母ですが、すぐ返事が返って来たのには驚きました。
マッチャンでは、うたを歌って送ったが、父親の時には?
歌なんかうたわなかった。
万歳はしたの?
万歳をしたかどうかは、覚えていない
その時、泣いたの?
涙なんか流せる時代でなかった。泣いたりしなかった。
どこまで送ったの?
住んでいた東京・板橋の住まいの近くに、市電の終点の停留場があり、そこまでみんなで送った行った。
別れる時、辛くても涙も出なかったの?
7歳、5歳、3歳の子どもがいたので、これからのことを考え、泣き言など言っていられなかった。
そう言いながら、軍歴書があるからと言って見せてくれました。
応召したのが、32歳の時のようで、3人の子持ち。若い兵士が枯渇し、父親のような歳の人も駆り出されるようになったのでしょう。昭和19年は、日本がすでに連戦連敗の時でした。
中国の奉天に行かされ、その後朝鮮半島に。ここで戦闘ではないようでしたが左足骨折、重病(チフス)に罹ったりして、済州島で敗戦を迎えたとのことです。20年11月に除隊。20年11月14日には復員船で佐世保に帰還したそうです。
こんな話を聞いて、父親は運が良かったと思います。奉天からもっと北へ行けば、もしかしたらシベリヤ抑留だったかもしれません。南太平洋に行けば、玉砕だったかも知れません。兵役期間は、実質1年余、本土に近い済州島で敗戦を迎えたので、帰還も早かったようです。
母親は、「お父さんが兵隊にとられたあとは、戦後も苦労の連続だった」としみじみ言っていました。
それにしても、応召したのが、昭和19年ですから、私は7歳の筈です。頭の悪い私は、全く覚えていないのです。
父親が兵隊に行った後は、私たち家族は、母親の実家に「縁故疎開」しました。疎開生活のことはよく覚えているのですが、それ以前のことは全く記憶にないのです。
母親とこんな話をしながら、「戦争だけは、もうごめんだ」とつくづく思いました。
注: 応召(おうしゅう) 呼び出しに応ずること。特に,召集令状を受け軍務につくため指定地に行くこと。
注: 疎開(そかい) 大都市など空襲などの戦火逃れて、地方に避難すること。集団疎開(学童疎開)と縁故疎開[親戚を頼っていくこと) があつた。私は、母親の実家の埼玉県現・寄居町に疎開した。