作曲家の船村徹さんが、2月16日に亡くなられたと報じられました。「王将」など多くの庶民に親しまれた曲を作曲されてきました。私は、ザル碁と同じようにヘボ将棋が大好きですので、「吹けば飛ぶよな将棋の駒に・・・」のこの歌が大好きでした。
今日の東京新聞のコラム(筆洗)の記事を転載し、船村さんのご冥福をお祈りします。
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作曲家の船村徹さんには、十二も年の離れた兄がいた。陸軍士官学校に通う兄・健一さんは帰郷するたび、弟のふとんにもぐり込んでは、ハーモニカを吹いて聞かせてくれた
▼何曲か演奏すると急に静かになり、厳しい顔つきでこう言ったという。「おまえは、軍人になるなよ」「死ぬのは、おれだけでいいんだから」
▼そんな兄が二十三歳で戦死した時、既に父を亡くしていた船村さんは、一家の代表として「遺骨」を受け取りに行った。空襲で廃虚になった街を歩くと、「遺骨」と称する木の板が入った箱がカタカタと鳴ったそうだ(『兄の戦争』)
▼兄の吹くハーモニカの美しい音色と、「遺骨」が立てる悲しい響き。あるいは故郷・栃木のお国言葉や、上京してギターの流しをした繁華街のざわめき。そういう音すべてが、船村節を生む土壌となったのだろう
▼欧米からの借り物の音楽が全盛だった時代、船村さんは日本の土着の音にこだわった。村田英雄さんの大ヒット曲「王将」をつくった時は、<♪吹けば飛ぶよな 将棋の駒に…>という歌詞を<吹けば飛ぶよな演歌の旋律(ふし)に賭けた男を笑わば笑え>と読み替えて作曲したという(『歌は心でうたうもの』)
▼喜怒哀楽に満ちた数々の調べを残し、人生を終えた二月十六日は、兄・健一さんの命日。兄は聞けなかった「戦後の歌」を、歌って聞かせているかもしれぬ。
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併せて、私の好きな「王将」を聞いてみてください。
王将 村田英雄