連れ合いが難病の間質性肺炎にかかってから7年が経ちました。
日記帳を見ると、2014年7月7日、所沢うたごえ喫茶LOVE&PEACEの例会を済ませた翌日、連れ合いに同行して清瀬の東京病院に行きました。
予約なしの初診です。診察後、即入院を言い渡されました。
「検査入院」言うことでしたが、この時点で「間質性肺炎」と言うことは分かったようです。その間質性肺炎が何に起因するものか、どんな治療をするか を検討するための入院でした。
間質性肺炎との長い闘病生活の始まりです、
発症後の余命は平均〇年とか、急性増悪を起こすと命に係わるとか 言われ続けてきました。
結局、リュウマチ系の全身性のようです。
難病指定、身体障碍者の認定も受け、在宅酸素の生活になってしまいました。
東京病院の治療と共に、呼吸器リハビリを受けながらの生活です。多くの方に支えられての7年間でした。
これからもこれらの方に支えられながら、病気と上手に付き合いながら生活してゆきたいと思います。
日記帳を見ると、2014年7月7日、所沢うたごえ喫茶LOVE&PEACEの例会を済ませた翌日、連れ合いに同行して清瀬の東京病院に行きました。
予約なしの初診です。診察後、即入院を言い渡されました。
「検査入院」言うことでしたが、この時点で「間質性肺炎」と言うことは分かったようです。その間質性肺炎が何に起因するものか、どんな治療をするか を検討するための入院でした。
間質性肺炎との長い闘病生活の始まりです、
発症後の余命は平均〇年とか、急性増悪を起こすと命に係わるとか 言われ続けてきました。
結局、リュウマチ系の全身性のようです。
難病指定、身体障碍者の認定も受け、在宅酸素の生活になってしまいました。
東京病院の治療と共に、呼吸器リハビリを受けながらの生活です。多くの方に支えられての7年間でした。
これからもこれらの方に支えられながら、病気と上手に付き合いながら生活してゆきたいと思います。