明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日にむけて( 20 )デモについて・再び(おまわりさんのこと)

2011年04月04日 19時45分00秒 | 明日に向けて4月1日~30日
守田です。(20110404 19:30)

昨日のデモについて、少しつけ足しを。

今回のデモは橋本さん1人が言いだして始まりました。最初に彼から相談を
受けた時、僕の意識はまだまだ原発ウォッチの方に。でも「何でもやろうよ」
と答えました。

その後、デモの打ち合わせをしたいから集まってくれと橋本さんと、ピースウォーク
京都に参加する蒔田さんが声をあげました。しかし当日集まったのはこの2人と
やはりピースウォーク京都に参加している漫画家のマーさん、そして僕の4人
でした。少なかった。でも大いに盛り上がった。チラシの内容なども何度も
考え直し、練り上げられていきました。

それでも僕はまだ、当日もウォッチの方に力を入れようかという思いもあったの
ですが、準備を重ねていく橋本さんの姿に、これはいかないわけにいかないなと
ぐっと気持ちが入っていきました。

デモ申請に警察署に行った橋本さんが言います。
「100名で申請してきたんやけど、ずっと少なかったら、警察、怒りよるかなあ・・・」
「まー、いいんとちゃう?」と僕。

ところが数日前になって、「なんか、あっちこっちで宣伝してくれてますわ。大阪
からも問い合わせがくるし、増えそうですわ。名古屋も100人のつもりで
300人だったらしいし、警察に知らせておいた方がいいですかね」と橋本さん。
「ウーン。増えると文句言われるかもしれないし、名古屋が100人のつもりで
300人だったから、京都も増えるかも知れない、こちらでも分かりませんと
伝えておいたら」と僕。


それで当日を迎えました。集会を始めたときの人数は100人ぐらい。
「やっぱり300人にはならんかな」と僕。
「いやもうこんなに来てくれたからいいですやん」と橋本さん。

その後、どんどん会場は膨れ上がっていって、デモに歩きだして少し経った
頃には、420人(+犬1匹)に。これは僕が数えました。さらに四条河原町付近
では500人(+犬1匹)にまで増えた。
・・・とても嬉しかったけれど、これはこれで警官に文句を言われるかなとかも
ちらりと思いました。


ところが、デモを誘導する警官たちが、何だか好意的なのです。
一生懸命にデモ隊が進む先の車をどけてくれる。
「後ろが追い付いてないみたいだから、次の信号で止まって、後ろを待って、
圧縮して、さーっと行きましょう」などとニコニコしながら提案してくる。

それで話をしてみようと思いました。
「いやあ、今日は予想を超えて人がきました」と僕。
「みなさん、やはり関心がおありですよね」とおまわりさん。
「おまわりさんだって被ばくしてますものね」と僕。

・・・ここでこのおまわりさん、被ばくのことと被災のことと、あまり分けずに
答えられたと思うのですが、

「おまわりさんもたくさん死にました」と答えられました。
「・・・そうですね。たくさん殉死されましたね」と僕。
「おまわりさんは、高い所に逃げられないんですよ。
みなさんを最後まで誘導するんですよ」とおまわりさん。


その言葉にグーッときました。
津波のときに、多くのおまわりさんが、地域の人々を高台に誘導し、
自らは最後に回ったのでしょう。そうして波に飲み込まれてしまった
おまわりさんもたくさんいたのでしょう。その方たちに、全国の
おまわりさんが思いを馳せていることが分かりました。

何か、感謝の言葉を伝えたい、そう思ったときに、おまわりさんは、
ニコッとと笑って、デモ隊の前に割り込もうとした車に、ピー、ピーっと笛を
吹いて駆けていきました。

そんな風にしながら、深刻な課題で歩いているのだけれど、最後まで
どこか明るく、にこやかに、でもスピーカーを持った人の話に、時々、
うるっとしたりしながら、デモは進んでいきました。

京都の街をみんなで歩いて、本当に良かったと思った一日でした。


以下、新聞報道もごらんください。

http://www.kyoto-minpo.net/archives/2011/04/03/post_7734.php
危険な原発はやめて 京都市内でデモ

http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20110403000112
反原発訴え「今こそ行動」 京で500人デモ行進

http://mytown.asahi.com/areanews/kyoto/OSK201104030077.html
反原発デモに若者ら500人 震災被災者も参加 京都


ちなみにデモの後にかぜのねに気仙沼に持っていってもらう物資を
少しだけ買って持って行きました。橋本さんも、児童館などを回り、
絵本を50冊以上も届けてくれました。

山水人のMLに参加している人などが集まって、僕の話を聞いて下さり
ました。その後に、橋本さんも一緒になって、みんなの力で
原発を止めようと話し合いました。
次に何をするのか、目下橋本さんが考案中です。次の何かが決まったら
またご連絡します!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日にむけて( 19 )自転車を京都から南三陸町に!

2011年04月04日 18時47分00秒 | 明日に向けて4月1日~30日
守田です。(20110404 18:40)

友人で「サクセスランニング」を主催している森拓哉さんから
以下のようなお願いが発せられています。
被災地(津波の被害が大きかった南三陸町付近)に、生活のための
自転車を届けようというプロジェクトです。

森さんが、モンベルアウトドア義援隊の佐藤さん(岩手県で展開中)などと
つながって企画しています。
モンベルは山用具などの老舗で、僕もたくさんの製品を愛用してきました。
これまでたびたび災害のときにアウトドア義援隊を出されています。
下記ページから現在の活躍の様子が見れます。
http://about.montbell.jp/social/support/od_gientai/

なお森さんは、僕の発信を、サクセスランニングの中で紹介してくれて
いる方です。昨年、京都東山のナラ枯れを食い止める活動で知り合って
以来、親しくしていただいています。仕事をしながら、トライアスロン参加を
目指して、トレーニングをつまれています。
http://www.success-running.com/news/2011/03/post-66.html

以下、森さんからのお願いをお読みになり、協力可能な方は、ぜひ守田まで
ご連絡ください。(morita_sccrc@yahoo.co.jp)


******************************

こんにちは。サクセスランニング 京都震災OHANAプロジェクト
(暫定)の森拓哉です。

このプロジェクトは東北・関東大震災の被災地でボランティア活動を
されているモンベル義援隊の佐藤さん、エコ燃料開発者の山田周生さん
から、直接「自転車を送って欲しい」という依頼を元に発足致しました。

被災地での自転車は命をつなぐ貴重な交通手段です。救援物資の運搬、
取りに行くための手段として自転車がフル稼働していますが、まだまだ
数が足りない状況です。乳飲み子を抱えたお母さんが片道10kmの
道のりを歩いて、ミルクを取りに行っています。

そこで私たちは、京都の一人一人の力を結集して、早急に、高い
クオリティで、自転車を送ることを目的に活動しております。

早速ですが、4月第二週(4/4~4/9)に第一便の200台程度を送るべく
準備を進めています。収集場所の選定を、早急に行う必要があり、
活動中です。詳細をしっかりと発表できない段階でのお願いで恐縮ですが、
皆様のお手元に不要自転車の確保をお願いできないでしょうか?

京都市内の広い施設を、拝借できる段取りができ次第、告知させて頂き、
収集を開始したいと考えております。収集場所は、できるだけ市内
中心部を考えています。回収に伺うことは予定しておらず、直接収集
場所にに持ち込みのお願いとなる予定です。

*************************


ちなみに、収集場所として大学を使えないかと考え、京都大学の
岡真理さんに相談してみました。強い共感を示して下さったのですが、
残念ながら大学は新学期を迎えて、1年で一番人が多い時期。
構内は人と自転車で溢れ返り、教員が交通整理に駆り出されるほどだ
そうで、無理だとのこと。

ただし、代わりに幾つかの案を提案してもらえましたので、それらに
あたってみています。
何か有力情報があればぜひお知らせください!

それぞれで特技や趣味をも活かして、東日本を、いや「私たち」を、
自分たちで救いましょう!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日にむけて( 18 )京都の街を 500 人でデモ!

2011年04月04日 11時31分00秒 | 明日に向けて4月1日~30日
守田です。(20110404 11:30)

昨日、京都で「原発をとめろ! 核事故の真相を明かせ!
こどもを救え! 」と題した集会とウォークが行われました。

呼びかけはわが若き親友で、原始力の会を立ち上げた
橋本尚樹さん。
これに僕も参加する市民グループのピースウォーク京都が乗り、
共催となりました。僕もスタッフとして走りまわりました。

集会ははじめ100人ぐらいで始まりましたが、どんどん人が
増えて行き、デモに出発して少ししたところで数えた時には
420ぐらいになっていました。

さらに京都の目抜き通りである河原町通りを歩いているうちにも
人が増え、四条河原町交差点あたりで500人に膨れ上がりました!

いろいろな地からたくさんの人がかけつけた力強いデモでした。


デモを終えての感想を、橋本尚樹さんがピースウォーク京都の
MLに流してくれたので、転送します。
またみんなで何かをしましょう!


*******************************

デモを終えて

橋本です。
今日は集まった方々、お疲れ様でした。
そして、残念にも参加できなかった人、
みんなの分もがつんとやってきましたよ、僕以外の人が!
(僕はいつも通りふにゃふにゃでした…。)

僕はmixiというサイトの方でデモの告知などをしていたので、
その関係もあり、そちらに書いた報告をこちらのMLにも
流したいと思います。

少し抽象的かもしれませんが、要約すれば、
気持ちが一体となったデモだったと思います。

~~~~~~



何人集まるのか全くわからなかった。

14時からプラカード作りのため仲間内の数人が集まり、
急いでプラカードを作る。
埼玉から大阪に避難したという男性も作業に加わってくれた。

すぐに何十枚かのプラカードができあがった。
今までいろんな運動をしてきたため層になっているプラカード。


15時になってみると既に100人以上はゆうに集まっていた。
僕が主催者だったので最初のマイクを握る。
唐突に「今から原発を止めろ、核事故の真相を明かせ、こどもを救え」
というデモを始めるからと通行中の人に向かって話しかけた。

ずっと考えていたはずの言葉はうまく出てこなかった。
寝不足のせいもあったかもしれない。

僕の仲間が代わってくれて、それから参加しに集まってきてくれた人に
「どなたでも話したい人はどうぞ」と呼びかける。

32年前にスリーマイル島で事故が起こった時も同じ場所にたち、
「原発は危ないんだ」と言っていた人。
広島に爆弾が落ちた時、満員のバスの真ん中にいたので助かったおじいさん。

顔見知りの人。
全然知らない人。
大阪から、東京から、三重から、そして仙台から。

いろんなところから集まって来ていた。
みんな僕の呼びかけに、自主的に来てくれていた。

昨日、インターネットで調べてみると、たくさんの人が今日のデモを
ツイッターやmixi、個人のプログなどで発信してくれていた。

僕は主催者として、
集まった人ができるだけ自由に発言したり表現できるようにしたい、
とそれだけを考えていた。


16時になってデモが出発する。
出発する頃には200人以上になっていただろうか。

みな持参したものや僕らが用意したいろいろな種類のプラカードを持っていたり、
いろんな楽器を吹いたり鳴らしたり、
ハンドマイクを持参して発言したりしていた。

僕もマイクを持っていたけれど、何も頭から出てこない。
素直にそれをみんなにマイクで言うと、
一人の女性がマイクを取って発言してくれた。

その人は仙台からこどもたちを連れて逃げてきた人だった。
「みんなに逃げようって言ったけど、親戚もみんな逃げてくれなかった」
「福島の人はのんびりしていて、そして我慢強くて、
自分から『逃げる』なんて言わない。だから、せめてこどもだけでも」
「関西の人は温かくて、初めて会ったわたしたちを泊めてくれたり支えてくれた」
「京都の人もお願いです!こどもたちだけでも逃げられるように、
このデモに入ってくれませんか」
「わたしはこのデモに参加している人たちは本当にまともだと思います」
「地震は想定外だったって言うけれど、原発を反対していた人たちには、
ずっと想定内のことだったんです」
「わたしは、ずっと原発の反対運動をしてきた人たちはリスペクトしています」

チェルノブイリのこどもたちがどうなったのか、その人は知っていた。
僕がデモの中で言いたかったこと。
日記で書いていたようなこと。
僕が言えない分も、それ以上のことを必死に息を切らせながら、
1時間は語りかけ続けてくれた。
この人のために僕はデモをやっているのかと思ったほどだった。

デモの列は三条から四条へ向かう時には、出発の時の倍以上に膨れ上がっていた。
200mほど後ろに最後尾のパトカーが見える。
真ん中でも、持参したマイクで街頭に語りかける人がいたし、
音楽はところどころで鳴っていた。
デモの列と歩道が「近い」そんな気がした。

最後尾では僕の友達がサックスを吹きならし、そのまた友達がたいこを叩き、
職場の仲間がディジュリジュを演奏していた。
いろんな人が様々な表現で、原発を止めようとしていた。

デモは、コースを歩き終え、そのまま市役所前の広場に集まった。
再び仙台からの人、こどもたちの母さんが僕らに語りかける。
まだアピールを終えてない人たちがそれぞれのアピールを終え、
最後に僕が決意表明をした。

「必ず原発を止めると決意すること。そして、原発を止めよう、無くそう!」
みんなから拍手が上がった。
「まだこれから次に何をしようか、まだ考えていない。
けれど、大切なのはここで集まった人がそれぞれに繋がっていくこと。
繋がっていこう。」

そう言って、デモを終えた。



デモの様子を言葉にするのは難しい。
それが自由であればあるほど難しくなるだろう。

デモはこれからデモの形を無くしていかなくてはいけない。
路上と歩道との柵を乗り越え、
まだはっきりとは自分のことだと自覚していない
多くの人との気持ちの差を乗り越え、
それぞれの思想を越え、
僕らが手にすべき自由への道を歩めるように。

それがどんな形のものになるのか。
僕はまだそれを知らない。
けれど、夢を見る僕はそれを知っている。


デモは自由への前進だ。
それに参加すること、それに協力すること、
みんな誰かに言われたからやるのでは意味がない。
デモによって何かがなされることよりも、
デモによって、自分の意志で自由へと進むことが、
今の僕らには重要なのかもしれない。

まず、原発を自らの意志で、みんなの意志で止めよう。
そして、無くしていこう。

原発を止めても、こどもたちにはまだ
安全な世界を残してはやれないかもしれない。
だから、今は、原発を止めることと、
自由を求める姿をこどもたちに見せてあげたい。

僕らにはまだできることがたくさんあるのだから。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする