明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(40)被災地に自転車が届いた!!

2011年04月13日 09時40分00秒 | 明日に向けて4月1日~30日
守田です。(20110413 09:40)

被災地に自転車を届けるプロジェクトが順調に進んでいます。
まずは第一弾の110台が岩手県の被災地に届いたそうです!拍手です!

ぜひ報告の中にあるブログの1から8までの記事をご覧ください。
自転車を満載したトラックの写真から、各地で自転車を受け取った方々の
笑顔がみれます。見ていてこちらも嬉しくなってしまいます・・・。

次の呼びかけがあれば、またここでお知らせしますので、
協力いただけるみなさま、ぜひお願いします!

**************************

京都OHANAプロジェクト第一弾でお世話になっている皆様

先日の自転車プロジェクトではお世話になり、ありがとうございました。
現地アドバイザーまた物資の運搬でご協力頂いている
バイオディーゼルアドベンチャーの山田周生さんのブログに自転車配布の
模様を掲載頂いています。
山田さんはバイオ燃料を使って旅の途中で被災され、そのまま現地で活動を
展開されご縁を頂きました。
http://space.rgr.jp/bio/2011/04/412-vol08.html
笑顔が嬉しいですね。
自転車はやはり必要とされていました。
笑顔のお手伝いを、京都のみんなですることができています。
被災地の状況について、相談に乗ってくださった方がいました。
自転車店が最も繁忙期の中、駆け付けてくれた方がいました。
人脈を次々と当たってくださった方がいました。
それに応えてくれた方がいました。
貴重な場所を提供してくださった方がいました。
ご自身にご縁のあるマスメディア媒体に呼び掛けて下さった方がいました。
報道への掲載を積極的にして下さった方がいました。
それを読み、自転車を持ってきて下さった100人にものぼる方がいました。
中にはご高齢の方が、自分で自転車を持ち込み「ご苦労様、バスで帰るね」
と言ってくれました。
・・・
沢山、沢山、
奇跡的なパスとシュートを見ることができました。
活動中ですが、まずは ありがとうございます!
山中さん明日戻ってくる予定です。
無事を祈っていてください。

京都OHANAプロジェクト
森拓哉

*************************
なお以下のブログからも「明日に向けて」を、バックナンバーを含めて
見ることができます。ご活用ください。
http://www.success-running.com/news/2011/03/post-66.html森拓哉さんの運営するサクセスランニングのサイトです!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(39)気仙沼からの便り…その6 +高知から気仙沼へ

2011年04月13日 09時20分00秒 | 明日に向けて4月1日~30日
守田です。(20110413 09:20)

気仙沼アビスさんからの便りをお届けします。
またアビスさんに高知のKさんがお茶等々を送って下さいました。
どうもお茶の成分には、放射能を体内から追い出す効能が
あるようです・・・。
このメールも貼り付けておきます!

************************
気仙沼アビスさんから(20110413 07:00受信)

気象庁が、2週間ぐらいさかのぼって、
「入梅してました。」って、台詞は、
ここ何年かで、よく聞く台詞だけど、
「23日にさかのぼって、レベル7」。
危険度のレベルは上がったけど、
この国の政治のレベルは、大方の予想を裏切らず、
下がりましたね。
嘆く前に、笑っちゃいますよねぇ。
実は、この国の官僚は、非常に優秀で、
わざと後手後手に回ることを演じて、
国民を笑わせることに、全精力を注ぎ込み、
笑わせることによって、免疫力アップを促し、
この放射能による危機的状況を、
打破しようと目論んでいるのではないだろうか?
東大とか出た、選ばれたエリートが、
自ら後手後手に回るのだから、
かなり深いところに、その真意はあるはず。
官僚の大変なお仕事は、
もうすぐ完了。

笑点のネタにもならないようなくだらない話は、
さて置き、

地震、津波、火事、
挙句に、原発事故。
そんなことが目まぐるしく起き、
日常が吹っ飛んで、非日常が日常になった被災地。
災害特区は、まつり会場と、
不謹慎にも、奇妙な充実感に満たされた日々の中。
このクライシスも、起こるべくして起きたと、
解釈できるのは、
夢想家でオカルティックなことが好きだった俺は、
いろんな預言書にも目が引かれ続けてきた。
だからこの現状は、想定内なのです。
そんな発想の人たちがほかにもいました。
そして、偶然、偶然出会いました。
 
俺の家の下に、公園があり、
1週間ほど前、家に帰って来る途中、
公園に5張りほどのテント群。
どこかのまつり会場にたどり着いたような錯覚の中、
声をかけてみると、
東京近郊から来た、
在日クリスチャンのアメリカ人一行だった。
レンタカーの2トントラックに支援物資満載で、
なぜか、俺の家のそばにテントを張ることになったみたい。
話してるうちに、話が転がり、
次の日、小泉という気仙沼最南端の地域に、
一緒に出かけたことがきっかけとなり、
ここんとこ、行動をともにしてます。
そこに、仙台のせいちゃん、さおちゃんの、さおちゃんの
お姉さんに荷物を届けた事がきっかけになり、
そのお姉さんの家の近くの敷地で、
我ら、多国籍支援団は臨時の前線基地を、
日中限定で設営し、
支援物資の配布所を暫定設営するに至った。
で気づくと、そこにタイコを持ち込み、
気仙沼の地元レゲェーバンドの「ちょす」のドラマー、
ガラムマサヤと、近所の子供たちと一緒に、セッション。
災害特区に吹き始めたまつりの風は、
23日にさかのぼり、レベル7と公式発表。
昨夜、宮城大崎市より、レゲェーバンド
INDEADのボーカル、MATCH到着。
今日の支援行動作戦予定は、
最善基地に隣接する中学校のブラバンの、
部活帰りの生徒の折伏を最大の作戦目的とする。
尚、この作戦の最大目的は、
演芸を通して、テイタラクな大人の存在を認識させ、
対人関係の許容範囲を拡大化させることにある。
よって、私は、この任務をへたくそな歌を歌い、
恥かき自爆を持って、彼らの羞恥心という壁の破壊に、
非力なれど、一矢報いられればと望む次第であります。
作戦決行まで、あと、4時間20分。


**************************
続いて、高知のKさんからの、アビスさんへのメールです

アビスさん

はじめまして。守田さんから紹介いただきまして、荷物を送らせていただき
ますKです。明日、ヤマトで発送します。

荷物の内容は
■お茶(煎茶、茎茶、ティーバック煎茶、粉茶) たくさん
■ブラシ(洗浄済) 7個
■ネイルケアセット(未使用・爪切り入り) 1個
■保湿クリーム(未使用) 2個
■コーヒー 1箱
■インスタント味噌汁 7食分・カップ付
■リポビタンD 1箱
■色鉛筆 1セット
■栄養ドリンク 1本
■靴下(新品) たくさん
です。よろしくお願いします。

靴下は近所の知人から一緒に送ってくれと頼まれました。

それから、お茶はまた第二弾を発送予定です。まだ準備が整っていないが、
提供したいというところがあるためです。ちょっといつになるか、はっきりしない
のですが、多分来週中には送れると思います。もし第一便の分で多すぎる
ようならストップして他へ回すことも検討しますので、その場合はご連絡ください。
今回だけでも段ボール2箱になりました!

お茶に関しては、高知県下にいる私が直接知っている茶生産者の皆さん
にもご協力いただいています。私のも含め、賞味期限の過ぎているものも
ありますが、味は生産者のお墨付きで保証しますので大丈夫です。渡すときに
一言付け加えていただけると助かります。お手数かけてすみません。

本当かわかりませんが、お茶が内部被爆に効果があるという情報もありました。
茶含有成分のタンニンが重金属と結びついて体外に排出する効果があると
いうのです。とは言っても取り込んでしまった分の2割程度のようですが。
過去の実験でストロンチウムやセシウムで効果が認められたとのことです。
気分的に少し楽になる程度の情報ですが、多少でも皆さんの健康維持に
貢献できればと思います。

それでなくてもおいしいお茶で一息つくことは精神的にすごく良いと思って
います。栄養にはならないけれど、少しでもお役に立てればうれしいです。

では、また第二便を送るときにご連絡します。今後ともよろしくお願いします。

高知県の「土佐茶」生産者一同を代表して

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日に向けて(38)3月23日にはレベル7と認識していたと安全委

2011年04月13日 08時20分00秒 | 明日に向けて4月1日~30日
守田です。(20110413 08:20)

事故評価レベル7をめぐる情報がさらに続々と報じられています。
ここでは二つの記事を扱います。

一つは、原子力安全委が、3月23日には、レベル7に相当する危険性が
あると認識していたのに、それを隠していたことを報じた共同通信の記事です。
ただし原子力安全委は、このことを開き直っています。

「代谷委員は記者会見で「尺度評価は保安院の役割だ。(安全委が評価
見直しを)勧告しなければならないとは考えない」とし、原子力安全委は関与
しないとの姿勢を強調。事故から1カ月経過してレベル7としたことも「遅くなった
とは思わない。われわれの事故への対応は変わらない」と述べ「レベル7へ
の格上げが遅れたのではないか」との批判に反論した。」

要するに、悪いのは保安院だと罪をなすりつけています。保安院と安全委と
団結して、現場労働者とともに事故の終息に全力を傾ける・・・などという
切実で誠実な気持ちがぜんぜんないことが、こうした発言から透けて見えて
来てしまいます。

大切なことは、こんな方たちが、私たちの明日の命運を握るデータを
握っているということです。そこに私たちの危険が存在している。
安全委は即刻、事故対策の中枢から立ち去り、データを心ある人々に
開示すべきです。


もうひとつ、紹介したいのは「専門家からは「国は事故を過小評価しようとして
きたのではないか」との批判の声も上がっている」という読売新聞の記事です。

「当時、すでにフランス原子力安全局は「6」、米民間機関「科学国際安全
保障研究所」も「6または7」との見解を示していたが、保安院は「健康に
かかわるものでない」として見直す姿勢は見せなかった。」

とも記事には書いてあります。
まったくその通りなのですが、少し待って欲しいと言いたい。
当時、こうした政府や保安院、安全委の見解を、広報と化して、無批判的に
人々に流布していたのは誰なのでしょうか。他ならぬ読売新聞は、その
重要な一翼だったのではないでしょうか。

政府への批判が強まると、自分たちの過去は何も振り返らずに、やにわに
批判者に回りだす。そうした己をとらえ返すことのできない姿勢にこそ、
今、読売新聞は、誠実な批判の目を向けねばならないのでしょうか。

結局、ここにあるのは、政府・保安院・安全委・マスコミが、互いに責任を
なすりつけ合っている姿でしかありません。
誰も、事故当時の大量の放射能漏れを、人々に伝えなかったことの責任を
とろうとはしていない。要するに誰も自分が悪いとは思ってないのです。
膨大な放射能が、無防備な人々に向かって、流れていったというのに・・・。

僕は事故当初から、こうした構造こそ、この国を支配しているものであり、
人々に対して、「逃げよ」という的確な情報は絶対に出てこない。だからこそ、
私たち自身が「逃げよ」という声を上げなければならないと直感して
この発信を続けてきました。

今、眼前で行われている責任のなすりつけ合いは、こうした直感が
本当に残念ながら、まったく正しかったことを証明してしまっています。
肝心なのは、だからこれからも確実に同じことが起こるということです。
そのことをこそ、私たちは見据えなければいけない。私たち自身の力で、
真実をつかみ取り、それを伝え合い、私たちの命を守っていかなければ
なりません。

情報解析と発信を続けます。

******************************

原子力安全委がレベル7相当認識 保安委に見直し求めず

 原子力安全委員会の代谷誠治委員は12日、経済産業省原子力安全・保安
院が福島第1原発事故の深刻度を国際評価尺度(INES)の暫定評価で
「レベル7」としたことについて、3月23日の時点でレベル7に相当する危険性が
あると認識していたが、これまでに暫定評価の見直しを保安院に求めなかった
ことを明らかにした。

 代谷委員は記者会見で「尺度評価は保安院の役割だ。(安全委が評価
見直しを)勧告しなければならないとは考えない」とし、原子力安全委は関与
しないとの姿勢を強調。事故から1カ月経過してレベル7としたことも「遅くなった
とは思わない。われわれの事故への対応は変わらない」と述べ「レベル7へ
の格上げが遅れたのではないか」との批判に反論した。

 3月23日には、放射性物質の放出量がレベル7の基準である数万テラ
ベクレルを超える10万テラベクレルに達する可能性を認識していたという。
早期にレベル7として市民に注意を促す必要性について代谷委員は
「いろいろな考え方がある」と述べるにとどめた。

 原子力安全委は、ヨウ素換算で63万テラベクレル(テラは1兆)の放射性
物質が放出されたと推定。4月5日ごろには同程度の値を推定していたが
「より精度を上げたかった」として公表を見送っていたという。
2011/04/12 22:08共同通信
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041201001126.html

「国は事故を過小評価」専門家から批判の声も
4月12日(火)20時20分配信 読売新聞

 福島第一原子力発電所の事故の国による評価は、事故発生直後の「4」が
3月18日に「5」に、そして20日以上たった4月12日になって最悪の「7」に
変わった。

 専門家からは「国は事故を過小評価しようとしてきたのではないか」との
批判の声も上がっている。

 原子力安全委員会によると、外部に出た放射性物質の大半は、1~4号機
で水素爆発や火災などのトラブルが相次いでいた3月15日頃までに放出され
ていた。15~16日にかけ、放射性物質の放出総量が跳ね上がっており、
安全委は2号機の圧力抑制室が15日に損傷し、大量の放射性物質が放出
された結果と見ている。

 当時、すでにフランス原子力安全局は「6」、米民間機関「科学国際安全
保障研究所」も「6または7」との見解を示していたが、保安院は「健康に
かかわるものでない」として見直す姿勢は見せなかった。

しかし、18日には国際世論に押されるように「5」に変更した。保安院の西山
英彦審議官は「圧力や温度などが大きく変動し、評価が難しかった」と弁明。
その後は「6にするには早い」と繰り返してきた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000883-yom-sci
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする