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明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(330)東電が原発がなくても電気が足りることを認めた・・・が?

2011年11月23日 00時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111123 00:30)

非常に興味深い記事が飛び込んできました。なんと東電が来年の夏に向けた
電力供給量の試算を行い、原発がなくても電気が足りることを認めたという
のです!記事が短いので、まず全文を紹介します。

*****

東電が“原発抜きの夏”を試算 今年上回る供給力
【共同通信】2011/11/22 17:38

東京電力が来年の夏に向け、保有する全ての原発が東日本大震災の影響や定期
検査で停止しても、火力発電や揚水式発電の増強により、今夏の最大供給力を
上回る約5700万キロワットを確保できるとの試算をまとめたことが22日、
東電関係者への取材で分かった。

東電は福島第1原発事故後も「原子力は重要な基幹電源」との立場を変えてい
ないが、実際には原発がなくても計画停電などの影響が出ない可能性が高い。
原発を中心とした供給計画を立てているほかの電力会社にも影響を与えそうだ。

国内の商業用原子炉54基のうち、東電は電力会社トップの17基を保有して
いる。
http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011112201002278.html

*****

まず押さえておくべきことは、脱原発サイドではもはや「常識」ともいえるこの
点を東電がようやく認めたという点です。原発がなければ電気は足りなくなると
いうウソが崩れたわけでそれ自身は好ましいことです。しかし東電がそれだけを
素直に認めるとは思えない。このウラに隠された意図はなんでしょうか。

短い記事ですが、非常に気になるのは次の点です。

「保有する全ての原発が東日本大震災の影響や定期検査で停止しても、火力発電
や揚水式発電の増強により、今夏の最大供給力を上回る約5700万キロワット
を確保できる」

・・・つまりここからは「火力発電や揚水式発電の増強」を目指しだしたのでは
ないかという意図が読み取れる。ではどうして東電はそう考えるのか。全国的には
ともあれ、少なくとも東電は、自らの管内では、原発の再稼動は少なくとも当面は
とてもできないと踏んでいるのではないか。しかしそれで電力供給が落ちると、
電気の大口需要者からそっぽを向かれてしまい、自家発電が増えてしまう。なので
「火力発電と揚水式発電の増強」で凌ごうとしているのではないか。

事実、大口需要者であるデズニーランドをはじめ、多くの事業者が、自ら発電する
ことを検討するなど、「計画停電」で営業をあやうくされた轍を踏むまいとして
いる。節電の努力も重ねられ、人々の生活も含めて、かなりの領域で節電ができる
ことも実証されてしまった。

このままでは電気の独占的供給体制が壊れてしまう。いや壊れるのももはや必死だと
見切った上で、少しでも会社の利益の減少を抑えたい。そのためには原発を護持し
ようとしている他の電力会社の都合などは二の次で、とりあえず火力に走ろうとして
いるのではないでしょうか。少なくともこうした点が推測できます。


この推理があたっているかどうかを確かめるためには、まだあまりに情報が少ない。
東電が現時点で完全に原発をあきらめたとも到底思えません。その点で今後の東電
や政府の発言に注目していきたいですが、ともあれここで踏まえておかなければなら
ないのは次の点です。原発がいらないことをはっきりさせることはとても重要ですが、
だからといって火力発電の増強もまた、安易に認めてはならないということです。

なぜか。火力発電は深刻な大気汚染の発生源だからです。このことは四日市喘息を
はじめ、各地の公害被害の中で告発されてきたことであり、だからこそ火力発電所は
容易に「増強」できなくなったのです。この公害を押しとどめてきた住民運動の流れ
を守り、継承していく必要がある。

ましてや私たちの国は今、深刻な放射能汚染の最中にあります。最も激しい汚染は
それこそ東電管内やその北方の地域に広がっている。そこに住んでいる方たちの多く
が政府と東電によって被曝させられてしまっている。これに対抗するには免疫力を
上げることが大切ですが、大気汚染はまさにこれに逆行するダメージの追加です。


問題は次の点にあるのです。私たちの社会が明らかに電気を使いすぎていること、
それこそ原発を維持するために、電気の過剰使用構造が作られてきているという
点です。だからそれを見直していけばいい。僕はそのことで私たちの生活水準は
むしろあがると考えています。

たとえば僕が常々思うのは、特定の名前を出しますが、「セブンイレブン」にぜひ
せめて本当のセブンイレブンに戻って欲しいということです。朝7時に営業を開始し、
午後11時に営業を終える。それが「セブンイレブン」の名前の由来だからです。それ
でもコンビニが生まれた1980年代では驚くような長さの営業だった。

しかし今やコンビニは24時間営業が常識です。そのため町が夜でも暗くならなくなっ
た。コンビニで働く人々を含め、多くの人々が夜に寝れなくなった。寝れないのは
町と人だけではありません。動植物もそうです。夏になるとコンビニの前では夜の間
中、セミや鳥が鳴いている。こんなこと生態系によいはずがない。

そして生態系によくないことは、必ず私たち人間にも良くないのです。この眠らない
町の出現は私たちの睡眠サイクルを壊しています。リズム障害という病を生んでいる。
ところがコンビニは、かなりの高いルックスで明かりをつけ続けてきた。なぜか。人
もまた生命体であり、命に重要な光に群がる習性があるからです。

もっとも東京をはじめ、311以降、東電管内や被災地の多くで節電が叫ばれ、夜の町が
一時期より暗くなっています。コンビニも明かりを落としている。不夜城の楽しさを知る
人にはさみしいかもしれませんが、そういう東京の街を歩いて、少しだけほっとするのは
僕だけでしょうか。そうではないと思います。


電気の使いすぎは他にもいろいろと上げられます。夏の炎天下に鉄の箱に入れてジュースを
冷やし、真冬の寒い最中に、誰も飲まないコーヒーを一晩中温め続けている自動販売機もそう。
これまた町を眠らせない装置の一つですが、このようにかえって生活の質を落としている
ものがたくさんある。

だからこそ、都会に住まう人々は、週末になると車に食材を積み、電気もガスもない川原に
いって、持ってきた炭に火をつけてバーベキューを行い、ああ、日ごろの疲れがとれた
・・・とやっているわけです。それもまた電気とエネルギーの過剰使用時代の断面の一つ
です。だから私たちは電気の使い方をこそ改め、生活を良くしていくこと、人間的な潤いを
取り戻していくことにこそ努力を傾ける必要がある。

そしておそらくは東電はそのことを一番恐れているのだと思います。大口需要者が離れる
だけではない。多くの人が電気の無駄遣いに気がついていく。電気が少なくなると生活の質が
落ちるのではなく、もはやあがるような状況になってさえいる。そのことに人々が気づいて
大きく電力需要が減る事態。これこそを避けようというのではないでしょうか。

だから原発はもはや必要がないと東電が認めたことは、はっきりと言質として取りつつ、
私たちはさらに「節電」、いやこの言い方もよくない、電気の過剰使用をやめ、適度な
使用にかえていくこと、その意味で「適電」とでもいうべきものを社会的に広げていく必要が
あると思います。電気がないから我慢して節電するのではない。無駄に使いすぎて、生活を
かえって悪くしてきたので、適度な使用に変えようということです。


・・・ただそのためには、僕自身が、夜中の仕事をもっと戒めなければなりませんね。
今日はそんな自戒もこめつつ、電力の適正使用社会を目指しましょうと呼びかけて、もう
寝ることにします。みなさま。電気の支配を脱却して、健康生活を取り戻しましょう!!
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明日に向けて(329)保育園でお話します。「保育園給食を考える会・京都」にも参加しました!

2011年11月22日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111122 23:30)

11月24日に京都市左京区の、朱い実保育園、12月2日に同じく一乗寺保育園に招い
ていただいたお話しすることになりました。また12月中旬にもう一つ別の保育園
でもお招きいただけそうで、今、日程など調整中です。このうちすでに決まっ
ている二つの保育園の案内を掲載します。一乗寺保育園については、時間と場所
だけ案内します。

また11月に京都で「保育園給食を考える会・京都」というママさんたちを中心に
した会が立ち上がったのですが、僕もお誘いいただいて、参加させていただくこ
とになりました。大変、嬉しく思っています。

保育園に通う子どもたちは、まだお母さんのお腹の中にいるお子さん、生まれた
ての赤ちゃんに続いて、私たちがもっとも守らなければならない命です。子ども
は細胞分裂が活発なため、放射線の影響を最も受けやすい。細胞分裂中のDNAが
放射線により弱いためです。

とくに防がなければならないのは内部被曝です。これは飲み物、食べ物から入っ
てくる可能性が高い。そのため、子どもたちを守る親、周りの大人、可能なら
お姉ちゃんやお兄ちゃんたちが、内部被曝の危険性をしっかりとつかみとり、ま
だ自分で防御のできない園児たちを守っていく必要があります。

その点で、保育園でお話させていただくことはとても重要で、ありがたいことだと
思っています。同時に僕自身が、保育園に足を運ぶことで、その場を知り、職員や
親御さんたちが重ねてきている子育ての知恵に学びたいと思っています。子どもを
守るためには、ただ内部被曝の危険性だけを語っていては足りないと思うからです。

この点で「保育給食を考える会・京都」に参加させていただいたこともとても
プラスになっています。すでにミーティングに入れてもらいましたが、そこで
はじめて、保育所の給食が、働きながら子育てしているお母さんたちにとって、
非常に重要な位置を持っていることを知ることができました。

「正直を言うと、給食をしっかり出してもらえるので、仕事で忙しいときに
朝や夜にちょっと手を抜けることもあって助かるのです」などと語っているお母
さんもいました。子育てに理解がなく、男性と同じだけの労働を強いられる日本
の労働市場の現状では、お母さんたちが働き続けるために、保育園と、給食は
とても大事なのです。

ところがそこに放射能の危機が迫ってきている。だからこそみんなで知恵を
絞ってこの危機に立ち向かっていかなくてはならない。こうした観点から
お話をさせていただくとともに、できるだけその後のディスカッションの時間を
大事にして、みなさんと討論を重ねてきたいと思っています。

お近くの方はぜひご参加いただきたいですが、そうでない方、遠方の方にも
事後的に情報発信をしますので、みんなで知恵を重ねていきましょう。
園児たち、子どもたちを守るのは、私たちの未来を守ることそのものだと
思います。

なお末尾に「保育園給食を考える会・京都」についての記事も貼り付けて
おきます。また保育園での講演に関する問い合わせは、守田までメールでお寄せ
ください。

***********************

「どうしてこわい、内部被曝?何をどんなふうに食べたらいいの?」

被災地への支援・除染活動とともに、原発問題に取り組んでいるフリーライター
守田敏也さんをお招きして、現地でのお話をはじめ放射能問題などをお話してい
ただきます。

日時:2011/11/24(木) 18:30~20:30
場所:朱い実保育園ホール
内容:18:30~ 朱い実保育園の先生による、被災地からの報告
    19:00~ 守田敏也さん講演
    20:00~ 質問タイム

・外部のかたの参加もOKです(カンパとして200円お願いいたします)。
・保育はありませんので、お子さんと一緒に参加ください。
・フローリングでかなり冷えると思うので、座布団代わりのものをお持ち
いただくとか、カイロを用意するとか、寒くないような準備をしてお越し
ください。

*******************

「どうしてこわい、内部被曝?何をどんなふうに食べたらいいの?」
(一乗寺保育園でも朱い実保育園と同じ演題でお話します。)

日時:2011/12/2(金)18:30~20:30
場所:一乗寺保育園

詳しい案内はまた後日に!

*******************

保育給食 安全考えよう
京都新聞2011年11月8日

東京電力福島第1原発事故に伴う食品の放射能汚染問題を受け、保育所の給食
の安全性を考えようと、幼い子どもがいる京都市内の母親らがグループを立ち
上げた。保育所に対し京都を中心とした食材を使う「地産地消」の推進や材料
の産地公開などを求める。

「保育園給食を考える会・京都」で、メンバーは1~6歳の子どもがいる文筆業
や大学生など20~40代の母親ら9人。原発事故後、放射能汚染問題に関する勉強
会や講演会に参加するうちに知り合った。公立や民間の保育所は、給食の材料
を独自に購入しており、使用する野菜や魚介類の産地の選択や情報公開の取り
組みに差があるという。保育所の職員や保護者に関心を持ってもらうために、
グループとして活動することにした。

市保育園連盟の食育委員会に、内部被ばくについて議論するよう働き掛ける
予定。大学の研究者の協力で保育所で出される給食の放射能検査も考えている。
発起人の一人でNPO法人スタッフの篠原幸子さん(41)=左京区=は「全ての保育
所で地産地消などが実現するよう活動していきたい」と話している。問い合わせ
は同会のメールinfo.hoikuenkyuusyoku@gmail.comへ。(多和常雄)

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明日に向けて(328)阿媽たちを幸せにしたい・・・(台湾のおばあさんたちの東京での訴えに寄り添って)

2011年11月19日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111119 23:30)

みなさま。本日19日は京都で矢ケ崎さん講演会が行われました。朝から強い
雨が降っていたにも関わらず、たくさんの方が詰め掛けてくださり、成功の
うちに終わることができました。どうもありがとうございました。
すぐにもご報告を出したいのですが、すでにお伝えしたように、僕はこの
19日に先立つ17,18日と東京に行って、台湾から駆けつけた旧日本軍性奴隷
被害者のおばあさんたちと行動をともにしてきました。なので今日は先に
おばあさんたちのことを報告させていただきます。


今回来られたのは陳桃さん、陳蓮華さん、イアン・アパイさんの3名です。
陳桃さんと陳蓮華さんは台湾人、イアン・アパイさんはタロコ族です。
17日の午後1時に羽田に到着。空港で再会を祝いました。台湾から来たのは
他に台湾市婦女援助会のスタッフ、ホエリン、リーファン、カンカンの3名、
アパイさんの通訳で、ご自身のお母さんが被害者の高さん。他におばあさん
たちの映画をとっているクルー3名です。

日本側からは東京の、台湾の元「慰安婦」裁判を支える会の柴さんと中村さん、
支える会代表の渡辺牧師、京都から赴いた僕と連れ合いの浅井さん、友人の
村上さん、あわせて6人でした。

一行は、空港からすぐに国会を目指し、議員との面接に臨みました。阿媽
(アマア・・・台湾語でおばあちゃん)たちにあってくださったのは、社民
党党首の福島瑞穂さん、同じく社民党の服部良一さん、民主党の岡崎トミ子
さん、石毛えい子さん、今野東さんの3人です。

阿媽たちは、福島さん、服部さん、民主党のお三方と3回にわたって面談し、
それぞれに声を振り絞るような訴えをしてくれたのですが、そのうち福島さん
にお話したときの声を録音から文字起こししたので、まずはそれをごらん
いただきたいと思います。


陳桃さん(1922年生まれ)・・・日本語で直接訴え

私はね、渡辺警察に捕まえられて、高雄の、なんていうホテルか、私、名前
分からない。それで一晩泊まってね、翌朝、旭丸で6月4日に乗ってね、アン
ダバンまでいった。そのとき私はね、17歳のときよ、台湾の女学校の1年。
もう過ぎたことはわたし、何も言わない。

でも現在の日本政府はね、私たちを馬鹿にしてるよ。私たちはもう96歳の人
もいるのよ。それがね、私の思いはね、日本政府が出てきてね、おばあちゃん
たちにお詫びしてもらいたい。私の考えはね、お金はいらない。日本政府が出
てきてお詫びしたら、もう許すよ。

それが今ね、私たちは、おばあちゃんたちは、今年も二人、去年も二人、亡く
なっている。それで現在は10名しか残っていない。だからね、私の願いはね
日本政府が早く出てきてお詫びしてもらいたい。私の願いはね、賠償はいらな
い。今もう、年取っているからね、お金もらってもね、役にたたない。すぐに
亡くなってしまうよ。

日本政府のずるいところはね、60年間の歴史を隠して、若い人たちに教えない。
だから若い人たちは、ぜんぜん昔のことを知らない。歴史を隠して、ずるいよ。
台湾は違うよ。台湾は昔の出来事を何でも書いてるよ。


陳蓮華さん(1924年生まれ)・・・台湾語で訴え。台湾語から日本語に通訳。

私は今回はとても我慢して来ました。体はぼろぼろで足は痛いです。ですから
心から福島先生にお願いしたいのは、ぜひ日本政府が過去にやったことを認めて
欲しいです。そして被害を受けたおばあちゃんたちは亡くなって行きます。残る
のは数人だけです。だからぜひ早いうちにこの問題を解決してください。

今回は非常に期待を持っています。福島先生が助けてくださると思っています。
もう私たちは年を取っていて、体が言うことを聞きません。ですからこのことを
日本政府がどう解決してくれるか、寝ても考えています。

昔は本当に大変だったんです。生きて帰ってきた人は少なかったんです。ですから
先生、ぜひ、先生の力を借りて、問題を早く解決してください。そうしないと
死んでも悲しいです。この年になっていつこの世を去っていくか分かりません。
生きている間に解決してくれなければ、死んでも目を閉じたくないです。
日本政府はこのことをどうみているか、一言でもいいから話をしてください。


イアン・アパイさん(1927年生まれ)・・・タロコ語で訴え。タロコ語から
北京語、北京語から日本語に通訳。

今回は私は他の二人と一緒に日本に来て、福島先生にお会いして、先生を通して
この問題の解決ができると期待を持っています。このことで日本に何回も抗議に
来ています。ところが日本政府は私たちにあった過去のことをぜんぜん聞いて
くれません。

今回のことは確かに今からみると歴史の事件で、でもその中でどれほど私たちが
被害を受けたのか、日本政府はこれを見て欲しいです。日本政府は過去にあった
ことをあまり見てないみたい。実は私はこうして日本に来れましたが、体にたく
さんの病があります。心の病は本当に深いです。

先生のことに期待しています。もう私は日本に来れるかどうか分かりません。
ですから今回、日本に来て心から話していることをぜひ先生、聞いてください。
今、台湾の慰安婦にされたおばあちゃんたちは、元気なのはもう数人です。多く
はないのです。

以上


ちなみに阿媽たちは、公式には日本政府に謝罪と賠償を求めています。その点で
陳桃さんの発言は、阿媽たちの公的な要求と少しズレてもいるのですが、しかし
お金などいらないからとにかく謝って欲しいのだという声は、おばあさんたちの
思いをストレートに代弁しているとも思うので、そのまま載せました。
みなさん、これらの発言をどう思われるでしょうか。

いっぺんにたくさんの議員と会うためには時間調整がとても難しい。東京の
WAM(WOMENS ACTIVE MUSIUM)の渡辺さんが、随分骨を負って設定してくださり、
またそれぞれの議員の方たちも、何とか時間を繰り合わせてきてくださったので
すが、それでも僕は、日本につくや否や国会に直行し、議員会館の中で、何時間
もかけて日本の議員たちに話をする阿媽たちを見ていてとても胸が痛かったです。
申し訳ない。心からそう思います。


発言を終えた陳桃さんの手を握り、「阿媽、感動したよ。良かったよ」と言ったら
「あんたも本当に手伝ってよ」と阿媽は僕に言いました。笑いながら語られたの
ですが、心の中に響きました。

阿媽たちには時間がない。僕が親しくしていただいたおばあさん、一昨年、京都
から10人近くで台湾を訪れたときには、一緒に二人乗りの自転車に乗って遊んだ
おばあさんが、もう二人も亡くなってしまいました。僕が直接出会ったおばあさん
だけでもすでに5人も亡くなられてしまった。本当に淋しいばかりです。

陳蓮華さんは、日本政府が謝らなければ死んでも目を閉じたくないと語りましたが
すでに亡くなった阿媽たちの目は閉じていたのだろうか。今も開いているのでは
ないだろうかと思わずにはおれません。

かつて日本軍に地獄のような思いを強いられ、今は年老いて体に痛みを抱えた
おあばさんたち。そのおばあさんたちにこの国の政府は本当に冷たく惨い。それが
政府の姿である限り、同じ仕打ちは、国民・住民に対しても繰り返されます。
それが今回の原発事故への対応にはっきりと現れています。

だからこそ、僕は、この放射能に取り巻かれた状態の中で、台湾の阿媽たちをはじ
め、日本軍に性奴隷にされたおばあさんたちのことに、多くのみなさんに、目を向
けて欲しいと思うのです。おばあさんたちを助けることが、私たち自身の人権を守
ることにもつながるからです。

その意味で、阿媽たちの痛みは、水俣の痛み、そして原発事故被災者の痛みにつ
ながっていると僕は思います。・・・そんな痛みがもう消えはてて、阿媽たちに幸せ
になって欲しい。心の底からそう思うのです。

続く








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明日に向けて(327)「脱原発」市長誕生は、京都を越え、日本のため、世界のために画期的

2011年11月17日 22時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111117 22:30)

来年2月、京都では市長選が行われるのですが、僕は脱原発市政の
実現を掲げている中村和雄さんの志に共感して、「中村さんを市
長にしよう!勝手連」に参加しました。今回は、その思いをみな
さんにお伝えしたいと思います。

また勝手連は賛同人を求めています。京都市民であるなし、選挙
権のあるなしを問わずに募集しています。もし賛同にご協力願え
る方は、メール等々でお知らせください。勝手連からの賛同を求
めるアピールも末尾に貼り付けておきます。

***************

「脱原発」市長誕生は、京都を越え、日本のため、世界のために画期的
守田敏也 2011年11月15日

来年2月の京都市長選に向けて、「中村和雄さんを市長にしよう!
勝手連」が作られ、僕もお誘いを受けて参加しました。その勝手
連の、中村さんを囲んだミーティングが10月30日にありました。
僕はそこで中村さんやみなさんに内部被曝の危険性についての
お話をして欲しいと依頼され、レクチャーさせて頂きました。

すると僕の話に中村さんが非常によくうなづいてくださり、かつ
きわめて深い見識を示されるので正直なところ驚きました。その後、
参加者から中村さんのお仲間の弁護士の方々が、被爆者の方たちの
原爆症認定訴訟を担ったことを教えてくれて、なぞ?が解けました。
なんだ、釈迦に説法だったなと思いました・・・。

放射線の問題はどうしても原爆の問題と絡みます。核戦略そのも
のとして、「放射線は思ったほど危険ではない」と人々に思わせ
ることが求められてきたからです。アメリカがこれを主導しまし
たが、戦後、アメリカの最も強い批判者だった「社会主義陣営」の
ソ連も中国も、この点では見解を等しくしていました。
核武装したアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国がみな、
放射線の害を軽く扱う必要があったのです。

それで教科書が作られ、「国際」的に承認されてきた。それが
まとめられたのがICRP(国際放射線防護委員会)の考え方で
今も日本政府の見解のバックボーンとなっています。この考え方で
いけば「微量」の放射線は危険性がないから、ごく少量の放射能を
通常でも漏らし続けている原発も危険ではないことになります。

ところがそこで書かれた内容は、被爆者の実情にまったく合いま
せんでした。というより多くの被爆者が「被爆者」として認められ
ずに切り捨てられてきたし、被爆者として認められた方たちでも、
放射線に起因した病に罹っているとして「原爆症」に認定された
人はごくごくわずかでした。

よく100ミリシーベルト以下での放射線の害については、データ
がないと言われますが、まったくのウソです。実際にはデータが
ないのではなく、意識的にデータをとらなかったのです。
広島でも長崎でも、たくさんの被爆者を「あなたは被爆者ではない」
と追い返したし、チェルノブイリでも患者群が見つかると、医師たち
が飛んで行って、「気の病だ」という診断を下しています。
そしてそれらが放射線に関する疫学的な調査からはずされました。

こうしたことが象徴していることが、2003年で、被爆者約25万人の
うち、放射線を起因とする病(原爆症)と認定された方がわずかに
2000人余りであったことです。なんと認定された被爆者の1%にも
満たなかったのです。それが未だにこの国の放射線に対する考え方
のバックボーンをなしています。

これに対して、教科書(現在の放射線学)にはそう書かれていても、
現に被爆者がこれだけの病を発症しているではないか、それを認め
よと長年にわたって活躍されてきたのが、肥田舜太郎医師でした。
さらにそうした肥田医師らの活動に支えられつつ、2003年よりはじめ
られたのが、原爆症認定訴訟でした。国を相手どったこの裁判は、
なんと19回の連勝を数えたのですが、その弁護に立たれた方たちは、
日本の中で、いや世界の中で最も放射線の危険性を実際の人に即し
て知っている弁護士さんたちです。

これに対して現代の医師たちの大半は被爆者を診たことがない。いや
物理学者も大半は被爆者を診ていない。ほとんどの人がアメリカが
書いた教科書から出発しています。

実は脱原発運動の中にもこうした見解はあります。僕自身も恥ずかし
ながらそうでした。放射線の危険性や内部被曝の怖さを、311まで
きちんと把握してこれてはいませんでした。そのため原発の危険性は
指摘できても、通常運転中で出されている放射能でもかなり危険だと
いうことをきちんと批判してこれなかった。僕もまた、被爆者の苦し
みと接合しないで脱原発を考えてきたからです。今はそれをとても恥
ずかしく思っています。

これに対して、中村さんは自ら訴訟に関わってはいないのですが、
お仲間たちと常に問題意識を共有してこられた。そのことで、放射線
に対する、現実の、最新の知恵を吸い込むように身につけて来られた
のだと思います。僕などより、ずっと見識が深いです。

さらにこうしたことを可能にしたのは、中村さん自身が、水俣病訴訟
に関わってこられたためでもあると思います。実際、中村さんは、今
の政府の在り方が水俣病のときとあまりにも似ていてぞっとすると
おっしゃっていました。だから政府のウソもいち早く見抜ける。

それらから僕は、この方が市長になれば、京都市民だけではない。
もっと広範な方、たくさんの方を守ることができるとの非常に強い確信
を得ました。僕は311からこれまで、放射線被曝から人々を少しでも
守りたいと思って駆けてきましたが、今はそのためになんとしても中村
さんに市長になっていただきたいと思っています。

そうすれば、これほどに嘘ばかりつく政府、マスコミ、被曝から人を守
らないこの国のあり方に待ったをかける市政が作れる。多くの人々の
希望の一里塚になれる。そして(そんな展望などまったく考えもしてこ
なかったけれど)京都が本当の意味で環境都市として世界にアピールを
発する町になることもできるとそんな夢も膨らんでいます。

以上より、僕は「脱原発」市長を実現するために、全力を傾けようと思
います。みなさん、ぜひ各地で「脱原発」の町を生み出していきましょう!


******************* 転送・転載歓迎 ****************************

中村和雄さんを市長にしよう!勝手連
賛同人募集!!

********************************

私たちの思い

私たちの街、京都。新しい感覚と伝統が絶妙な調和を生み出し、子どもたちが
遊ぶ鴨川のすぐ後ろには低い山々が見渡せて、山の緑と川のせせらぎに心をな
ごませる毎日。そんな当たり前の幸せを大切にしたい。

私たちが知らないところで、進んでいる梅小路公園内の水族館の建設、岡崎公
園のオペラハウス、超豪華なモデル校と窓ガラスを補修することもできない一
般校の「格差」、地元商店の閉鎖と他都市から大企業の参入。こんなものは、
京都にはいらない!!

今こそ京都市民ひとりひとりが京都を創るとき。市民の立場に立ち、市民と共に
これからの京都を創っていこうとしている中村和雄さんとともに行動して
いきます。

********************************

私たち勝手連は、どんな政党や組織にも縛られない、ひとりひとりの市民の集ま
りです。賛同人リストにはお名前のみを記載しますので、肩書きや所属は必要あ
りません。ぜひ、賛同人になってください!!
賛同してくださる方は、sando@for-kyoto.net 宛てに「賛同します」というメッ
セージとお名前をフルネームでお送りください。

皆さまのお名前は、勝手連チラシの裏面、ウェブサイト上に掲載させていただき
ます。お名前の公表を望まれない方は、その旨お知らせください。
なお、勝手連では、活動資金のためのカンパも募っております。口座などは設け
ておりませんが、集会などで随時受け付けております。よろしくお願いいたします。

中村和雄さんを市長にしよう!勝手連  http://for-kyoto.net/

連絡先:事務局(田中愛子、青木理恵子)Tel: 080-6121-9694
Email: 2012@for-kyoto.net

中村和雄オフィシャルサイトをご覧ください。http://neo-city.jp/ 

***********

中村和雄さんを囲んで
~来て、見て、聞いて!!!これからの京都を創るために~

日 時:2011年11月21日(月)6:30 - 8:30 pm (開場6:10pm)
場 所:ハートピア京都 第5会議室
京都市営地下鉄丸太町駅 5番出口すぐ
参加費:300円(会場費カンパ)
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明日に向けて(326)今、一番大事なのは、内部被曝の危険性をしっかりつかむこと(矢ケ崎さん講演会へ)

2011年11月16日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111116 23:30)

すでに何度かお知らせしていますが、11月19日に矢ケ崎さんを京都にお招きし
講演をしていただきます。あと3日になりましたので、再度、お知らせします。

岩手や福島の被災地に入った大阪のレスキュー隊員が、内部被曝を受け、吐血を
繰り返した後に10月26日に亡くなったことが伝えられています。にもかからわず
福島では中学生の女子生徒をも含めて駅伝レースが強行され、さらに政府による
除染ボランティア募集がなされるなど、さらに多くの人の被曝が促進されようと
しています。

この背後に横たわるものは、内部被曝の恐ろしさの徹底した軽視、無視、隠蔽です。
これと立ち向かうために、ぜひ矢ケ崎さんのお話を聞き、内部被曝のメカニズムを
わがものとしてください。


矢ケ崎さんが明らかにされてきたのは、放射線の人体への影響は、主に電子を
はじき飛ばして分子を切断してしまう電離作用にあることです。この電離作用は、
放射性物質から出るα線、β線、γ線のすべてが持っていますが、中でも一番
強い力を持っているのがα線です。次に、β線、γ線と続きます。

α線は次々と分子の電子を飛ばして電離していくため、空中でも45ミリしか
飛びません。45ミリの間で激しく衝突を繰り返すのです。人体細胞の中では
空気中の1000分の1の40マイクロしか飛びません。そこで激しく電離を行います。

β線の場合は、空気中で1メートル。その間にやはり激しく電離を行い、人体
細胞の中では2.5ミリしか飛ばず、そこで激しく電離を行います。これに対して
γ線は、α線やβ線ほどには電子に当らないので、もっと遠くまで飛ぶし、人体
もある部分は通過していきます。

このことが重大な意味を持ちます。放射線のこの性質から、人が外部被曝する
のはほぼγ線に限られることに対し、内部被曝ではα線もβ線もγ線も全部受
けてしまうのです。

しかもγ線はまばらに細胞に当ることに対し、α線やβ線は局所に密集してあたる。
細胞やその中にある染色体の修復作用を許さない激しい被曝が起こります。
ここに外部被曝と内部被曝の根本的な違いがあります。

ところが現在の国際的に認知された放射線学はこの根本的な違いを無視しています。
そのため外部被曝と内部被曝が、足しあわされて人の被曝量とされますが、これは
外部被曝モデルで考えた数値の出し方で、密集的にあたる内部被曝の影響が極めて
小さく見積もられているのです。

これをもたらしたのは、もともとアメリカ軍が、原爆の非人道性を小さく見せる
ために放射線の影響を非常に低く見積もり、とくに内部被曝を一切無視したこと
によります。そこに放射線の影響が軽視されている根拠があるのです。

・・・こうした点が、矢ケ崎さんのお話のエッセンスになりますが、矢ケ崎さんは
これを豊富なデータや、グラフ、実際に福島などで見聞きしてきたことなどを踏ま
えて説得力を持って話してくださいます。すでに311以降の講演回数も100回かそれを
上回っているのではと思うのですが、その都度、内容のバージョンアップをされて
きています。忙しい中であらたな論文も書かれています。

そんな矢ケ崎さんの、最新のデータに基づくお話を聞きにきてください。
みなさんのご参加をお待ちしています!


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いまこそ原発を問う連続講座(第4回)

●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○

    こどもたちを放射能から守るために
   ―知らされなかった内部被曝の真相―

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3.11福島第一原発の事故からずっと、私たちの生活環境は放射能に汚染され
続けています。関西でも、市民による日常的な計測の必要性が話題に上って
きています。とくに感受性の強いこどもたちの未来を守るために、今、わたし
たちは何をしなければならないのでしょうか。

食べもの・飲み水の放射能汚染に、「安全なレベル」はあるの?家庭で気を
つけられることは?こどもたちのためにできることは?低線量被曝・内部被曝
の危険性について、信頼できる見解と正確な情報が求められています。矢ケ崎
克馬先生のお話を聞いて、一緒に考えてみませんか。

■日時:2011年11月19日(土)午後1:00~3:20(12:30開場)

■会場:京都市東山いきいき市民活動センター
3階多目的ホール(こどもスペースあり)

京都市東山区花見小路通古門前上る東入る南側
京阪電車「三条」駅、地下鉄東西線「東山」駅、「三条京阪」駅より徒歩5分
京都市バス 5,12,46,100,201,202系統 ・・・ 東山三条
5,10,11,12,59系統 ・・・ 三条京阪前

【アクセスマップ】
http://bit.ly/iLr6IZ
  
■講師:矢ヶ崎 克馬さん(琉球大学名誉教授)

1943年、東京生まれ、長野県松本育ち。広島大学大学院理学研究科で物性物理学
を専攻。理学博士。2009年3月、琉球大学理学部教授を定年退職し名誉教授に。
2003年から国を相手取った原爆症認定集団訴訟で「内部被曝」について証言を行い、
連続19回勝訴の礎となる。3.11原発震災後は、放射能汚染=被曝の深刻さを訴え、
全国で熱い講演を続けている。

■ディスカッション:矢ヶ崎さんと、子どもたちを被曝から守るために行動して
いる、福島から避難中・京都(ほっこり通信)・滋賀(原発のない明るい未来を
みんなでつくるネットワーク・あすのわ)の3名の女性たち。

【関連サイト】
京都のお母さんから~福島のお母さんへ  ほっこり通信
http://ameblo.jp/ima29/entry-10965014972.html

原発のない明るい未来をみんなでつくるネットワーク・あすのわ 
http://asunowa.shiga-saku.net/e617610.html
守田敏也さん(フリーライター)がディスカッションをコーディネートします。

■参加協力券:500円
※開催資金の確保のために、参加協力券(前売りチケット)を販売します。
購入ご希望の方は下記問合せ先までご連絡ください。
※チケットがなくても、当日参加費500円で参加いただけます。

■スタッフ、協賛団体など、協力して下さる方を募集中です。
若いママ・パパ、学生さん、一緒にどうですか(会場に「こどもスペース」あり)♪   

■主催:「いまこそ原発を問う連続講座」実行委員会
http://d.hatena.ne.jp/genpatsu-iyayo/

■協賛:原発のない明るい未来をみんなでつくるネットワーク・あすのわ 
http://asunowa.shiga-saku.net/e617610.html

■問合せ・連絡先: 090-2199-5208(大須賀)



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明日に向けて(325)レスキュー隊員が被曝で亡くなった・・・札幌での集会の会場発言から

2011年11月15日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111115 23:30)

11月6日に、札幌で「全国学校給食フォーラムin札幌」が行われ、放射線の
専門家の崎山比早子さん、科学ジャーナリストの天笠啓祐さん、俳優の山本
太郎さんなどが発言されましたが、企画中の会場との応答の中で、ある
小学生のお子さんをお持ちの女性が発言され、自分の友だちの大阪のレス
キュー隊員が内部被曝によって亡くなったという衝撃の発言をされています。

その発言の部分がYou Tubeで流されています。僕も見ましたが、発言を聞い
ていて、強いリアリティを感じました。もともと放射線に対する何の構えも
持っていないレスキュー隊員たちが、放射線値の高いところ、放射性物質が
たくさん浮遊しているところに入れば、相当の被曝をしてしまうことは必然
で、こうしたことが起こっているのではないかとこれまでも胸を痛めていま
したが、「やはり」と、とても悲しい思いをしました。

亡くなった方のご冥福を心から祈りたいです。僕もさまざまな場面でレス
キュー隊の方と交流した経験があるのですが、みなさん、毎日自分を鍛え、
人を救うことにかけている方たちです。そうした方たちが、放射線に対して
無防備で作業をさせられ、深刻に被曝してしまったことに、深い憤りを感じ
ます。その死を無駄にしないためにも、この会場発言による告発を、とりあ
げておきたいと思います。

映像は以下から見れます。
「全国学校給食フォーラムin札幌」レスキュー隊員の死亡
http://www.youtube.com/watch?v=bqV80A860fc

会場から発言された内容は以下の通りです。話し言葉のまま掲載します。

10月26日に私の大阪の友達が亡くなったのですけれども、災害派遣で、レス
キューで、岩手とか福島とか、ずっといっていた方なのですけれども、7月
に内部被曝だということが分かって、チームの人はみんな内部被曝していた
のですけれども、それでも派遣の出動命令が止まなくて、レスキューの人た
ちって、過酷な訓練を受けて、人よりも何倍も、人のために何かをしたいと
思ってなった人なので、自分たちが被曝していても行ったのですけれども、
結局、本当に体の体調が悪くて、もうこれ以上無理と分かって、チームの
人たち、みんな辞職してしまったのですけれども、そのときも上の方からは
非国民扱いされて、辞めたのですけれども、7月にそのことが分かってから、
本当に3ヶ月ちょっとで、何度も吐血して、最後には腎不全で亡くなったの
ですけれども、がれきの処理をしてくださる方が、安全にというのは、不可
能なのでしょうか。私たちのためにそうやってやってくださる方が、みんな
命を落としていくというのがどうしても納得できないというか。でもそれが
私たちにできるかといえばすることはできなくて、その辺はどうなのでしょ
うか。それをお聞きしたかったのですけれど・・・

発言は以上です。


こうした放射線を起因とする発病、それが悪化して亡くなるケースはすでに
あちこちで多発していると思われます。これもなかなかマスコミは報道しな
いでしょうから、私たちが自分たちでそうしたケースを伝え合い、今、私た
ちに起こっている危機の実相をつかんでいく必要があります。こうしたケース
をお知りの方は、ぜひ私まで情報をお寄せください。

今、市民が積極的に計測を始めることによって、各地でホットスポットが
見つかったり、横浜までストロンチウムが飛んでいたことなどが明らかになり
だしていますが、同様に健康被害についても、市民主導で独自調査を行い、そ
の実態を明らかにしていく必要があります。これもまた市民が互いを守りあっ
ていくことにつながります。

とくに放射線値の高いところで、作業・ボランティア・仕事などをされて、
体調不良を起こされている方は、ぜひとも行動記録をつけ、ご自分のつめや
髪の毛を保存してください。症状が重い場合は、医師に診察を受けるとともに、
尿の放射線検査なども受けることをお勧めします。小さなお子さんの場合は、
乳歯も保管しておいてください。
もちろん検査や通院にかかった領収書は全部保管し、あとで東京電力に請求し
ましょう。

たくさんの大事な命を守るために、今、市民の連携が問われています。
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明日に向けて(324)台湾からおばあさんたちがやってきます。・・日本軍性奴隷問題の解決を求めて(東京)

2011年11月14日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111114 23:30)

11月18日から21日まで東京で、台湾の旧日本軍性奴隷問題(いわゆる従軍慰安婦
問題)被害者の阿媽(台湾語でおばあさん)たちの写真展が行われ、その初日に、
3人の方が来日してくださることになりました。たぶんこれが最後の来日になる
のではと思います。僕もかけつけます。どうか東京近辺の方、ぜひご参加ください。

僕はこの問題に、2004年より関わってきましたが、この間の原発問題と非常に深い
つながりを感じています。なぜか。原発は、原爆と深い関わりがあり、アメリカが
行った歴史的な戦争犯罪の隠蔽の上に、その開発が進められてきたからです。その
ためにヒバクシャが切り捨てられた。放射線の影響を小さく見せるためです。

実はこうしたアメリカの一連の「核戦略」に、いち早くかかわったのは旧日本陸軍
でした。彼らは原爆投下後にすぐさま医療団を派遣して、綿密な調査を開始、終戦
後に自らそれを英文に翻訳して、アメリカ軍に差し出しました。アメリカはそれを
「革命的報告」として受け取った。原爆の威力が克明に分かったからです。

どうして旧日本陸軍はそんなことをしたのか。当時の大本営の生き残りの方は、端
的に「731部隊などがあったからだ」と述べています。731部隊とは、中国大陸で、
人体実験などを繰り返した日本軍の医療部隊のことですが、それに象徴される戦争
犯罪を裁かれることを彼らは最も恐れた。それをかわすために情報提供が行われた。

「原爆は最もいいカードだった」と元大本営幹部は述べています。自らの戦争犯罪
を隠すためにです。なぜ最もいいカードだったのか。当たり前ですが、原爆投下も
最もひどい戦争犯罪だからです。この点で戦争終結時点で、旧日本軍とアメリカ軍
の利害は見事に一致してしまった。それで陸軍は「鬼畜米英」に日本人を差し出した。

僕は「売国奴」とか「国辱的行為」とかの言葉は、・・・使うとすれば・・・こう
いうときに使うべきではないかと思うのですが、戦後一度も「右翼」とか「民族派」
とか名乗る人々から原爆への批判を聞いたことがありません。その意味で日本は本当
は民族派右翼などいない国なのだと思います。いて欲しいわけでもありませんが。

それはともあれ、このようにして旧日本軍幹部たちのうち、相当数が「戦犯」として
処罰されることを免れました。その代わりにこれらの人々は、アメリカの戦争犯罪も
けして告発しなかった。原爆投下も、数々の都市空襲も「戦争だから仕方がない」こ
ととされてしまった。多くの日本国民・住民の戦争被害が無視されてしまった。

こうした脈絡のもとに、日本軍の行った数々の戦争犯罪も隠されてしまいました。そ
の一つが、日本軍がアジアの各地に「慰安所」という名前の強姦施設を作り、何十万
もの女性たちを性奴隷にしたことです。これもまた旧日本軍関係者によって徹底的に
ふたをされ、それをアメリカも容認した。戦争犯罪の隠蔽をアメリカが助けた。

それで誰が被害を被ったのか。民衆です。アジアと日本とアメリカの民衆なのです。
アジアの民衆は、侵略戦争で被ったもの凄い被害の賠償を受けられませんでした。誠
実な謝罪すらなく、長く苦しい時を過ごした。同時に実は日本民衆も、日本政府によ
る戦中の迫害や、アメリカ軍の非人道的攻撃への謝罪も補償も受けていません。

日本軍兵士もそうなのです。僕はフィリピン戦線で地獄のような体験をしたおじいさ
んたちから、戦争体験を聞き取ったことがあります。またさまざまな戦史の研究もし
てきました。そこで分かるのは、いかに日本軍兵士が理不尽な戦闘、あまりに合理性
に欠けていて、勝てるわけのない戦闘に狩り出されたのかという実態です。

日本軍は兵士の命を極端に軽視していた。実際に兵士は、「お前たちは一銭五厘で
集められる。軍馬の方が貴重だ」などと言われていた。そればかりか日本軍は構造的
なリンチ構造を持っていました。性的虐待も行われていた。訓練中の死亡などは日常
茶飯事のことで、そこには人権のかけらもなかった。

そういう兵士たちが、野に放たれると、凶暴さを発揮しました。とくに中国戦線では
残虐な行為が日常的に行われ、兵士による市民へのレイプ事件が頻発しました。しかし
軍は積極的には取り締まらなかった。ところがレイプが増える中で、性病が広がりだし、
それで「対策」が始まり、「慰安所」が作られ、「処女狩り」がなされた。

肝心な点は、そこで多くの兵士たちが、構造的暴力に自らが手を染めてしまったため
に、己が受けている虐待を告発できなくなってしまったことです。そのために、戦後
も元兵士たちは、あれほどにひどい目にあわされたことへの告発をなすことができな
かった。自らが受けた虐待を、他の誰か、特に女性への虐待に転嫁したからです。

そのため、日米両軍幹部による、互いの戦争犯罪の隠蔽の中で、日本軍兵士たちが
おかれたあまりに非人道的な待遇への謝罪、補償も何らなされなかった。軍人恩給は
主に彼らを虐待した上官たちに手厚く配分されました。さらに度重なる空襲を受け
た日本民衆は何の補償も受けていません。誰からも何の謝罪もされていません。

ではアメリカ人はどうなのでしょうか。実は最初の原爆によるヒバクシャはアメリカ
人なのです。ニューメキシコ、有名なアラモ砦のあったあたりだそうですが、そこで
人類最初の核実験が行われ、放射能が撒き散らされました。7月のことです。被曝と
いうことで言えば、それに先立つウラン鉱の採掘でも起こっています。

アメリカは第二次世界大戦終結後、ネバタ砂漠で核実験を繰り返しました。その際、
実はたくさんの兵士が動員され、人体実験が行われた。核爆発の後のきのこ雲(放射
能の塊)に向けた突撃訓練が行われた映像が残っています。彼らはアトミック・ソル
ジャーと呼ばれます。アメリカ軍は兵士を使って放射能の影響を調べたのです。

そればかりではありません。国中に作られた核兵器製造のための秘密工場は、たびたび
プルトニウム漏れ事故を起こしました。そのためアメリカ国内には膨大なヒバクシャが
生まれた。もし広島・長崎の真実が明らかになっていたら、これらの人々のかなりの
部分が被曝を免れたでしょう。しかし残念ながらそうはなりませんでした・・・。

こうした構造のもとで、広島・長崎のヒバクシャは切り捨てられてしまいました。アメ
リカ軍は、原爆の非人道性の暴露を恐れて、1945年から1952年までマスコミをシャッタ
アウトし、被ばくの実相が世界に伝わらないようにした。そのためヒバクシャはまとも
な医療保障も生活保護も受けられず、塗炭の苦しみを舐めました。

同じ頃、アジアの人々も、戦争の惨禍からなんの援助もなく、生活を再建していかなけ
ればなりませんでした。中でも本当に苦しい思いをしたのは、性奴隷として戦場をひき
まわされ、挙句の果てに日本軍に放り出された被害女性たちでした。多くの場合、彼女
たちはその悲惨な体験を誰にも打ち明けられず、胸に秘めて長き年を過ごしてきました。

このような歴史的経緯をみるとき、ぜひみなさんに知って欲しいことは、長年の沈黙を
破ってはじめられた被害女性たちの告発、おばあさんたちの叫びは、実は戦争で犠牲に
なった各国の民衆の尊厳や利益に通じることなのだということです。彼女たちが告発し
ているのは、日本軍の構造的暴力です。その背後にある日本社会の構造的暴力です。

それは同時にたびたび日本の民衆にも向けられてきたものです。おばあさんたちは勇気
をもって、それに立ち向かってきた。怒りの声を上げた。私たちが認識しなければいけ
ないのは、それが日本民衆の人権を守ることにも繋がってきたことです。日本社会の構
造的暴力が弱まれば、その恩恵を一番、受けるのは日本の国民と住民なのです。

おばあさんたちは、とくに戦後世代の私たちに対してはこう語ってきました。「悪いの
は日本政府と、日本軍だ。あなたたちは何も悪くない。日本の若い人たちは大好きです」
と。これは各国のおばあさんたちに共通する声です。そこには個人的な恨みを超えた
普遍的な愛がある。この問題に携わって知るのは彼女たちの人間愛の深さです。

みなさん。現在の日本政府は、国民と住民に構造的暴力を振るっています。その一つが
放射線管理区域で、女子中学生にマラソンをさせたり、善意のボランティアを集めて、
除染という被曝労働を組織して、東京電力と政府の尻拭いをさせようとしていることで
す。汚染地帯からの避難を押しとどめているのも、まさに民衆への暴力です。

そしてその暴力を、核武装をして、世界中で劣化ウラン弾を使っているアメリカがバック
アップしている。放射能の恐ろしさに民衆が自覚的になり、さらに構造的暴力に人々が
敏感になると、誰よりも困るのはアメリカだからです。アメリカは現在進行形で数々の
戦争犯罪を繰り返している。それに気づかれることを恐れている。

だからこそ、今、性奴隷というもっとも過酷な戦争被害を受けながら、本当に逞しく人
間的愛をはぐくんできたおばあさんたちに触れること、その声を聞くこと、痛みをシェア
し、さらに未来への希望、自分たちの死後への彼女たちの願いを受け取ること、その中に
僕は、現代の暴力のすべてを超えていく可能性が秘められていると思うのです。

みなさま。ぜひおばあさんたちの写真を見に来てください。彼女たちの声を聞きにきて
ください。逞しい姿、りりしい姿、でもどこかとてもかわいい彼女たちに会いにきて
ください。そして一緒にこれからの私たちの歩むべき道を考えましょう。一人でも
多くのみなさんのご参加をお待ちしています。

以下、案内を貼り付けます。

***************

写真展「長路漫漫ーおばあさんたちの旅路-」と3人の阿媽の来日のお知らせ
  
~ぜひ、ご参加下さい~

11月18日~21日まで台湾の元「慰安婦」被害女性たちの写真展を開催いたします。
また、今回きゅうきょ台湾から阿媽たちが来日してくれることになりました。

台湾の阿媽たちは平均年齢が90歳近くになっており、今回来日してくれる3人の
阿媽も84歳から89歳、今回が最後の来日ではないかと思います。

今回の写真展には、ワークショップで阿媽たち自身が写した写真も展示しており
ます。阿媽たちがお互いを写している様子、また阿媽の感性に基づいたすてきな
写真も何点か飾ります。

ぜひ、会場にいらしていただき、阿媽の作品である写真を見て下さい。

そして「阿媽とともに」の集会にご参加いただき、阿媽たちに「台湾の『慰安婦』
被害女性のことを忘れていない」ことをお伝え下さいませんでしょうか。

私たちにとっても阿媽たちの活動が大きな励みになっていますが、私たちが日本
の困難な状況の中で「慰安婦」問題解決のための努力を継続していることは阿媽
たちにとっても大きな励みになることと思います。


写真展:
日時:11月18日(金)~21日(月)午前10時~午後7時
場所:中野ゼロ西館2階 美術ギャラリー
   (東京都中野区中野2-9-7・JR中野駅南口下車 徒歩約8分)

集会:「阿媽たちとともに」
日時:18日(金)午後6時半~8時40分
場所:写真展と同じ場所 第2学習室 資料代500円
内容:阿媽たちのあいさつ、
   婦援会 台湾での阿媽たちの現在など
          
来日する阿媽は下記の3人です(予定)。
★陳桃さん(Chen Tao) (1922年生まれ)
19歳のとき、学校へ行く途中、日本人警察官に呼び止められてそのまま高雄
から船に乗せられる。着いたところは海に四方を囲まれたアンダマンだった。
妊娠もし、クレゾールを飲んで自殺を図るなど辛い体験の中を生き抜いてき
た。裁判の原告の1人。「裁判は負けたけれど、自分の心は絶対負けない」
と言う。

★陳蓮花さん Chen Lian Hua 1924年生まれ)
19歳のとき、フィリピンのセブ島につれていかれる。日本とアメリカとの激
しい闘いの中で兵隊について山の中など逃げ惑う。

★イアン・アパイさん(中国名:林沈中 Lin, Shen Chung)
1927生まれ:タロコ族
17歳のとき、の近くの日本軍の駐屯地で雑用をするようにと日本人警察
官にいわれる。ご飯炊き、ボタンをつけなど衣服の修繕等雑用をさせられる
が、そのうち、夜連れ出され、強かんされる。日中は仕事、夜は強かんされ
るという悪夢のような日々が続いた。

台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会 柴 洋子

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明日に向けて(323)危険な除染作業にボランティアを募るのは間違っている

2011年11月13日 23時30分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111113 23:30)

本日、福島市で東日本女子駅伝が強行されてしまいました。中学生、高校生
の選手たちが走らされてしまった。無念であり、腹立たしくあり、悔しいで
す。政府はこうして若者を含む一般の人々の被曝をどんどん推し進めようと
しています。その一つが、きわめて危険な除染作業へのボランティアの募集
です。これも信じがたい行為です。人の好意に付け込み、無償で被曝労働を
させようとしている。傷害と詐欺が、いっぺんに行われようとしています。

これはあまりにおかしい。第一に除染活動は、放射能のあるところにいく作
業です。除染しなければいけないものがあるところに行くわけで、必ず外部
被曝します。その上に対処がきちんとしていなければ、内部被曝の危険性が
つきまといます。というより、僕自身が行った実感として、高度な訓練を
受けていないと、ほとんど確実に内部被曝もしてしまいます。

たとえばマスクの使い方一つとってみても、実は厳密に使うのはそれなりの
訓練を経ないと難しいのです。というのはマスクはつけはずしのときが危な
い。基本的には両手でゴムを持ってはずして、そのまま捨てるようにしない
といけない。表面が汚染されているので、そこを触ったら、汚染物質がつい
てしまうからです。そのため、休憩のときにどうするのかなど、細かい配慮
がないと、厳密に使うのはなかなか難しい。

また完全防護服を着て、作業後に脱ぎ捨てない限り、汚染物質は衣服につくし、
身の回りのあらゆるものにもつく。それらはほとんど考慮しないために、除
染現場から離れてマスクをはずしたときに、呼吸によって取り込まれてしまう
可能性が高い。なにせ放射能は見えないので、いつマスクをとってよい安全な
状態なのかが分からない。だからこそほとんどの場合、現場を離れればすぐ
にマスクを取ってしまうと思います。

それだけではありません。繰り返しますが、除染に参加することは、汚染地
域に行くことを意味するわけですから、自らが被曝するだけでなく、実は自
らが汚染物質の移動者になってしまう可能性も高いのです。現在の作業では
そうしたことへの配慮も何もない。このままでは多くの方が、衣服にたくさ
んの放射性物質をつけたまま、家に持ち帰ってしまうでしょう。もちろん移
動中のあらゆるところに、放射性物質を拡散することになる。

これを厳密にかわすことはきわめて難しい。ほとんど不可能だというのが僕
自身が除染活動に関わった実感です。除染活動が終わった後に入るクリーン
ルームを設置して、着替えを行い、シャワーを浴び、汚染物質を全部捨てな
いと、汚染と自分を切り離すことができない。移動のための手段(たいてい
は自動車でしょうが)も、本来、そこで乗り換えないといけない。しかし実
際にこれらのことを実現するのはきわめて困難です。

それで「そんなに神経質にならなくても、これぐらいの放射能ならたいして
危険性はない」という解釈が必ずされる。というより、そう考えないと作業
ができない。しかしそれはとても科学的な観点とは言えません。なぜってそ
のつどきちんとしたその場の計測(土壌分析などを含めて)がなされるわけ
ではないし、さらにどれだけの核種が、どれぐらい出ているのかも、まだつ
かまれていないのだからです。

後から後から、やれプルトニウムが飛んでいた、ストロンチウムは横浜まで
飛んでいた、テルルがあった、銀があったと、小出しのつけたしが繰り返
されている。おそらく今後、もっと違う核種の存在もつけたされてくるでしょ
う。自発核分裂性の高いキュリウムなども出てくるかもしれない。今はあまり
にグレーゾーンが大きい。

その点で、今なすべきことは、ボランティアの募集どころか、除染への住民
参加を見直し、もっと徹底した除染における被曝防護体制を作り出し、さらに
放射線への感受性の高い女性・若者・子ども、また免疫力が落ちている高齢者
や疾病を抱えている人などに作業をさせないことを徹底すること、その上で、
作業ごとの被曝線量をきちんと見積もり、記録化し、事後的な医療相談体制を
作って、被曝の影響に備えていくことなどであるべきです。

少なくとも除染活動は、被曝覚悟の活動であり、かなりのリスクが伴うことを
周知徹底していかなければ詐欺です。すでに住民相手にこの詐欺と傷害が
行われてしまっていますが、これがボランティア募集によって、拡大されよう
としている。放射能のついたがれきを全国に引き受けさせて被曝させようと
いうだけでなく、汚染地に人々を呼び寄せて、被曝させようとしている。
なんということでしょうか。


こうした詐欺・ペテンとしかいいようのない点は、次のような募集項目にも
あらわれています。

「4.ボランティア保険及び放射線被ばくに関する留意事項
ボランティア活動中の様々な事故による怪我や損害賠償責任を保障する保険が
ありますので、保険の補償の範囲(通常、放射線被ばくは保険の対象外)や
保険費用を踏まえて、ご加入・ご更新をお願いします(原則、自己負担です)」

ボランティア保険に入ってください。ただし放射線被ばくは対処外ですよと
言うわけです。しかも保険加入は自己負担とされています。
これは本当におかしい。いやそもそも除染活動がボランティアとなるのがおか
しいのです。

なぜなら除染活動は、東電が犯した社会的犯罪の後始末の行為なのだからです。
この点で津波によるがれき撤去などとは断じて違う。人災なのです。なのでこ
のボランティアは東電と政府を助けることにしかならない。そのために無償で
心ある人々を被曝させて働かせようというのが除染ボランティア募集です。

もし1000歩譲って、やるというのであれば、東電および政府の責任のもとに、
相当量の代金を払うべきだし、同じく放射線被ばくをも対象とした補償制度を
作り、参加者の事後的な健康相談にも対処すべきです。ところが現実には、
事実上、参加者に被曝の可能性と危険性をなんら教えることなく作業に従事
させようとしている。しかも何の訓練も受けたことのない人々をです。しかも
無償でです。これはあまりにひどい。傷害と詐欺とがいっぺんに行われようと
している。

この点で、僕はこの活動の指揮を執っている細野大臣を強く批判したいと思うし
みなさんに、細野大臣への注意を呼びかけたいと思います。もともと事故後に
首相官邸で対策チームに入ったときにきわめてアメリカと近い位置にいたこと、
また原発担当大臣への就任の前にアメリカに渡航していることなど、僕は彼は
アメリカの強い示唆を受けて、「事故収束」の絵を描いている人物だと睨んで
いますが、今回でも彼は、十二分に作業者の深刻な被曝の危険性を知りながら
この作業を推し進めています。そのために自分もまたマスクもしない極端な軽装
で、除染活動に加わるパフォーマンスを行った。非常に悪辣だと思います。

細野大臣は、ボランティア対策について、次のように述べたことがNHKによ
って報道されています。「非常に大事であり、こういうやり方でやれば大丈夫
だというマニュアルは重要だと思う。今後、分かりやすいものを示していきた
い」。つまりマニュアルすらなしに現に人を集めて除染活動をはじめている実
態が見えると同時に、「除染は正しくやれば安全だ」というメッセージがここ
にあらわれています。


こうした一連の行為に見られるものとは何か。女子中学生に放射線管理区域を
超える線量のところでスピードレースをさせたり、心あるボランティアの人々
にきちんとした防護もなく被曝労働にあたらせる行為。私たちは実はこれこそ
が原発の存在そのものであることを認識しておく必要があります。

つまり今、行われていることは、原発労働において、常に行われてきたことの、
全社会化なのだということです。きちんとした安全対策も、事後のケアも何も
なしに、放射線防護に関する知識のない人々をかき集めて働かせてきた原発。
そんなことを平気でさせてきた電力会社や、それを「監督」してきた政府、そし
てその事実を知りつつ、原発利権の上に胡坐を書いてきた学者たち。こうした
人々は人を傷つけても何ら胸を痛めない人々です。

またそうした行為が目の前で放任されているのに、それを告発しないマスコミ
の幹部たち。こうした人々もまた、人間的な温かい心を失っていると僕は思い
ます。だからもう本当にそんな人々に騙されていてはいけない。

周りに除染ボランティアに行くという人がいたら止めましょう。騙されては
いけないと説得しましょう。善意の搾取、騙して被曝させることを、もうこれ
以上許してはならないです。

***********

東日本大震災:除染ボランティア、環境省が紹介HP
毎日新聞 2011年11月9日 東京朝刊

環境省は8日、福島県内の各市町村が募集する除染作業のボランティア情報
を紹介するホームページ(http://www.env.go.jp/jishin/josen-plaza.html)
を開いた。メールマガジンで更新情報も配信する。

ボランティアによる除染の実施日時、集合場所、作業内容などが更新され次第、
公表・配信する。8日時点で募集をしているのは、伊達市(実施日11月12
~13日)の各日80人など。細野豪志環境相は8日の閣議後会見で「多くの
人の力を貸していただきたい」と呼び掛けた。【藤野基文】
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111109ddm012040051000c.html

***********

除染の安全対策 マニュアル作成へ
NHKWEBNWES 11月13日 15時8分

放射性物質を取り除く除染に必要な、人手の確保が課題となるなか、細野環境
大臣は13日、福島県伊達市で行われた、ボランティアによる除染活動に参加
し、今後、除染の安全対策についてのマニュアルを作る考えを示しました。

先月から本格的な除染が始まっている、福島県の伊達市や福島市では、専門の
業者の作業を補うため、ボランティアによる除染作業を並行して行っています。
細野環境大臣は13日、伊達市霊山町で行われた除染のボランティア活動に参
加し、およそ60人のボランティアと共に、一般住宅での除染作業を手伝いま
した。細野大臣はくわを手に取って、屋根の下など、雨水が流れる場所を中心
に、放射線量の変化を確認しながら、砂利や土を取り除いていました。作業を
行った細野大臣は、記者団に対し「非常に多くの人手がかかる作業なので、全
国の多くの人にご協力を頂くことが非常に重要だと改めて感じた」と述べまし
た。そのうえで、ボランティアの安全対策について、「非常に大事であり、こ
ういうやり方でやれば大丈夫だというマニュアルは重要だと思う。今後、分か
りやすいものを示していきたい」と述べ、除染の安全対策についてのマニュア
ルを作る考えを示しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111113/t10013929791000.html
コメント (3)
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明日に向けて(322)水俣から日本の今を見る! エッセー「私の石牟礼道子」に触れて

2011年11月11日 23時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111111 23:00)

このところ、いろいろな方が声をかけてくださり、講演に赴いていますが、
それぞれに招いてくださる方たちが素敵で、その度に新しい出会いに恵まれ
ています。すべてを紹介できずに申し訳ないのですが、今回は、6日に訪れ
た京都市上京区のKARAINMO BOOKSのことをご紹介したいと思います。

店を経営するのは奥田直美さんとお連れ合い。店内はけして広くはないです
が、僕から見ると実に面白い本がぎっしり並んでいる。さまざまな社会問題
に関する本が並び、その間に言語に関する本が並んでいて、絵本も「ぐりと
ぐら」など、これだよなあと思うものが並んでいる。

「よくこれだけの本を集められますね。売ってしまったら後はどうなるので
すか」と聞いたら、「面白いもので、噂を聞きつけて、こういう本を持って
いる方が提供してくれたりするのです」といいます。きっと人との出会いに
恵まれているのでしょう。

KARAIMOBOOKSでは「カライモ学校」という学習会も行っていて、僕は5回目
の講師として呼んでいただけました。常連さんが来て下さいましたが、それ
ぞれにいろいろな問題意識を持たれています。学習会の後には、奥の座敷が
オクバーに変身。こだわりのお酒がたくさんありました。美味しかった!


さて、これでは「水俣から日本の今が見える」というタイトルとどう結びつ
くのかと思われてしまうと思いますが、このカライモブックスという名前の
由来をさかのぼると、水俣を深く描いた作家、石牟礼道子さんに結びつくの
だといいます。

これについて奥田さんが西日本新聞に書いた素敵なエッセーのいます。その
タイトルが「私の石牟礼道子」です。とても素敵な文章です。末尾に添付し
ますが、この中で奥田さんはこんなことを書いています。

「私たちがもともと店を開きたかったのは、凪いだ不知火海が見渡せる水俣
の明神岬だ。それでも商売は儲けなければならないのだから、と京都で始め
る決心をしたとき、せめて店名に九州の風を吹かせたかったのは、私たちに
とっては当然の気持ちだった。」

水俣の風、九州の風を京都でも。そんな思いが伝わってきて、とても共感し
ました。そしてその水俣の風をもっと人々がよく知っていたのなら、水俣の
水銀汚染の現実と、福島原発事故による放射能汚染と現実が、大きく重なっ
ていることに気づき、よりよい対処が重ねられのにと思わずにおれません。

水俣はとても美しいところです。その美しい水俣が、水銀に汚染されてしまっ
た。その要因は、産業、従ってまた国家の生産力の向上を優先し、企業利益を
墨守して、住民の命を犠牲したことにありました。その流れは今も続いていて、
美しい福島が汚染され、再び政府が人々を騙して、被害が拡大しています。


僕は数年前まで同志社大学社会的共通資本研究センターに属し、宇沢弘文先生
のもとで研究をしていました。その宇沢さんが繰り返し語っていたのが、「社
会的共通資本を学ぶものにとって、水俣は聖地だ」ということでした。社会的
共通資本のアイデアそのものが、水俣から立ち起こってきたのだからです。

宇沢さんは1950年代にアメリカに渡り、いわゆるケインズ左派として活躍され
ました。ところがアメリカがベトナム戦争にのめり込むのを見て、帰国を決意
した。アメリカにいるだけで、あの戦争に加担しているようで、嫌だったから
だといいます。

ところが日本に帰ってきてはじめて、「高度経済成長」の光に隠れて、さまざ
まな公害が起こっていることを知りました。驚きと怒り、悲しみを抱いて宇沢
さんは公害地を回りました。水俣では、患者さんを最も診てきた熊本大学の原
田正純先生と一緒に、胎児性水俣病患者さんの家を訪ねられました。

原田さんはそのとき、宇沢さんが、目に涙をためて黙ってじっとうつむいてい
たと教えてくれました。「なんて優しい先生だと思った」と原田さん。しかし
宇沢先生は己を責めていたのです。この現実を作り出した責任は経済学者にある。
自分たちの経済学がこの現実を生み出したのだと。

近代経済学は、すべてのものは私有されていることを前提にしています。とこ
ろが海や空、自然など私有されていないものがある。これを現代経済学の中心人
物で、宇沢さんの同僚でもあったサミュエルソンが「公共財」(ないし自由財)
と名づけました。公共財は誰が使ってもただ。汚してもただと考えられたのです。

この価値観の中で、工業の発達とともに、海が汚され、大気が汚されることが咎
められなくなった。それは経済発展という巨大なメリットに伴う小さなリスクと
された。しかし汚された海や空は、人々のつつましい生活の舞台でした。近代社
会はそれを惨く壊して発展を遂げてきたのです。巨利に犠牲はつきものだとして。


宇沢さんは、この経済学を作り直さなければならないと考えました。「公共財」を
規定しなおさなければならない。人々の共有の財産、いや共通の生活の土台、
それを市場の金儲けの論理に任せたり、国家官僚の恣意的な操作に任せてはいけ
ないと考えた。そこで生まれたのが社会的共通資本という概念でした。

社会的共通資本は、海や空などの自然にとどまらず、人々の暮らしを支えるさま
ざまな領域に拡大されていきました。まずは社会的インフラストラクチャーが入
ります。さらに医療や教育、金融などの社会的制度、システムもここに入ります。
それぞれに市場=金儲けの論理や、官僚の恣意にまかされてはいけないものです。

この考えからは、当然にも巨大な事故を引き起こしうる原子力発電は否定されま
す。放射能は社会的共通資本にとって、最も恐ろしい脅威です。これに対して、
社会的共通資本を人々が尊重することの中に、本当の幸せがあることを教えたの
が水俣の人々でした。その教訓は今なお、世の中を照らしています。

だから今、僕はもう一度、水俣という僕自身の原点の一つに返り、そこから今の
日本を見直して、進むべき道、歩むべき道を切り拓いていきたいと思います。
カライモブックスはそんなことを思い起こさせてくれる素敵な場でした。まさに
九州からの風、水俣からの風を、僕は感じました。

みなさま。どうか奥田直美さんの文章をお読みください。共感された方で、お近く
の方は、ぜひカライモブックスを覗いてください。ホームページを紹介しておき
ます。
http://www.karaimobooks.com/

***************

私の石牟礼道子
奥田直美 『西日本新聞』2011年3月19日掲載

カライモブックスという古書店を京都で夫と始めてから2周年を迎えた。京都で
「カライモ」は通じない。どういう意味?と聞かれ、サツマイモの南九州の呼び
名なのです、と答えると、たいてい、九州の方ですか?と続く。でも私たちの
故郷は京都だ。

カライモブックスという名前の由来は、そもそも遡れば、作家の石牟礼道子に繋
がる。石牟礼作品にはじめて出会ったのは、高校生のとき。大学試験の過去問題
で「言葉の秘境から」(『葛のしとね』所収)というエッセーに出合い、私の求
めている世界がまさにここにある、と驚いた。その頃私はとにかく、世の中にあ
ふれる言葉や思想には土が足りない、世界は上滑りしていると思っており、それ
はおそらくこの世の進み方に対する違和感といえると思うが、そうでない世界が
石牟礼作品にはあったのだった。

その舞台になった天草に行ってみたいなあ、行けば今でもそういう世界があると
は思わなかったけれど、それでもこの文章を生み出した土地へ行ってみたいなあ
とはぼんやり思い続けていたが、実際にそれが叶ったのは、5年前。おなじく石牟
礼作品のファンになった、その後夫になる恋人と、天草・水俣への短い旅行をし
た。そこで天草や水俣の土地の美しさに惹かれた私たちは、それから年に2、3度
通うようになり、いつのまにかこの土地の虜になってしまった。実際の天草や
水俣は、当然桃源郷ではない。創造よりもはるかに現実的だったし、でも予想し
たよりもずっとおもしろい人たちがいた。それでも、水俣の明神崎から不知火海
をはさんで天草の島々を望むとき、石牟礼道子の言葉がぽとりぽとりと頭に浮か
ぶ。私にとっての天草・水俣はそういうところだ。

私には、石牟礼道子が失われた過去を描いているとは思えない。さりとて理想の
未来を描いているとも思えない。石牟礼さんは『苦海浄土』について「自分自身
に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの」(文庫版『苦海浄土』改稿に当って)と
書いておられるが、その表現がいちばんしっくりくる。私にとっても石牟礼作品
というのは生き難い世を生きていく浄瑠璃のようなものなのだ。

だから私たちがもともと店を開きたかったのは、凪いだ不知火海が見渡せる明神
岬だ。それでも商売は儲けなければならないのだから、と京都で始める決心をし
たとき、せめて店名に九州の風を吹かせたかったのは、私たちにとっては当然の
気持ちだった。

カライモブックスの本棚には、哲学、社会学、文学、芸術、民俗、児童書、さま
ざまなジャンルが並んでいる。少しずつ常連のお客さんがついて本を売ってくれ
るようになり、開店当時に比べ、本のラインナップも変わりつつあるが、石牟礼
作品、水俣関連書籍、そしてあわせて販売している水俣の海産物やお茶、石けん
などは、カライモブックスの大切な柱だ。きっとこれからもそうあり続けるだろう。

昨年11月に、娘が産まれた。生き難いと思いながら生きてきたこの世界にまたひ
とり人間を産みおとすというのはどういうことなのか、と頭の片隅で思うものの、
産まれ出た新しい命は力と輝きにあふれている。娘は、石牟礼さんから一字いた
だいて「道(みち)」と名づけた。


おくだ・なおみ 古書店経営。1979年東京都生まれ、京都府亀岡市育ち。出版社
勤務の後、2009年から京都市で夫と「KARAIMO BOOKS」を営む。「カライモ学校」
と題した勉強会や朗読会も行っている。
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明日に向けて(321)放射線管理区域で女子駅伝?・・・東日本女子駅伝の中止を求めます!

2011年11月11日 01時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111111 01:00)

足立さんの渾身のレポートの紹介に続いて、今宵、どうしても論じておきたい
のは、11月13日に福島市で行われようとしている「東日本女子駅伝」について
です。どう考えてもとんでもない大会です。すでに俳優の山本太郎さんなどが、
精力的に中止のための説得を行っていますが、共感しています。もう2日しか
時間がありませんが、僕も中止要請の声を上げたいと思います。

問題の駅伝について9月28日に産経新聞のWebに掲載された短い記事を紹介して
おきます。なおサンケイスポーツが後援団体の一つに入っています。

***

日本被災3県で「絆チーム」 福島で今年も東日本女子駅伝を開催
産経web 2011.9.28 20:18

11月13日に号砲が鳴る第27回東日本女子駅伝に東日本大震災で被災した
岩手、宮城、福島の3県の合同チーム「絆チーム(仮称)」が出場することに
なった。主催者が28日発表した。

東北陸上競技協会と福島テレビが主催、サンケイスポーツなどが後援。晩秋の
福島路を17都道県の女性ランナーが走る。被災3県は個別チームとは別に合
同チームを結成。復興への思いを胸に9区間42・195キロで友情のたすき
をつなぐ。

東京電力福島第1原発事故による放射線の影響が懸念されたが、主催者は「6月
から沿道の線量測定を続け、現在は最大で毎時1マイクロシーベルト台で低下
傾向にある」としている。福島市は大会に備え、発着地点の信夫ケ丘競技場など
の除染を計画している。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110928/dst11092820200029-n1.htm

***

少し前の記事を使ったのは、主催者の「6月から沿道の線量測定を続け、現在は
最大で毎時1マイクロシーベルト台で低下傾向にある」から、大丈夫だという
コメントが載っていたためです。もっと新しい記事には、コースの19箇所で測定
し、1マイクロシーベルトを超えたのは2箇所だけ・・・とも書かれていました。
(一度読んだ後に、この記事をみつけられなくなってしまいました)

まずこれだけでもとんでもないことです。私たちの国では毎時0.6マイクロシーベ
ルトの実行線量の地帯を「放射線管理区域」と規定しています。そこでは飲み食い、
寝ること、子どもを連れ込むことなどが禁止されています。しかしこの法律が
311以降、まったくなしくずし的に反故にされてしまっている。「非常事態」を名目
にです。これとても許されないことですが、その放射線管理区域の設定を大幅に
上回るところで、マラソンをしようというのです・・・。

しかもこのレースはハイレベルのスピードレースです。レースに一度でも出た経験
がある人なら分かりますが、スピードレースでは激しく体を酷使します。心臓は
酸素を求めて激しく鼓動する。極限状態で呼吸がなされるわけです。このため
北京オリンピックでも、大気汚染を理由に、参加を取りやめた選手がいました。
汚染はマラソンランナーにはより大きな打撃になるからです。

しかも、今回の各県のチームは、実業団のチームと、中学・高校生の混合チーム
です。中学生の女子までが走るのです。放射線管理区域より遥かに高い放射線が
観測される場所がある地域でです。信じがたい。あまりに危険です。母体に対する
冒涜でもあると僕は思う。女性の方が、若者や子どもの方が、放射線で受ける
ダメージが深刻だという事実を一体どう考えているのでしょうか。

最も恐れるのは、これだけ空間線量が高い地域ですから、各地に放射性物質が存在
していて、風があれば舞い上がって、吸い込んでしまう可能性が高いことです。
19箇所の測定とは、折り返しコースなので、ほぼ1キロごとに測ったに過ぎない。
しかしガイガーカウンターを持って、放射線量が高い地域を歩いた経験のある人なら
分かりますが、数値が極端に高いマイクロホットスポットはこれではとても見つけ
られないのです。数メートル移動しただけで、数値が極端に変わるからです。

実際、僕が福島市を訪れたときも、そこここでガイガーカウンターが振り切れて
しまいました。毎時9.99マイクロシーベルトという検出限界を超えてしまったのです。
そうしたホットスポットが無数にある。コースのすべてを測ったのならまだしも、
約21キロの中の19箇所ではほとんど測られていないに等しい。しかもそれですら
毎時1マイクロシーベルトを超える地点があるのです。

中学生や高校生の選手たち、その親御さんたちはこの事実を知っているのでしょうか。
いや大人の選手たちも知っているのだろうか。安全だと騙されて参加するのでは
ないでしょうか。きっとそうだと思います。

大会の中止を切に望みたい。そしてもし強行されてしまうのなら、せめて事前に雨が
降って欲しいです。放射性物質が舞い上がることが少しでも抑えられるだろうから
です。選手たちが、懸命に鍛え上げてきた心肺能力が、放射能の取り込みに使われよう
としている・・・耐え難いです。

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