人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

恩師からの便り~中学時代・陸上部顧問からの年賀状

2012年01月04日 06時27分19秒 | 日記

4日(水).早いもので,もう正月休みは終わり,今日は仕事始めです.あらためて気を引き締めていきたいと思います

昨日は,家族そろって品川の義理の父母の家にお年始に行きました.毎年2日は狭山,3日は品川と決まっています.午前11時過ぎにJR品川駅から五反田方面へ歩きました.いつものように歩道で大学対抗箱根駅伝の応援団が”のぼり”と”旗”を持って,走ってくる選手を待ち構えていました.結果的には東洋大学が去年の雪辱を果たして圧倒的な強さで優勝しましたが,それにしても,柏原君の4年連続区間新記録はすごいですね

品川の家ではビールで乾杯,あらためてスパークリング・ワインで乾杯,再び日本酒で乾杯をして,沢山のおせちをいただき満腹になりました.その後,新年恒例のコリントゲーム(パチンコみたいなゲーム)を5人で3番勝負やって,息子がダントツの1位,娘が2位で,私が例年通り最下位でした 

 

  閑話休題  

 

毎年やりとりしている年賀状の相手に中学時代の陸上部の顧問だったF先生がいます.東京オリンピックが中2の時に開催された,そんな時代でした.当時のN中はグランドが石ころだらけで,トラックを走るのに苦労しました.それを,F先生が先頭に立って,グランドをスコップで掘り返し金網で梳いて,柔らかい土だけになるようにグランド整備をしたのです.陸上部の練習の一部の時間はその作業に割かれ,とにかく”走れるグランド”にするために作業を続けました.我われ生徒が帰った後も,F先生は一人黙々とグランド整備に取り組んでおられました

そうした日々の努力もあって,我らN中陸上部はS市の中では短距離も,長距離もトップクラスに位置することができましたその頃の私の成績は100メートルが12秒3で,200メートルが26秒0で,市内ではトップでした

その後,F先生はあちこちの学校で教壇に立ち,教頭まで昇って定年退職されましたが,中学時代の熱心な姿に感動して,教師になった仲間もいます.ひとにやって欲しいことを「やれ」というのではなく,自ら態度で示し,背中で語った教師でした

我われが中学校を卒業してからも,突然,わが家に現れて「〇年〇月〇日の試合の100メートル決勝の時の記録は何秒だった?」と訊くのです.理由を尋ねると「あの頃の陸上部が私が顧問をした中で最高のメンバーだった.いま,その頃のアルバムを作っている.そのためのデータを集めている」と言うのです こちらも日記を付けている訳でもないので「覚えていません.申し訳ありません」と謝るしかありませんでした.そうしたことが3~4回くらいありました.それから数ヵ月後,手作りの立派なアルバムが届けられました.われわれが在籍した3年間の記録とともに,生徒一人一人についてコメントが書かれていて,当時3年生だった我われの学年については「彼らのいいところは後輩に対して決して威張らないところだった」とありました.「アルバム代を」と申し出ると「受け取れない」と言って決して現金を受け取りませんでした 父親は「あんな立派な先生はどこにもいない」と涙を流さんばかりでした.もちろん私も同じ気持ちでした

そのF先生からの年賀状にこうありました.

「N中陸上部員の中で,今も交信しているのは,Y君,Mさん,Yさんぐらいになってしまいました」

なんとなく寂しさが滲み出ているようで,申し訳ない気持ちになりました 先生には昨年暮れに出した年賀状に,せめて当方の様子が分かってもらえるようにと,このブログのアドレスを書いておきました.読んでくれると嬉しいのですが

 

              

                 〔F先生からの年賀状〕

 

コメント (2)
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