10日(火).昨日,有楽町スバル座で映画「善き人」を観てきました スバル座は久しぶりだったので場所がわからず,日比谷シャンテ周辺でうろついてしまいました.ケータイで場所を検索してやっと有楽町駅近くのスバル座を探し出して,開演15分前に到着しました
主人公は1930年代,ヒトラー独裁が進むドイツで,ベルリンの大学で文学を教えるジョン・ハルダーです.彼は大学で教鞭を執る傍らで,病身の母親を介護する善き息子であり,妻の代わりに家事をする善き家庭人であり,ユダヤ人のモーリスの善き理解者であり,と,ごく普通の”善き人”です ところが,彼が過去に書いた小説がヒトラーに気に入られ,最終的にはナチ党に入党せざるを得ない立場に追いやられます.そのことは,友人のユダヤ人モーリスを裏切る行為となります.ドイツ国内で反ユダヤの動きが激化する中,親衛隊の幹部に出世したジョンは国外脱出を希望するモーリスに手を差し伸べようとしますが,思わぬ邪魔が入ります 収容所送りになったモーリスを探すため,収容所を訪ねたジョンが見たものは・・・・・・
監督はオーストリア生まれで,17歳からブラジルに定住するヴィセンテ・モリン.主人公のジョン・ハルダーにヴィゴ・モーテンセン.そのユダヤ人の友人モーリスにジェイソン・アイザックス,女子大生で後にジョンの妻アンにジョディ・ウィッカーほかが演じています
さて,いつも映画を観るときに気になるのが音楽です どういうシーンでどういう音楽が使われているのか,ということです.この映画ではグスタフ・マーラーの音楽が効果的に使用されています
ジョンの小説が映画化されることになり,ジョンとアンが撮影所に出向いた時に,映画スタッフ達が口ずさんでいたのはマーラーの歌曲「さすらう若人の歌」の一節でした また,ユダヤ人達がトラックで護送されるときに彼らが口ずさんでいたのも同じ曲の一節だったように思います.ほかのシーンでも聴こえるか聴こえないか分からないほど小さな音でマーラーの音楽が流れていますが,多分歌曲のどれかの一節だとは思うものの曲名までは分かりませんでした
最後にジョンが,モーリスを探し求めて収容所を歩き回っているときに,どこからともなく微かな音で音楽が流れてきます ジョンが建物の裏に辿り着くと,そこに10人ほどのユダヤ人が思い思いの楽器を持って演奏しています.彼らが演奏していたのはマーラーの交響曲第1番ニ長調の第3楽章です.それを見たジョンは言います「これは現実か?」・・・・・ここで映画は終わります
ここで,モリン監督が収容所でユダヤ人が演奏するマーラーの音楽を使った理由・意味を考えてみたいと思います
マーラーの交響曲第1番はニ長調の曲ですが第3楽章はニ短調です.別名「狩人の葬送行進曲」です.CDなどに解説には「森の獣たちが墓地へ運ばれる死んだ狩人の棺に付き添っている.野うさぎが葬送の小旗を持ち,ボヘミアンの楽師のバンドが,おどけた様式で行進を導いて行くと,そのあとに猫,雄鹿,ノロ,キツネを始め,四つ足の動物たちと羽根のあるものたちは唱和しながらついて行く」と書かれています
これだけの要素で考えれば,監督は,ユダヤ人達が「葬送行進曲」を演奏することによってナチを葬り去ろうとしたことを伝えたかったのだと言えるのかも知れません
しかし,話はそう簡単ではないように思います.もう一つ重要な要素があります.この曲の作曲者グスタフ・マーラーはユダヤ人であるという事実です(後にキリスト教に改宗しましたが).
こうしたことを総合して自己流に解釈してみると,「ユダヤ人収容所でユダヤ人がユダヤ人作曲家マーラーの音楽を演奏するのは現実的にはあり得ない」ということです したがって,ジョンが言った最後の言葉「これは現実か?」という問いに対する答えは「現実ではない」「あり得ない」ということになります
ジョンはごく普通の”善き人”でした.しかし,自分の意志に反して,ちょっとしたきっかけでナチに入党し権力側に付くことになってしまいました.これは当時のドイツに限らずいつの時代にも同じようなことが起こりうることではないか.いつもは普通の”善き人”が,何かに巻き込まれて「あり得ないこと」がいつの間にか「現実」になってしまう,というようなことが 監督はマーラーの曲にそうしたメッセージを込めているのではないかと思います.
それにしても,昨年没後100年を迎えたマーラーの音楽を使った映画を最近よく観るように思います.私がたまたまそういう映画を選んでいるのか,映画が私を呼んでいるのか,よく分かりませんが,マーラーの音楽は映像のバックに流すのに”合っている”のかも知れません
〔あとがき〕
終演後,この映画での使用音楽について調べたくて上のパンフレットを買ったのですが,音楽については一言も触れていませんでした 表紙を入れて15ページほどのパンフレットに600円も投資したのに この映画に限らず,映画のパンフレットは,監督,役者,ストーリーの解説には十分なページを割くのに,音楽についてはほとんど触れません.私のように音楽を目的に映画を観るような者にとっては何の価値もありません.非常に残念です.関係者に改善をお願いしたいと思います