2日(水)。昨夕、浜離宮朝日ホールでクァルテットARCOのコンサートを聴きました プログラムは①ハイドン「弦楽四重奏曲第31番変ホ長調」、②バルトーク「弦楽四重奏曲第1番」、③ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第10番変ホ長調”ハープ”」です
クアルテットARCOは、第1ヴァイオリン=伊藤亮太郎(札響コンマス)、第2ヴァイオリン=双紙正哉(都響第2ヴァイオリン首席) 、ヴィオラ=柳瀬省太(神奈川フィル首席)、チェロ=古川展生(都響首席)というメンバーから成ります
自席は9列1番、左端です。会場は9割方埋まっている感じです 4人の演奏者が登場します。第1ヴァイオリンの伊藤亮太郎は、見るたびに明大文学部教授の斎藤孝さんに遠目がよく似ています。思わず「今朝『あさチャン!』に出てたじゃん!」と叫びたくなります
チラシの顔写真は何年前のかな??
1曲目のハイドン「弦楽四重奏曲第31番変ホ長調作品20-1」は「太陽四重奏曲第1番」という愛称で呼ばれています この曲は、1772年に作曲され1774年にパリで初版が出版された作品20の6曲セットの1曲目ですが、1779年にアムステルダムのフンメル社から出版された印刷譜の表紙に太陽の絵がデザインされていたことに由来します
私は初めて聴く曲ですが、ハイドンらしい伸び伸びした曲想です。4人はテンポよくハイドンの魅力を奏でていきます
さて、2曲目は問題のバルトーク「弦楽四重奏曲第1番」です。問題というのは、ここ1週間ほどアルバン・ベルク・クァルテットのCDで予習してきたのですが、どうもすんなりと頭に入って来ないのです 曲自体に、私の意識を寄せ付けないオーラが出ているようなのです
プログラムの解説を見ると「シェーンベルクの影響・・・・」という記述を発見、なるほどと思いました
第1楽章の冒頭は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンがとても悲しいメロディーを奏でますが、解説によると、バルトークが愛し、その後破局したゲイエルという女性のモティーフだとのこと どうりで悲しげなわけだ、と納得しました
18世紀の明るいハイドンから、一気に20世紀の暗いバルトークの世界に紛れ込んでしまった、という感じです。最後まで馴染めませんでした
ところで、演奏後に会場一杯の拍手が起こりましたが、私の前列の栄養の行き届いた体格の良い女性がパチパチパチ と巨大な音と共に拍手をするのには気圧されました
まるで力士が手を叩いているようで圧迫感さえ感じました。時々いますよね、こういう人
休憩後はベートーヴェン「弦楽四重奏曲第10番変ホ長調」です。この曲は「ハープ」という愛称で呼ばれていますが、第1楽章の随所に表れるピツィカートがハープの響きを連想させることに由来します
この曲もアルバン・ベルク・クァルテットのCDで予習しましたが、聴けば聴くほど心地よく頭に入ってきます。第1楽章の弦のピツィカートが心地よく響きます。第2楽章「アダージョ」はいつ聴いてもいいですね ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴く楽しみの一つは「アダージョ楽章」を堪能することにあります
第3楽章は一転、賑やかなスケルツォです。「運命の動機」によく似たモティーフが曲全体を支配します。そして第4楽章アレグロは主題と6つの変奏曲から成ります
解説によると、ベートーヴェンが弦楽四重奏曲の最終楽章を変奏曲とした例はこれ1作のみとのことです
20世紀のバルトークの暗い世界から19世紀のベートーヴェンの明るい世界に戻り、一息ついた感じがしました。やっぱりベートーヴェンはいいな、というのが正直な感想です
後方席からブラボーがかかりましたが、「ブラ」がなく「ボー」だけ聞こえる掛け声がありました 来てましたね、東響定期会員の「ノーブラの某氏」が・・・・私が行くコンサートで何回か見かけました。聴きに行くコンサートに同じような嗜好があるのかも知れないなぁ
4人はアンコールにハイドンの「弦楽四重奏曲第77番ハ長調”皇帝”」から第2楽章を演奏しました この曲は現在のドイツ国家になっています。第1ヴァイオリンから第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラへと主旋律が受け継がれていくところは弦楽四重奏曲の醍醐味です
弦楽四重奏曲はやっぱりベートーヴェンとハイドンがいいな、もちろんモーツアルトもブラームスもね、というのがこの日の演奏を聴いた結論です