22日(火)。昨日、サントリーホールで東京都交響楽団の「都響スペシャル」コンサートを聴きました プログラムはマーラー「交響曲第10番嬰ヘ長調」1曲で、指揮はエリアフ・インバルです
この曲はマーラーの中でも滅多に聴く機会がないので、あらかじめサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルのCDで予習し、全体の流れを把握しておきました
自席は2C9-36番、2階センター右ブロック後方の右から二つ入った席です。会場は9割方埋まっている感じです 定期公演ではなくインバルによるマーラーの「特別公演」であることからか、若い聴衆もかなり目立ちますが、圧倒的に男性比率が高いようです。これがブルックナーだったらもっと男性が多くなるでしょう
オケの態勢は左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、その後ろにコントラバスという配置です コンマスは四方恭子、その隣に矢部達哉が並び、ダブル・コンマス・シフトを採っています。都響の力の入れようが分かります
都響の桂冠指揮者エリアフ・インバルが登場、譜面台の大きな楽譜に向かいます。第1楽章「アダージョ」がヴィオラによって開始されます
マーラーは1911年に51歳を前に病没したため、交響曲第10番は未完のまま遺されました その草稿はとても全曲演奏できる状態ではなく、第1楽章のほとんどと、第3楽章の冒頭がかろうじて演奏可能な状態になっていたものの、他の楽章はほとんどが不完全な略式総譜のままでした 音楽学者デリック・クックは1960年、マーラー生誕100年を記念してこの曲の補完全曲版(一部欠落あり)を英国BBCで放送初演しましたが、1964年には欠落部も埋め通した補完全曲版が初演されました 指揮者のインバルは、この曲の演奏のリハーサルでオーケストレーションについてクックと話し合ったこともあり、クックによる補完全曲版によって演奏します プログラムの表記によると「デリック・クック補筆による、草稿に基づく演奏用ヴァージョン」によって演奏されます
第1楽章の途中、マーラーの置かれた悲劇的な立場を象徴するかのように、突然オケが咆哮します マーラーがこの曲を作曲し始めたのは1910年7月中旬ですが、7月末には妻アルマ・マーラーと建築家ヴァルター・グロピウスとの不倫関係が発覚し、マーラーは精神的に大きな打撃を蒙ったのです ケン・ラッセルの映画「マーラー」(1974年)では、湖の畔の作曲小屋が爆発炎上するシーンでその咆哮する音楽を流していました。あれは音と映像による見事な悲劇と絶望の象徴でした
第2楽章「スケルツォ」は、知らないで聴いていたらブルックナーと勘違いしそうな曲想です この楽章が終わると、インバルは一旦舞台袖に引き上げます。マーラーの指示があったとは思えませんが、おそらくマーラー自身により残されたスコアが多い第2楽章までと、かなり補完せざるを得なかった第3楽章以降とを峻別して演奏しようとしたのかも知れません
インバルが指揮台に戻り、第3楽章が開始されます。「少年の不思議な角笛」から引用された旋律がもとになっているだけに、曲の雰囲気が「交響曲第4番」に似ています。全体的にアイロニカルと言っても良いかもしれません
第4楽章「スケルツォ」で印象的なのは終結部の大太鼓の強打です。悲劇に止めを刺すかのようにズシンと重くのしかかります そして、続く第5楽章では、大太鼓が、もはや立ち直れないほどまで打撃を与えるかのように断続的に打ち鳴らされます 大太鼓はやや小柄な女性奏者が打っていますが、ここぞ、というタイミングでドン!、ドン!と重く響かせ、存在感抜群です
クライマックスでは第1楽章冒頭のヴィオラによるテーマが回帰されますが、後半は弦楽器の総力でクライマックスを築き、最後は静かに曲を閉じます
最後の音が消え、しばし”しじま”が訪れ、インバルのタクトが下ろされると、会場一杯の拍手 とブラボーが嵐のように沸き起こりました インバルは管楽器、打楽器、弦楽器と順に立たせて演奏を賞賛し、最後に譜面台の交響曲第10番のスコアに両手を置き、「マーラーの作品にこそ拍手を」と言わんばかりの表情を見せ、ステージを後にしました
この曲を聴きながら感じていたのは、この曲はマーラー自身の人生を描いているのではないか、ということでした ユダヤ人として生まれ、結婚などのためキリスト教に改宗、アルマとの結婚、長女マリア・アンナの誕生、そして死、妻アルマの裏切り、敗血症での死・・・・
インバルの指揮は、そのように思わせる解釈による演奏だったと思います やっぱり、インバルは『マーラー指揮者』と呼ぶに相応しい人だ、と強く思った演奏会でした