10月1日(水)。皆さん、今日から10月ですよ~ わが家に来て4日目を迎えたネザーランドドワーフのモコタロです
(自分の小屋をひっくり返して満足そうな表情のモコタロです)
閑話休題
昨夕、渋谷の東急文化村「ル・シネマ」で映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」を観ました マルタ・アルゲリッチは1941年6月5日、アルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。24歳の時、ワルシャワのショパン国際ピアノ・コンクールで優勝し一躍脚光を浴びました
その後、天才の名前を欲しいままに世界を股にかけ演奏活動を展開し、各地で絶賛されてきました
一方、私生活の面では結婚と離婚を2度繰り返し、父親違いの3人の娘を出産し育ててきました 中国人指揮者ロバート・チェンを父にもつ長女リダ・チェン、スイス人指揮者シャルル・デュトワとの間に生まれた次女アニー・デュトワ、ピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィッチを父にもつ三女ステファニー・アルゲリッチです。この映画は三女のステファニーによって制作されました
自席はL12番、後方の右通路側です。会場は約6割くらいの入りでしょうか。1対2位の割合で女性の方が多い感じです。アルゲリッチが男性・女性を問わず人気があることが分かります
この映画ではアルゲリッチが演奏するいくつかのシーンが観られますが、最初に画面に登場するのは1977年5月にクロイドン・フェアフィールド・ホールでアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団をバックに演奏するプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番ハ長調」の第1楽章です その時アルゲリッチは36歳。三女のステファニーが生まれたのが2年前の75年ですから、この時すでに彼女は3人の子持ちだったことになります。それにしては映像のアルゲリッチはまるで20代の若さです
それを遡ること12年前の1965年ショパン国際コンクールでの「ポロネーズ第6番変イ長調”英雄”」は、モノクロ映像ですが、若さ溢れる瑞々しいアルゲリッチが躍動しています この頃から、彼女のトレードマークは『長い黒髪』と『黒の衣装』でした。コンチェルト、ソロ・リサイタルに何度か通いましたが、黒以外の服装を観たことは一度もありませんでした
珍しい映像として、彼女がモーツアルトの「ピアノ・ソナタ第15番ハ長調K.545」の第1楽章と、ショパンの「ワルツ第6番変二長調”子犬のワルツ”」を弾くシーンがあります これもモノクロ映像なので若い時の録画ですが、興味深く観ました
また最近の、自宅らしき場所で、アルゲリッチが裸足でラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」の第2楽章を弾くシーンがありますが、最初の音が鳴った時から背筋が寒くなるほどの感動を覚えました
ラヴェルの「ピアノ協奏曲」といえば忘れられない思い出があります 今から33年前の1981年4月6日のコンサートです。私はそのころ、「もうクラシックはいいや、ジャズでも聴こう
」と思って、ジャズのレコード50~60枚とジャズの本10数冊を買いこんで、急激にジャズにのめり込んでいたのです
その日、半年ほど前に買った小澤征爾指揮新日本フィルハーモニーの特別演奏会を聴くため東京文化会館に出かけたのです。当時のチケットを見ると1階6列6番の席で聴いています
この演奏会でアルゲリッチがソリストとして演奏したのがラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」でした
第1楽章の衝撃、第2楽章のポエム、第3楽章の熱狂
最後の音が消えるや否や、会場の空気がふわっと浮き、温度が一気に上昇しました
もう、凄いと言うしかない演奏でした。第3楽章がアンコールされ、さらに温度が上昇しました
この演奏を機に、私はクラシックの世界に引き戻され、それ以降ジャズに浮気はしていません。その意味で、アルゲリッチは私の音楽観、ひいては人生観を変えた特別なピアニストなのです
映画の中で印象の残るシーンがいくつかありますが、一番強く残ったのは本番前のイライラ状態です ステファニーは控室にいるアルゲリッチにカメラを向けますが、「なぜか、イラつくのよね
」と落ち着きがありません。カメラが舞台の袖まで着いていくと、「少し熱があるのよ」とか「こんな気分で演奏するのは嫌よ」とか、周囲に不満を漏らします
しかし、マネージャーが「じゃあ行くよ、いいね
」と言って送り出すと、決心して舞台に出ていくのです。あれだけの演奏家が演奏直前には、その場から逃げたくなるのか、と意外性に驚きを感じます
次に印象に残ったのは、ステファニーのインタビューに「私は働きすぎよ。静かな人生を送りたいわ」と答えているシーンです
この映画は企画・構想に3年かけ、プライベートな家族ビデオに加えて製作期間18カ月を費やし、2012年に完成しました
したがって、この発言は2010年後半から2012年前半にかけてのものと思われます。この頃は、1995年に創設した別府アルゲリッチ音楽祭、1999年創設のブエノスアイレスでの第1回マルタ・アルゲリッチ音楽祭も軌道に乗っていた頃ですが、ちょうど2010年には第16回ショパン国際コンクールの審査員を務めています
アルゲリッチ以来45年ぶりにショパンコンクールで女性奏者(ユリアンナ・アヴデーエヴァ)が優勝した時です
こうしたことが重なって「私は働きすぎよ
」の発言が出てきたのでしょう
それから、全編を通じて、アルゲリッチが話をしている途中でニコッと笑うシーンがいくつもありますが、その瞬間は20代の時の笑顔が蘇ります アルゲリッチは1941年生まれですから撮影当時70歳のころ。長い黒髪は白髪に変わり「確かに彼女も歳を取ったな」とは思うものの、彼女がインタビューで答えている通り「問題は年齢ではない」のだと思います
この映画には現在のありのままのアルゲリッチの姿が映し出されています。アルゲリッチの演奏するシーンだけでなく、普段の彼女の”生態”を知ることができる意味でも、音楽愛好家は必見です