12日(木)その2.よい子はその1から見てね
今日午後1時から池袋の新文芸坐で高倉健主演映画「八甲田山」を観ました 1977年制作の171分にわたる超大作です
この映画は、新田次郎の原作「八甲田山死の彷徨」をもとに、日露戦争前夜、対ロシアの訓練のため、大部隊で冬の八甲田山の自然を克服しようとする神田大尉(北大路欣也)率いる部隊と、少数精鋭により案内人を付けて自然に逆らわず八甲田山を踏破しようとする徳島大尉(高倉健)率いる部隊との、生死を分けた自然との闘いを描いた作品です
神田大尉は、少数精鋭により案内を付けて行軍しようと計画するが、上司である山田少佐の命令により磁石と地図だけを頼りに目的地を目指す 山田少佐は行軍の局面で方針を転換し部隊を混乱に貶めるが、神田大尉はそれに逆らえず命令に従うことになる
結果として、多くの部下を凍死させることになり、極寒の中、舌を切って自害する。一方、少数精鋭の徳島隊は全員が無事に帰営する
遺体安置書で神田大尉の遺体を前に、彼の妻(栗原小巻)が「神田は、八甲田山で徳島大尉とお会いできることだけを楽しみにしておりました」と言うと、徳島は思わず泣き崩れます。このシーンは涙無くして見られません
この映画は3年かけて撮影されたとのことで、極寒の中でのロケは厳しく、エキストラが脱走するに至ったといわれています 事実に基づくこの映画を観て思うのは、現代の社会に置き換えてみれば、上司と部下との間に板挟みになって悩む中間管理職(神田大尉)の悲哀が描かれていると同時に、未知の世界への挑戦にはその道のプロ=案内人が必要だということです
ここで思い出すのは、吉田兼好の「徒然草」第52段の「石清水詣で」です。「仁和寺のある法師・・・」で始まる教訓です
「仁和寺のお坊さんが石清水八幡宮を見たことがなかったので、ひとりでお参りに行き、極楽寺や高良社などを拝んで帰ってきた。周りの人に『お参りに来た人がみな山へ登って行ったのだが、私は寺にお参りしたので、そこまではしなかった』と言っていた。こんなことだから案内役(指導者)は必要なことだ」
つまり、石清水八幡宮はお坊さんが登らなかった男山の山頂にあるのですが、彼は山の麓の極楽寺や高良社が石清水八幡宮だと思い込んでいたわけです 兼好法師はこの段を「すこしのことにも先達(せんだつ)はあらまほしきことなり」と結んでいます
八甲田山の雪中行軍でも、徳島隊のように、神田隊に「先達」がいれば生存者はもっと多かったことでしょう