4日(土).わが家に来てから今日で1130日目を迎え,エジプトの首都カイロ近郊にある世界最大の石造建築,クフ王のピラミッドに未知の巨大空間が存在することを,名古屋大学などが参加する国際研究チームが発見し,2日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
ピラミッドってそもそも王墓だよね それに比べて市民は墓ない一生だったのかな
昨日,夕食に「豚肉の甘酢ねぎ胡麻だれ」「生野菜とアボカドとワカメのサラダ」「小松菜のお浸し」「肉団子とエリンギとタケノコのスープ」を作りました 「豚肉~」のたれは酢,醤油,砂糖,オイスターソース,いりごま,ごま油,万能ねぎです
昨日の朝日新聞朝刊の文化・文芸欄に「新国立劇場,難しい冒険~開館20年 不況で公演費減少」という記事が載っていました.超訳すると
「新国立劇場(東京都渋谷区)がこの秋,開館20年を迎えた.オペラ,舞踊,演劇の3部門が,それぞれ芸術監督を軸に国内トップレベルの舞台を作る 議論百出の話題作もあったが,近年は公演費減少で守りの姿勢が強まる 国際的知名度アップも課題だ 2016年度の演目数は,オペラが12演目55公演,舞踊が11演目46公演,演劇が7演目146公演だった.公演費21億円の59%をオペラが占め,舞踊は23%,演劇が18%で,毎年この傾向だが,公演費はピークの2001年(34億円)に比べ6割に落ち込んでいる 国からの不況に伴う収入減少が背景にある.国からの受託収入は,2000年度の55億円から16年度は40億円に減少した 寄付金等は2002年度の7億5000万円から,16年度は2億9000万円まで減少,入場料収入の重みが増した 歌手やオーケストラなど演者を一通り抱える海外の劇場と違い,新国立劇場の『座付き』は合唱団とバレエ団だけで,オペラの歌手や演劇の俳優は演目ごとに選ぶ 音楽評論家の堀内修氏は,『ムツェンスク郡のマクベス夫人』や『ヴォツェック』などは国際水準として評価が高く,『ニーベルングの指輪』(2001年~2004年)は賛否がせめぎ合う最先端のおもしろさが垣間見えた.その最先端が今,弱い.中庸を行きすぎ,世界に伍する状況ではない ー と語っている 音楽評論家の東条碩夫氏も『長い目で見るべきだが,期待したよりは画期的な舞台は少ないし,舞台もお客も冷めている』と語る.歌手は『国境は置かず水準が高いかどうか』(飯守泰次郎芸術監督)で選び,結果として主役級は外国人が目立つ 一方,国内オペラ団体には『日本人歌手のレヴェルは上がっている.責任ある役を歌わせるべきだ』という意見が強い」
国からの受託収入も寄付金収入も減少傾向にあるという この記事を見ると,だから毎年のように同じ演出・舞台が繰り返されることになるんだな,と思ってしまいます その端的な例がモーツアルト「フィガロの結婚」です アンドレアス・ホモキ演出によるこの公演は2003年から2017年までの14年間に6回同じ演出で上演されています 2002年から新国立オペラの定期会員になってるので6回すべて観てきたことになります.気の短い私は,3回目くらいで新しい演出にしてくれないかな,と思っていました
日本人歌手のレヴェルが上がっているというのは半分その通りで,新国立オペラ研修所出身のソプラノ・中村理恵のように世界的なオペラ劇場で活躍する歌手も出ています しかし,そうした例はまだ少数派です.その意味では,”国境を越えての実力主義”の飯守泰次郎氏の方針を支持します
昨日,早稲田松竹でイラン映画「人生タクシー」と「セールスマン」の2本立てを観ました
「人生タクシー」はジャハル・パナヒ監督・脚本・出演による2015年イラン映画(82分)です
ジャハル・パナヒ監督は政府への反体制的な活動を理由に,2010年から20年間の映画監督禁止令を受けましたが,自身がタクシーの運転手に扮して,厳しい情報統制下にあるテヘランの街に暮らす乗客たちの人生模様を描き出します
死刑制度をめぐり議論する路上強盗と女教師,一儲けを企む海賊版レンタルビデオ業者,交通事故に遭った夫と泣き叫ぶ妻,映画の題材に悩む監督志望の大学生,金魚鉢に手にして急ぐ二人の老婆,国内で上映可能な映画を撮影する小学生の姪,強盗に襲われた裕福な幼馴染み,政府から停職処分を受けた弁護士など,タクシーのダッシュボードに置かれたカメラを通じて,個性豊かな乗客たちが乗車してきて悲喜こもごもの人生を語り,彼らの会話から知られざるイラン社会を抉り出します
この映画を観て,最初におやっと思ったのは,イランでは相乗りが普通なのかな,ということです 乗客がいるのに,途中でタクシーを止めて新しい乗客を乗せているからです.そうすることによって,客同士,あるいは客と運転手との会話が成り立つわけで,演出上そうしたのかも知れません
この映画をひと言で言えば,「よくぞ撮ってくれました」といったところです.映画監督禁止令を受けながらも,決して諦めずユーモアをまぶしながら 主張したいことを主張する,普通の根性では出来ません 乗客はそれぞれ一癖も二癖もある人物ですが,どこか憎めない善人ばかりです
この映画の最後に,「この映画は当局の上映許可が下りなかった.この映画が上映できるのは支援者のお陰です」というクレジットが出ます.つまり,2015年ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞したこの傑作はイラン国内では観ることができず,外国でしか観られないということでしょうか? 大きな矛盾を感じます この映画はそういうことを考えさせます
「セールスマン」はアスガ-・ファルハディ監督・製作・脚本による2016年イラン・フランス映画(124分)です
アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」と,イランの社会状況を重ね合わせた濃密なサスペンスです
物語の主役は,小さな劇団に所属し,アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の舞台に出演している役者の夫婦 ある日,引っ越したばかりの自宅で夫が不在中に,妻が何者かに襲われる 事件が表ざたになるのを嫌がり,警察への通報をためらう妻に業を煮やした夫は,独自に犯人を探し始める 犯人の残していった車のキーから持ち主を探し出し,おびき寄せる.しかし,ちょっとしたことから真犯人は別人だと気が付く
この映画を観て理解できなかったのは,夫が真犯人に「家族に真実を伝える」と復讐を誓ったのに,頭や顔に傷を負わされた被害者である妻が夫に「真犯人を許さなければ,私たちの関係は終わりよ」と言ったことです この監督は「憎悪よりも愛が大事」と主張したいのかも知れませんが,本当にそういう事件に巻き込まれたらどう行動するでしょうか 結果的に真犯人は予想外の出来事で死亡しますが,彼が生きたまま映画が終わっていたら,観る側は相当の欲求不満を抱いたまま映画館を出ることになると思いますが,どうでしょう