3日(金・祝).わが家に来てから今日で1129日目を迎え,トランプ大統領の長女で大統領補佐官を務めるイバンカ・トランプ氏が2日,来日したというニュースを見て感想を述べるモコタロです
5日にトランプ大統領が来日したら 誰か「いよっ大統領!」ってイワンカ?
昨日,夕食に「舌平目のムニエル」「マグロの山掛け」「生野菜と生ハムのサラダ」を作りました 平目もマグロも魚屋さんで買ってきたので超美味しかったです
柴田克彦著「山本直純と小澤征爾」(朝日新書)を読み終わりました 著者の柴田克彦氏は1957年福岡県生まれ.音楽ライター・評論家・編集者.國學院大學文学部卒.中学,高校,大学の吹奏楽部でトロンボーンを演奏し,東京フィルの裏方も経験する
山本直純(1932年12月14日~2002年6月18日)と小澤征爾(1935年9月1日~)が世の中に名前を知られていない若き日,直純は小澤に言った
「オレはその底辺を広げる仕事をするから,お前はヨーロッパへ行って頂点を目指せ」
その言葉通り,直純はテレビ番組「オーケストラがやってきた」等によりクラシック音楽の底辺を広げ,小澤は29年務めたボストン交響楽団の音楽監督を経て2002年9月,ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し,世界の頂点に立った
この本は,この二人がいなければ現在の日本のクラシック音楽は存在しなかったとさえ言われる2大巨人の獅子奮迅の活躍を描いた力作です
例によって目次で全体を概観してみましょう
①序
②第1章「斎藤秀雄指揮教室」1932~1958年
③第2章「大きいことはいいことだ」1959~1970年
④第3章「オーケストラがやって来た」1971~1972年
⑤第4章「天・地・人」1973~1982年
⑥第5章「1万人の第九とサイトウ・キネン」1983~2001年
⑦第6章「鎮魂のファンファーレ」2002年
⑧おわりに
第1章「斎藤秀雄指揮教室」では,二人の指揮の師となる齋藤秀雄は1956年に「指揮法教程」を出版し,日本の音楽界に大きな影響を及ぼしたことを解説します 齋藤メソードは,叩き,しゃくい,先入,平均運動など,科学的な方法によって指揮の基本を身につけさせるもので,直純と小澤もこのメソードによって鍛えられました
齋藤門下からは秋山和慶,飯守泰次郎,尾高忠明,井上道義ら錚々たる指揮者が輩出されています
中学3年の小澤が齋藤を訪ねた時,齋藤は桐朋女子高校に音楽科(男女共学)を併設する準備に追われており,「来年音楽科が出来るから,それを待って入るように.今は手いっぱいで教えられないから,しばらく山本直純という人に教えてもらいなさい」と言われたそうです これが二人の出会いになります.したがって,”世界のオザワ”に最初に指揮を教えたのは山本直純だったことになります
齋藤のレッスンは厳しく,自宅でのレッスンの時には,1分遅れても早くても入れてくれなかったとのことです
その一方,齋藤は直純に一目置いていたとして,小澤は次のように語ります
「斎藤先生が直純のレッスンの時に,彼の楽譜を見ながら指導していました レッスン後,『この楽譜の書き込み,僕も勉強になった.ありがとう』と真剣に直純に礼を言っていた.そのくらい,齋藤先生が直純をすごく認めていることはみんなよく分かっていた.一番音楽的な信用があり,そして先生から音楽の才能に対する尊敬を受けていました
」
著者の柴田氏は「テレビ番組『オーケストラがやって来た』で,直純が『齋藤秀雄は』と言ったのを,小澤が『いや,齋藤秀雄先生』と言いとがめたシーンが妙に印象に残っている」とコメントしています
第2章「大きいことはいいことだ」では,1967年に森永エールチョコレートが発売された時,コマーシャル・ソングの作曲依頼を受けて直純が作った曲で,紅いタキシードを着て「おおきいことはいいことだ」と大手を振って指揮をする姿が大受けし,このフレーズが当時の流行語になり,チョコレートも飛ぶように売れたと言われています
また翌1968年から69年にテレビ版が放送され,69年に映画版が始まったのが山田洋二監督「男はつらいよ」シリーズです
この映画の主題歌を直純が作曲しています
これらの活躍により,クラシック音楽の指揮者が脚光を浴びることになったわけですが,クラシック音楽界の正統派(と自認する人たち)から遠ざけられることにもなったと言われています
第3章「オーケストラがやって来た」では,1972年10月1日にTBS系列で放映が始まった直純司会によるクラシック音楽番組「オーケストラがやって来た」について語ります
フジテレビと文化放送の支援により活動してきた日本フィルが,財務上の問題から支援打ち切りとなり,日本フィルの一部のメンバーが抜けて1972年7月1日に小澤が新たに作ったオケに入り「新日本フィル」が発足したわけですが,萩元晴彦率いるテレビマンユニオンが制作する「オーケストラがやって来た」は,新日本フィルを使うことを決めます 萩元は直純の自由学園の小学校時代からの幼馴染だったのです
萩元はその後,小澤征爾のドキュメンタリー制作などに携わっています
萩元の念頭にあったのは,バーンスタインがニューヨーク・フィルを指揮し,時にはピアノを弾いて,クラシック音楽を驚くほど明快に伝えた「ヤング・ピープルズ・コンサート」だったといいます
萩元はバーンスタインの役を直純に託したのでした
一方,カラヤンの弟子であるとともにバーンスタインの弟子でもあった小澤は,帰国するたびに「オーケストラがやって来た」に出演し,アイザック・スターン,ルドルフ・ゼルキン,イツァーク・パールマンといった著名な演奏家を連れてきて共に演奏しました
私も毎回観ていましたが,本当に楽しい番組でした
第6章「鎮魂のファンファーレ」では,2002年6月18日,直純が急性心不全で亡くなったことを書いています(享年69).直純が亡くなって一番最初に駆け付けたのは著名人では小澤だったといいます 海外に拠点を置く小澤が,師の齋藤秀雄の時も直純の時も日本にいたという事実は必然だったのでしょうか
と,こんな調子でご紹介していくと,いくらスペースがあっても足りません この他,直純とさだまさしの抱腹絶倒の交友録や,直純の交通違反事件,N響の小澤ボイコット事件など興味深いエピソードが満載です
文章は直純と小澤とが交互に扱われており,その時々に二人はどういう状況にあったのがが良く分かります
読んだ後に思うのは「山本直純と小澤征爾,この二人がいなかったら,日本に今ほどクラシック音楽は根付いていなかった」ということ,そして「世界的に認められた小澤征爾に比べ,クラシック音楽の大衆化を図った天才音楽家・山本直純は正当に評価されていないのではないか」ということです
とにかく,クラシック愛好家にはたまらなく面白い本で,一気読み必至です.お薦めします