人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ツィメルマン:ショパン『ピアノ協奏曲第1番』の演奏 / フランソワ・トリュフォー監督「家庭」を観る~ジャン・ピエール・レオ主演による「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズ第4弾

2018年02月05日 08時01分21秒 | 日記

5日(月)。わが家に来てから今日で日1223目を迎え、トランプ米政権が2日 中期的な核政策の指針である「核戦略見直し」を発表し オバマ前政権が目指した「核なき世界」の理想を事実上放棄した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

        さんざん北朝鮮の核保有を批判してきたのに・・すべてアメリカ第一主義ってか

 

                   

 

昨日の日経朝刊「The STYLE/Culture」のコラム「名作コンシェルジュ~Music」で クリスティアン・ツィメルマンのピアノ・指揮による「ショパン『ピアノ協奏曲第1番・第2番』」のCD(1999年録音)が取り上げられていました  このコラムはクラシックやジャズのCDを取り上げて解説する音楽エッセイです 筆者は音楽評論家・鈴木淳史氏ですが、私は これを読んで思わず「えっ」と声を出してしまいました。というのは、私がこのCDを聴いて受けた印象とまったく違ったからです 鈴木氏の解説のエッセンスを抜き出すと以下の通りです

「ピアノ協奏曲第1番の冒頭楽章には、オーケストラだけの長い序奏がある。多くの指揮者は、そのホ短調の荘重な音楽を堂々とした肉厚なサウンドで聴かせる まるでベートーヴェンやブラームスでも奏でているかのように。しかし、ツィメルマンが振ったオーケストラはまったく違う。しなやかに曲線を描く旋律に、テンポもゆらゆら揺れまくって、濃い表情をつくり出す。隅から隅まで、すっかりショパンになっている その後にピアノが入ってくる瞬間もいい。バックダンサーをかき分けて主役が飛び出してきたような鮮やかさ。オーケストラと呼吸を合わせつつも、真打ならではの輝きを放つ

 

     

 

私がこのCDを聴いた時の印象は「かなり遅いテンポによる厚みのある堂々たる演奏」というものでした 私が鈴木氏の見解に違和感を覚えたのは「かなり遅いテンポ」という他の演奏にない大きな特徴にいっさい触れていない点です ちなみに同じショパンの「ピアノ協奏曲第1番」の演奏をマルタ・アルゲリッチのピアノ、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団によるCD(1968年録音)と比較すると次の通りです

          第1楽章   第2楽章  第3楽章

ツィメルマン   23分22秒  12分47秒  9分46秒

アルゲリッチ   18分52秒    9分52秒  8分57秒

 

     

 

アルゲリッチが標準的な演奏だというつもりはありませんが、これだけ演奏時間が異なるのは珍しいのではないかと思います これはアルゲリッチの演奏が速いというよりも、ツィメルマンの演奏が遅いというべきです

一方、鈴木氏の言う「テンポもゆらゆら揺れまくって、濃い表情をつくり出す」というのは理解できます ツィメルマンはかなり意識してテンポを変えて演奏しています。それによって曲にダイナミズムを与えようという意識が働いているのだと思います

このCDが発売された当時のことを振り返って思うのは、ツィメルマンの演奏は、それまでの常識を覆す刺激的な演奏だったということです

 

        

 

昨日、早稲田松竹でフランソワ・トリュフォー監督「家庭」を観ました これは監督・原案・脚本 フランソワ・トリュフォーによる1970年フランス・イタリア合作映画(100分)です

トリュフォーの長編第1作「大人は判ってくれない」の主人公アントワーヌ・ドワネルのその後を、主演のジャン・ピエール・レオの成長に合わせて描いていった「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズの第4作に当たります 第3作「夜霧の恋人たち」で恋が実ってクリスティーヌと結婚したドワネルの浮気を巡るドタバタ劇が展開します

 

     

 

ドワネルは、花の染色家として糊口をしのぎ、クリスティーヌはアパートの自宅でヴァイオリンを教えている やがて彼女は妊娠するが、アントワーヌは実験に失敗し 仕事に見切りをつけて港湾の開発調査をする米国資本の会社に就職する。やがて クリスティーヌには男児が誕生する。ある日、ドワネルの会社に日本人の親子が視察に訪れ、ひょんなことから娘キョーコと親しくなり、彼女のアパートに通うようになる。ところが キョーコがドワネルに贈った花が原因となって浮気がばれ、怒ったクリスティーヌは別居を決意する ドワネルは何とか縒りを戻そうと接触しようとするが上手くいかない

 

     

 

この映画は ほんの数年前に観ていますが、冒頭のクリスティーヌが歩くシーン(足だけが映される)と、ドワネルが白い花を赤に染めるシーンくらいしかハッキリと覚えていませんでした 今回あらためて観た感想は、こんなに面白い映画だったのか ということでした。そこかしこにユーモアというかエスプリが顔をのぞかせます 思わず笑ってしまったのは、レストランでキョーコと食事を取っている時、日本人女性があまり喋らないので間が持たず、ドワネルは頻繁に席を外して店内の公衆電話に行って 別居中のクリスティーヌに愚痴をこぼすのですが、席に戻ってくるとテーブルの上にメモが残されていて、それには漢字で「勝手にしやがれ」と書かれている、という場面です 言うまでもなく、これはトリュフォー監督の映画のタイトルです ところで、エキゾチックな雰囲気をまとうキョーコを演じた松本弘子という女性は、日本人初のパリコレモデルだそうです

トリュフォーの映画を観るたびに思うのは、なぜ自分はトリュフォーの映画が好きなんだろう、ということです

【追記】

「勝手にしやがれ」はトリュフォー原案によるゴダールの監督作品です

 

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コメント (2)
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