21日(水)。わが家に来てから今日で1239日目を迎え、20日午前8時40分ごろ 米軍三沢基地を離陸した直後のF16戦闘機のエンジン部分から出火し 主翼の下に取り付けていた燃料タンク2本を上空から小川原湖に投棄し 同基地に緊急着陸した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
米軍は物騒な物ばかり落とさないで 純度100%の金メダルでも落としてよ
昨日、夕食に「キャベツ、ピーマン、ソーセージの中華卵炒め」「シメジ、玉ねぎ、ベーコンのスープ」「生野菜とサーモンのサラダ」を作りました 「キャベツ~」は初挑戦ですが、はっきり言って典型的な時短料理です
昨日、池袋の東京芸術劇場コンサートホールで東京交響楽団のコンサートを聴きました これは「2018都民芸術フェスティバル」参加公演です。オール・モーツアルト・プログラムで①歌劇「フィガロの結婚」序曲、②フルート、ハープと管弦楽のための協奏曲ハ長調K.299、③交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」です ②のフルート独奏=高木綾子、ハープ独奏=吉野直子、指揮はロッセン・ゲルゴフです
オケはいつもの東響の並びで、左サイドにヴァイオリン・セクションを集めています ほぼ満席の会場の中 コンマスの水谷晃が登場しますが、定期公演と違って拍手が起こりません。客層がかなり異なるようです
1曲目は歌劇「フィガロの結婚」序曲です 歌劇「フィガロの結婚」は、ボーマルシェの戯曲をもとにダ・ポンテが台本を書き、モーツアルトが作曲したオペラの傑作ですが、序曲はその喜劇的な内容を端的に表した軽快な音楽です
1981年ブルガリア生まれの指揮者ロッセン・ゲルゴフが登場、演奏に入ります この歌劇は序曲を聴くだけでワクワクしてきます ファゴット首席の福士マリ子、フルート首席の甲藤さち、オーボエ首席の荒木奏美の演奏が冴えわたります。まずは挨拶代わりの演奏といったところです
2曲目は「フルート、ハープと管弦楽のための協奏曲ハ長調K.299」です モーツアルトは1777年9月、母アンナ・マリアと共にマンハイムとパリへ求職旅行に出ましたが、マンハイムで宮廷楽団の首席フルート奏者ヴェンドリングの演奏を聴いて深い感銘を受けます 当地でアロイジア・ウェーバーに失恋し、失意の中 翌78年3月パリに到着し、旧知のグリム男爵からド・ギーヌ伯爵を紹介されます。伯爵はアマチュアのフルート愛好家で、娘がハープを演奏していたため、モーツアルトは 父娘共演のための「フルート、ハープと管弦楽のための協奏曲」の作曲を依頼されたのでした モーツアルトは、当時フルートもハープも音程が不安定だったため、あまり好きではなかったようですが、出来上がった曲を聴く限り、たとえようのない華やかさと美しさを兼ね備えた作品になっています この曲は第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンティーノ」、第3楽章「アレグロ」の3楽章から成ります
ハープが指揮台の左サイドに置かれ、ソリスト二人と指揮者が登場しスタンバイします 吉野直子さんは白の、高木綾子さんはブルーを基調とする鮮やかな衣装です
ゲルゴフのタクトで第1楽章が開始されます 高木さんと吉野さんの演奏は、宮殿に女王が現れたようで華麗そのものです 第2楽章は優美なセレナードと言っても良いでしょう 第3楽章は速めのテンポにより華やかな音楽が奏でられます この曲でも木管群の演奏がソリストをしっかりと支えていました
自席は通路から3つ目の席なのですが、前半の演奏が終わったので、席を立って通路に出ようとしたら、隣席に動物の脚が見えたのでギョッとしました よく見ると盲導犬が夫婦らしき2人の席の下に寝そべっていたのです 席に着く時に気が付かなかったのは、盲導犬にコートが掛けられていたからでした それにしても、よく訓練されているな、と感心しました オケが大きな音で演奏してもビクともしないで 大人しく寝そべっているのです 第一生命ホールではよく見かけますが、東京芸術劇場で見たのは初めてです。今年はイヌ年なので例年以上に犬闘して欲しいと思います
プログラム後半は交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」です モーツアルトの後期三大交響曲(第39番~第41番)が作曲されたのは1788年6月末から8月にかけてです これほど有名な曲なのに、どういう動機で作曲されたのかが現在に至ってもなお解っていません 現在では ①イギリスでの演奏会を念頭において書いた、②その年の夏の野外演奏会のために書いた、③ハイドンがパリで作曲した3曲の交響曲(第82番から第87番まで6曲セットで書かれた「パリ交響曲集」のうち最初の3曲)に刺激を受けて 3曲まとめて出版しようとして書いた、という諸説があるようです 昨年10月のブログにも書いた通り、私はこのうち③の説が最も説得力があると思っています
モーツアルトの後期三大交響曲(第39番~第41番)は上記の通り1788年の夏に一気に作曲されましたが、それより2~3年前に書かれたハイドンの交響曲第82番~84番(1785~86年作曲)の3曲と調性が一致しているのです(下記の比較を参照)。それが モーツアルトが師と仰ぐ(師事したということではありませんが)ハイドンを意識して作曲したのではないかと思う根拠です
ハイドン 交響曲第82番ハ長調 モーツアルト 交響曲第41番ハ長調
ハイドン 交響曲第83番ト短調 モーツアルト 交響曲第40番ト短調
ハイドン 交響曲第84番変ホ長調 モーツアルト 交響曲第39番変ホ長調
なお、交響曲第41番ハ長調は「ジュピター」という愛称で呼ばれていますが、これはモーツアルトが付けたニックネームではなく、ハイドンをロンドンに呼び寄せて「ロンドン交響曲集」を書かせた興行主ザロモンが名付けたものです 堂々たる響きのこの曲は「ジュピター」の愛称がピッタリです この曲は第1楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」、第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」、第3楽章「アレグレット」、第4楽章「モルト・アレグロ」の4楽章から成ります
ゲルゴフが指揮台に上がり第1楽章が開始され、力強い冒頭動機が演奏されます 全楽章を通じて感じたのは、独特なアクセントでメリハリを付ける指揮者だな、ということです それが平板になりがちな演奏を避けるのに成功しています この曲でも木管楽器群の演奏が冴えわたります オケが総力を挙げて展開した第4楽章フィナーレの堂々たるフーガは怒涛の快進撃でした
会場いっぱいの拍手とブラボーに、ゲルゴフ+弦楽セクションが「ディベルティメントK.136」の第3楽章をアンコールとして演奏しました ゲルゴフは途中で指揮台を降りて職場放棄、水谷コンマス率いる東響の弦楽奏者に演奏を任せ「こんなもんです」といった表情を見せましたが、図らずも東響弦楽セクションが指揮者なしでも十分に演奏できることを証明しました 彼は 最後のフィナーレで職場復帰、「いいとこ取り」をして拍手喝さいを浴びました 思わず心の中で「それって裁量労働?」とツッコミを入れましたが、「最良労働です!」というゲルゴフ首相の答弁が聞こえたように思いました