人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン「プレシャス1pm」でモーツアルト「弦楽四重奏曲第15番K.421」から第3楽章他を聴く~原田幸一郎、池田菊衛、磯村和英、毛利伯郎らの名人芸

2018年06月07日 07時22分23秒 | 日記

7日(木)。わが家に来てから今日で1344日目を迎え、12日にシンガポールで開催される米朝首脳会談の会場について、米ホワイトハウスのサンダース報道官が5日午後、会談場所はシンガポール本島の南にあるセントーサ島のカペラホテルとなることをツイッターで明らかにした というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     セントーサ島で米朝会談が成功すれば 両首脳はそろって銭湯さ  決裂すれば戦闘さ

 

         

 

昨日、夕食に「サバの塩焼き」「生野菜とシラスのサラダ」「マグロの山掛け」「ワカメの味噌汁」を作りました あとは市販の博多辛子明太子です。魚は週1回のローテーション入りが確立しました

 

     

 

         

 

昨日、サントリーホール「ブルーローズ」で、サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン「プレシャス1pm」公演を聴きました プログラムは①ドヴォルザーク「弦楽四重奏曲第12番”アメリカ”」より第1楽章、②モーツアルト「弦楽四重奏曲第15番K.421」より第3楽章、③チャイコフスキー「弦楽四重奏曲第1番」より第2楽章、④バルトーク「弦楽四重奏曲第4番」より第4楽章、⑤ドヴォルザーク「ピアノ五重奏曲第2番」より第1・4楽章です 演奏は、ヴァイオリン=原田幸一郎、池田菊衛、ヴィオラ=磯村和英(以上、元・東京クヮルテット)、チェロ=毛利伯郎(元・読響ソロ チェリスト)、ピアノ=練木繁夫です

 

     

 

自席はLb1列10番、左ブロック右通路側です。会場は結構入っています

1曲目はドヴォルザーク「弦楽四重奏曲第12番ヘ長調作品96”アメリカ”」より第1楽章です この作品はドヴォルザーク(1841‐1904)がニューヨークのナショナル音楽院の院長を務めた1892年9月から95年4月までの間に作曲されました 全4楽章から成りますが、演奏される第1楽章は「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」です

原田幸一郎、池田菊衛、磯村和英、毛利伯郎の各氏が登場、さっそく演奏に入ります 原田氏の第1ヴァイオリンが良く歌い、磯村氏のヴィオラも絶好調です 4人の円熟の演奏を聴くと、ドヴォルザークって素朴な感じがいいなぁと思います

演奏後、第2ヴァイオリンの菊田氏がマイクを持って挨拶します

「皆さま、今日は雨が降る中 お出でいただきありがとうございます。この4人では1,500回くらい演奏していますが、ドヴォルザークは初めてだと思います   4人の共通点はアメリカで勉強したことです(※4人ともジュリアード音楽院で学んでいる。それで「アメリカ」を演奏するのか!?)。次に演奏するモーツアルトの曲については、原田君が思い出があるようなので披瀝してもらいます

と言って原田氏にマイクを渡します

「スイスのダボスでコンサートをやった時、列車の遅れのためギリギリで会場に着いて、音合わせもろくに出来ないまま本番に臨んだことがあったのですが、当時 第2ヴァイオリンを弾いていた(1969‐74)名倉淑子さんの譜面台を覗くと まったく違う曲の譜面が載っていたのです 彼女はあわててバックステージにモーツアルトの譜面を取りに行きました。この曲には そんな思い出があります

と話しました。そしてモーツアルト「弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421」より第3楽章の演奏に入りました 

この作品はモーツアルト(1756‐1791)がハイドンの「ロシア四重奏曲」(作品33.第37番~第42番)を聴いて深い感銘を受け、1782年暮れから約2年の歳月をかけて作曲した6曲の弦楽四重奏曲「ハイドン・セット」(第14番~第19番)の2曲目に当たる作品です モーツアルトが作曲した弦楽四重奏曲全23曲の中で2曲しかない短調作品の一つ(もう一つは第13番ニ短調K.173)で、第1、第3、第4楽章が短調で書かれているのが大きな特徴です 演奏される第3楽章は「メヌエット:アレグレット」です

曲全体を覆う悲しみを引きずったメヌエットですが、中盤のトリオにおいて ピッツィカートに乗って舞い上がる原田氏による第1ヴァイオリンの歌は味わい深いものがありました


     

              紫っぽいですがブルーローズです


3曲目はチャイコフスキー「弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品11」より第2楽章です この作品はチャイコフスキー(1840‐93)が1871年に作曲した曲で全4楽章から成ります 第2楽章は「アンダンテ・カンタービレ」として単独で演奏されることが多い楽曲です。「1876年12月に郊外からモスクワに来たレフ・トルストイに敬意を表し、ニコライ・ルビンシテインが特別音楽祭を催した際 この曲も演奏されたが、第2楽章の演奏を聴いたトルストイは感動のあまり涙を流した   このことについて、チャイコフスキーは10年後の1886年7月2日の日記に『あの時ほど、喜びと感動をもって作曲家として誇りを抱いたことは、おそらく私の生涯に二度とないであろう』と記している」というエピソードがあります

第1ヴァイオリンの原田氏による名人芸のような演奏に舌を巻きます 優れた演奏で聴くと、何と懐かしさを感じさせる曲なのか、何と心温まる曲なのか、と思います


     


4曲目はバルトーク「弦楽四重奏曲第4番イ長調作品91」より第4楽章です この曲についてヴィオラの磯村氏が次のように解説します

「プログラムにモダンな曲を1曲加えてはどうか、と提案し、”仕方なく”賛同されました とは言え、ランチタイムコンサートなので、堅苦しくない曲を ということでバルトークのこの曲を選びました   この楽章は最初から最後までピッツィカートによって演奏されます  この曲の献呈を受けたプロ・アルテ弦楽四重奏団が初演した際、演奏者が楽器をギターのように抱えて演奏したところ、バルトークが非常に喜んだというエピソードがあります   そこで、私はその時のようにヴィオラを抱えて演奏します

そして、ベーラ・バルトーク(1881‐1945)が1928年に作曲した「弦楽四重奏曲第4番イ長調作品91」より第4楽章「アレグロ・ピッツィカート」の演奏に入りました 4人は通常のピッツィカートよりも強く弦をはじく「バルトーク・ピッツィカート」によって力強くも軽快に演奏しました   足を組んでギターのようにヴィオラを奏でた磯村氏は絶好調でした

プログラムの最後はドヴォルザーク(1841‐1904)の「ピアノ五重奏曲第2番イ長調作品81」より第1・4楽章です この作品はドヴォルザークが1887年8月から10月にかけて(46歳の時)作曲され、1888年1月6日にプラハで初演されました 1872年に第1番が作曲されましたが、ほとんど演奏される機会がないので、ドヴォルザークの「ピアノ五重奏曲」と言えばこの第2番を指すことが多いのが実態です

ここでピアノの練木繁夫氏が加わります 第1楽章「アレグロ・マ・ノン・タント」が練木氏のピアノに導かれて毛利氏のチェロが美しいメロディーを奏でます そしてヴァイオリン、ヴィオラが加わり、スケールの大きな音楽が展開します 第4楽章「フィナーレ:アレグロ」は力強く推進力に満ちた曲想で、弦楽に負けず練木氏のピアノが良く歌います そしてドラマティックなフィナーレを迎えます

5人はアンコールに今 演奏したばかりのドヴォルザーク「ピアノ五重奏曲第2番」の第3楽章「スケルツォ」を民族色豊かに演奏し、拍手喝さいを浴びました

梅雨入りして小雨が降る中、サントリーホールまで出かけた甲斐がありました


     

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