12日(火)。わが家に来てから今日で1349日目を迎え、主要7か国首脳会議(G7サミット)は9日、「保守主義と闘い続ける」とうたい、北朝鮮の非核化を求める首脳宣言をまとめて閉幕したが、閉幕直後にトランプ米大統領がツイッターで「宣言を承認しないように指示した」と表明した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
納得づくで決めたことを 後でひっくり返すんだから 米朝会談もどうなることやら
昨日、夕食に「ハッシュドビーフ」と「生野菜とアボカドのサラダ」を作りました 月曜日はなぜか「ハッシュドビーフ」が定番になりつつあります
10月14日(日)午後2時から第一生命ホールで開かれる「オイストラフ弦楽四重奏団」の公演チケットを取りました プログラムは①ハイドン「弦楽四重奏曲第38番”冗談”」、②ショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第4番」、③メンデルスゾーン「弦楽四重奏曲第6番」、④加藤昌則:新作の4曲です
この公演のチケットを取ったのは、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲を聴くのが第一目的です コンサートのチラシで「メンデルスゾーン」の名前を見ると、どんな演奏者だろうと演奏曲名に反応して 即チケットを取りにいきます
10日(日)午後7時からサントリーホール「ブルーローズ」で、カザルス弦楽四重奏団「ベートーヴェン・サイクルⅥ~弦楽四重奏曲第6番、第16番、第15番」を聴きました これはサントリーホール チェンバーミュージック・ガーデンの一環として開かれたコンサートで、4日間全6回連続公演の最終回です
4日間で6回聴いたセット券の座席はC4列5番、センターブロックの真ん中でした この日も雨の降る中、多くの聴衆が集まりました
この公演の共通テーマは「言葉がもたらすインスピレーション」です。これはすぐに分かりそうです
1曲目は「弦楽四重奏曲第6番変ロ長調作品18-6」です 1798年から1800年にかけて作曲され、ベートーヴェンの後援者フランツ・ヨーゼフ・フォン・ロプコヴィツ侯爵に献呈された6つの弦楽四重奏曲の一つです 作曲順は第3、第1、第2、第5、第6、第4番なので、5番目に作曲された曲ということになります
第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」、第2楽章「アダージョ・マ・ノン・トロッポ」、第3楽章「スケルツォ:アレグロ」、第4楽章「ラ・マリンコニア、アダージョ~アレグレット・クアジ・アレグロ」の4楽章から成ります
この曲の大きな特徴は第4楽章に「ラ・マリンコニア(メランコリー)」と名付けられた長い序奏が置かれていることです
第1ヴァイオリンのアベル・トマスの合図で第1楽章に入りますが、極めてハイドン流の明快で軽妙な音楽という印象を受けます もちろん、ベートーヴェンはハイドンに師事したことがあったので、師匠の影響を受けるのは当然だとも言えます。しかし、第4楽章のアダージョに入ると、まさにメランコリーに相応しい「もの哀しさ、憂うつな感じ」の音楽が展開します ここに至ってはハイドン風はなくなっていて、ベートーヴェンの世界です その意味では、この楽章は師匠ハイドンへの決別の音楽かも知れません
ピンクっぽいですが、ブルーローズです
2曲目は完成された最後の弦楽四重奏曲「第16番ヘ長調作品135」です この曲は1826年10月にウィーンで作曲され、友人のヨハン・ヴロフマイヤーに献呈されました 初演はベートーヴェンの死後、1828年3月23日にシュパンツィク四重奏団により行われました
後期の弦楽四重奏曲は作曲順に第12番=4楽章、第15番=5楽章、第13番=6楽章、第14番=7楽章と拡大・複雑化してきましたが、ベートーヴェンは最後の第16番に至って古典的な4楽章に戻しました 彼に何があったのでしょうか? ちなみにこの作品の完成の翌年(1827年3月)にベートーヴェンは天に召されています
第1楽章「アレグレット」、第2楽章「ヴィヴァーチェ」、第3楽章「レント・アッサイ、カンタンテ・エ・トランクィッロ」、第4楽章「ようやくついた決心:グラーヴェ、マ・ノン・トロッポ・トラット~アレグロ」の4楽章から成ります
この曲は前述の通り、第4楽章の冒頭に「ようやくついた決心」という標題が付されており、序奏の「そうでなければならぬのか?」と記された重苦しい問いと、第1主題の「そうでなければならぬのだ!」という明るい答えが中心動機を形成します
第1ヴァイオリンがヴェラ・マルティナス・メーナーに代わります 第1楽章の明朗な曲想、第2楽章の激しいまでの躍動感あふれるスケルツォに次いで、第3楽章が第1ヴァイオリンのヴェラさんにより繊細で叙情的に演奏されます ベートーヴェンの弦楽四重奏曲では特に緩徐楽章が素晴らしいということは、これまで何度も書いてきたことですが、ここで繰り返して指摘せざるを得ません
第4楽章は前述の「そうでなければならぬのか?」と「そうでなければならぬのだ!」の動機を基に音楽が展開しますが、この第4楽章の楽観的であっけらかんとした曲想を聴くと、問いかけと応答の言葉の内容は深刻な問題提起とその回答ではなく、巷間言われてきた「家政婦との給料をめぐる問答」に近いことをテーマにしているように感じます 小学校の音楽教室に掲げられたしかめっ面した肖像のベートーヴェンは、実際には結構ユーモアのある人物だったようなので、そういうこともあり得るかな、と思います
休憩後の3曲目は「弦楽四重奏曲15番イ短調作品132」です この曲は1824年から25年8月までウィーンで作曲され、第12番、第13番とともにニコライ・ゴリツィン侯爵に献呈されましたが、25年11月6日にシュパンツィク四重奏団により初演されました
第1楽章「アッサイ・ソステヌート~アレグロ」、第2楽章「アレグロ・マ・ノン・タント」、第3楽章「病癒えし者の神への聖なる感謝の歌、リディア旋法で:モルト・アダージョ~新しい力を感じて:アンダンテ」、第4楽章「アラ・マルチャ、アッサイ・ヴィヴァーチェ~ピゥ・アレグロ」、第5楽章「アレグロ・アパッショナート」の5楽章から成ります
ベートーヴェンは作曲の途中で持病の腸カタルが悪化し、数週間寝込んでいたということもあってか、第3楽章の冒頭に前述の通り「病癒えし者の神への聖なる感謝の歌、リディア旋法で」と記し、中間部に「新しい力を感じて」という言葉を記しているのが特徴です
ヴェラさんの合図で演奏に入ります 面白いのは第2楽章の中間部で2本のヴァイオリンを中心に演奏されるバグパイプ風の響きです 弦楽器でバグパイプの音を出すのは相当難しいと思いますが、ヴェラさんとアベル氏の演奏はバグパイプそのものです ここで思うのは、ベートーヴェンはバグパイプを知っていたのだろうか、そうであればどこで聴いたのだろうかということです 第3楽章は荘重なコラールによる神への「感謝の歌」です 当時は医学が今ほど発達していなかったので、病気が改善した時の喜びは今以上だったことでしょう この楽章では第1ヴァイオリンのヴェラさんの抑制された高い美意識による演奏が美しく響きます 「感謝の歌」に続くのは「新しい力」です この音楽は聴く側に希望を持たせます その後 第4楽章の勇ましい行進曲を経て、そのまま第5楽章になだれ込み、短調の魅力が疾走します
演奏し終わった4人の表情を見ると、ベートーヴェンの全ての弦楽四重奏曲(+1曲)を弾き終わったという達成感と安堵感に満ち溢れていました 会場いっぱいの拍手とブラボーにカーテンコールを繰り返す4人は誇らしげに見えました 聴く側としても「ベートーヴェン、全部聴いたぞ」という達成感があります
この公演の共通テーマは「言葉がもたらすインスピレーション」でしたが、言うまでもなく、第6番における「ラ・マリンコニア」、第16番における「ようやくついた決心」「そうでなければならぬのか?」「そうでなければならぬ」、第15番における「病癒えし者の神への聖なる感謝の歌」「新しい力を感じて」という言葉がキーワードでした
この4日間は、まずCDで予習して、本番を聴いて、ブログに書いて、次の曲の予習をして・・・といったことの繰り返しで、まさにベートーヴェン漬けの毎日でした 正直言って すごく疲れました とくに昼と夜にコンサートがあった後半2日間はとてもしんどかった
なお、予習で聴いたCDはアルバン・ベルク四重奏団(1980~83年録音)とイタリア弦楽四重奏団(1967~75年録音)によるもの、Hess34の原曲となった「ピアノ・ソナタ第9番」はフリードリヒ・グルダの演奏(1967年録音)によるものです
カザルス弦楽四重奏団の公演については以上の通りですが、ここで久々にサスペンダー爺さんの問題行動について書かなければ気が済みません これまで何度もあちこちのコンサート会場で見かけましたが、開演直前の着席はごく当たり前の風景になっていたので あえてコメントすることはしませんでした しかし、今回はあまりにもひどかったので書くことにします
ベートーヴェン・サイクルでは全6回ともサスペンダー爺さんは最前列のど真ん中の席で、私はちょうどその3列後ろの真ん中の席でした 見たくなくても目に入る位置にあります まず、開演時間ギリギリに入場するのはいつものことでしたが、聴衆が静かに演奏者を待つだけのタイミングで、麦わら帽子をかぶり 大きな荷物(鍋釜が入っている?)を背負って、雪駄をカランコロンさせながら堂々と入場してきて、「オレ様の登場だ」とばかりに客席側に振り返って顔見せしてから着席します これが大ホールであれば床が絨毯敷きなので音は気にならないのですが、ブルーローズは板張り(箱根寄せ木細工)なので、底が固い雪駄の音は会場に響くのです 静かな会場の中を よく恥ずかしくもなくカランコロンと音を立てて入場できたものだと呆れ果てます 近くの席から「あっ、きたきた!」「あの人いったいどういう人なんだろうね?」という声が聞こえて来ます。「目立つことだけが生きがいの、自己顕示欲の塊りの爺さんですよ」という言葉をグッと呑み込みました 人々がコンサート会場に来るのは日常から離れ 非日常の世界に浸って音楽を聴くためです。それを あのカランコロンが人々の意識を一気に日常に引き戻してしまうのです。興ざめであることこの上なし サントリーホールは雪駄履きの人物を入場拒否すべきではないか 目障り 耳障りの上 床も傷むことだし
それだけなら敢えて書く必要もなかったのですが、最終公演の最後の曲「第15番」の時のことでした 第1楽章が終わると、爺さんが下を向いて何やらガサゴソ始めたのです。自席からは後ろ姿しか見えないので何をやっているのか分からないのですが、袋から何かを取り出すようなバリバリという音がしました 最前列のど真ん中なので、当然 4人の演奏者の目にも耳にも入っています。4人とも「何やってんだ、この爺さん?」という感じで見ています 爺さんが音を立てるのを止めない限り第2楽章の演奏に入れないのです。隣席の人も「このタイミングで何やってんだ、このバカが」といった厳しい表情で爺さんを見ています。はっきり言って爺さんの行為は演奏妨害です スペインからわざわざ日本までやってきて連日素晴らしい演奏を聴かせてくれたカザルス弦楽四重奏団の皆さんに失礼です。日本人の恥です 一番の問題は 周囲の者が目障り耳障りだと迷惑を被っているのに、本人だけがそうは思っていないということです こういう厚顔無恥の四面楚歌な人物は各コンサート会場でブラック・リストに載せて(もう載っているかも知れませんが)、入口で入場規制出来ないものか、とまで考えてしまいます