人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

秋山和慶✕マルカンドレ・アムラン✕東響でブラームス「ピアノ協奏曲第1番」、シューマン「交響曲ト短調”ツヴィッカウ”」、クララ・シューマン「行進曲」を聴く~ヴィルトゥオーゾ・ピアニストの魅力全開!

2018年06月24日 07時29分04秒 | 日記

24日(日)。昨日のブログの冒頭で、「今朝は朝から頭痛が痛いです」と書いたところ、勝浦市在住の大学時代の友人S君から、「なにこれ!?今朝の朝刊、明日の朝刊は解るけど、二日酔いで頭が痛い、とか、頭痛がするとか、じゃないの?! 頭痛が痛い・・・新聞に携わって来た人なら・・・」というお叱りのメールが入りました

「今朝は朝から頭痛が痛い」という言い回しは、言うまでもなく私一流の(二流か)ジョークで、普段から当ブログをご覧いただいている読者の方なら分かっていただけると思って”確信犯”で書いたものです S君にはその旨返信しておきましたが、後でよく考えてみたら、このジョークが通じない読者が少なからずいるのではないか、toraは日本語の使い方を知らない無知蒙昧な奴だと思っている読者の方が多いのではないか と思い、反省しました

ただ、私の立場から言わせていただくと、「今朝は二日酔いで頭が痛い」というのであれば、面白くも何ともないので何も書かないと思います 「今朝は朝から頭痛が痛い」あるいは「今朝は朝から頭が頭痛だ」であるからこそ書く意味があるのです 読者の皆さんがご覧いただいているこのブログは、何の変哲もない文章としてスーッと読まれているかもしれませんが、完成した文章は誤字脱字のチェックをはじめ 前後の脈絡が日本語としておかしくないかなど、推敲に推敲を重ねたうえで投稿しています

今回の件は 今度から、「今朝は朝から頭痛が痛いです」の次に「これから今日の朝の新聞の朝刊を読むことにします」とでも書けば、ジョークだと理解していただけるのではないか、と思ったりしています いずれにしても、S君のように毎日このブログを読んでくれて、気になったことはメールで伝えてくれる友人がいることはとても心強く 嬉しいことです

 

         

 

昨日午前、住んでいるマンションの管理組合の定時総会があり出席しました 議題が10項目もあったため2時間半もかかってしまいました 議案の一つに管理規約変更の件(住宅宿泊事業(民泊)等の禁止)が上程されていました。管理規約によると規約変更は「組合員総数の4分の3以上でかつ議決権総数の4分の3以上の多数により承認を得ることが議決要件となる」という特別議決事項なのですが、本人出席・委任状出席が4分の3に達しなかったため決議が出来ず、決議は次回の定時総会(1年後)に持ち越すことになりました これは欠席者で委任状を出さない者が多数に及んだことが原因です。主にワンルームの居住者が多く、日本人以外の居住者が増えていることも要因となっているようです 取りあえず、「特別決議は出来なかったが、採決の結果、賛成多数で民泊禁止規定を追加することを次回総会に諮ることを決めた」旨を総会議事録に記録するということで決着しました

もう一つは「高層棟の暗証番号廃止の件」です。住んでいるマンションはオートロック式なので、鍵でも暗証番号でもオートロック内に入ることが出来ますが、「元居住者が不動産業者に番号を教え、部屋へ客を案内させていた」「小学生低学年の子供が番号を教え合って勝手に入ってきて廊下で騒いでいた」「流星群の時に、屋上に上がって鑑賞しているカップルがいた」などの事例が報告され、リスク管理の面から問題があるとして暗証番号廃止が提案されました 採決の結果、暗証番号は廃止することとし、マンション入口では鍵で開錠することを決定しました。7月からはゴミ捨てに行く時も鍵を持っていかないと部屋に戻れなくなります 常に鍵を持っていることがキーポイントになります 気を付けねば

ということで、わが家に来てから今日で1361日目を迎え、トランプ米大統領が22日、北朝鮮に対する米国の経済制裁を指示した大統領令をさらに1年間継続する方針を議会に通知したというニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      9日前には「北朝鮮の脅威はもはやなくなった」とツイートしてなかったっけ?

 

         

 

昨夕、サントリーホールで東京交響楽団の第661回定期演奏会を聴きました プログラムは①クララ・シューマン/ユリウス・オット・グリム編「行進曲変ホ長調」、②シューマン「交響曲ト短調”ツヴィッカウ”」(未完成交響曲)、③ブラームス「ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15」です ③のピアノ独奏はマルカンドレ・アムラン、指揮は東響桂冠指揮者・秋山和慶です

 

     

 

オケはいつもの編成で、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並び。コンマスはグレヴ・二キティンです

1曲目はクララ・シューマン/ユリウス・オット・グリム編「行進曲変ホ長調」です クララ・ヴィーク=シューマン(1819‐1896)は言うまでもなくロベルト・シューマンの妻であり、ブラームスが生涯密かに愛していた女性です この作品は、ドレスデン時代に交流のあったヒュープナー夫妻の金婚式のために1879年に作曲されたピアノ曲ですが、ユリウス・オット・グリムが1888年のクララの演奏家60周年記念のために編曲した管弦楽版により演奏されます

秋山和慶の指揮で演奏が開始されます。冒頭のファンファーレはほとんどメンデルスゾーン(1809‐1847)の「結婚行進曲」のパクリではないかと思うほど晴れやかな曲想です 全体的に単純にして明快な音楽ですが、残念ながら深みは感じません

2曲目はシューマン「交響曲ト短調”ツヴィッカウ”」(未完成交響曲)です この曲はロベルト・シューマン(1810‐1856)の初めての交響曲ですが、1832年11月、後の妻となる当時13歳のクララ・ヴィークが出演するツヴィッカウ(ロベルト・シューマンの生地)での演奏会のために作曲されました 第1楽章だけが演奏会に間に合ったものの、評判は天才少女クララに軍配が上がり、ロベルトのこの曲はほとんど無視されたようです その後、彼は第2楽章を作曲しましたが、そのまま未完成で終わりました 第1楽章「アレグロ・モルト」、第2楽章「アンダンティーノ・アッサイ・アレグレット~インテルメッツォ・クワジ・スケルツォ:アレグロ・アッサイ~アンダンティーノ」の2楽章から成ります

秋山和慶のタクトで第1楽章が開始されます 冒頭から力強い音楽が展開し、若きシューマンの意気込みを感じさせます それは第2楽章にも言えることで、ダイナミックな演奏が展開します 初めてこの曲を聴きましたが、なかなか良い曲だと思いました。もう一度聴きたいと思ったくらいです

 

     


休憩後のプログラム後半はブラームス「ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15」です この曲の原型は1854年に書かれた3楽章構成の「2台のピアノのためのソナタ」です 親友のヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムやクララのアドヴァイスを受けながら、1856年10月から57年1月にかけて作曲しました。第2楽章は当初、スケルツォで書かれていましたが、1856年7月に死去したロベルト・シューマンへの哀悼を込めてか、アダージョに書き直されて完成されました 第1楽章「マエストーソ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「ロンド:アレグロ・ノン・トロッポ」の3楽章から成ります

ソリストのマルカンドレ・アムラン(1961~)が指揮者とともに登場、ピアノに向かいます アムランと言えば、ゴドフスキ、アルカン、メトネルといった超絶技巧ピアノ曲の演奏を思い浮かべます 10年以上前に東京オペラシティコンサートホールで彼のピアノによる超絶技巧曲(多分、協奏曲)を聴いた覚えがあります。プログラム冊子にサインをもらったのですが、例によってどこにあるのか不明です

秋山和慶の指揮で第1楽章が長い序奏から開始されますが、まさにブラームスの音です おもむろにアムランのピアノが入ってきますが、堂々たる演奏はまさにヴィルトゥオーゾ・ピアニストです この情熱的な曲想はブラームスのクララに対する抑えがたい愛情表現でしょうか 第2楽章のアダージョは亡くなった恩人シューマンに対する哀悼の気持ちとクララへの愛がごちゃ混ぜになっているような曲想です 第3楽章に入ると、第1楽章と同様、ヴィルトゥオーゾ性が前面に出てきます。堂々たるブラームスです

アムランはアンコールにシューベルトの「4つの即興曲作品142-2 D935」を演奏、聴衆のクールダウンを図りました アルカンの派手な曲でも演奏するのかと半ば期待していましたが、予想を裏切られました もっともアムランは単なる技巧をひけらかす曲は演奏しないと言っているようなので、そうした曲を期待する方が間違っているのかも知れません

この日のアムランの演奏を聴いて、10数年前の「超絶技巧ピアニスト」という印象がすっかり変わりました

コメント (2)
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