8日(日)。昨日の日経夕刊に「今月、イベント中止相次ぎ フリーの音楽家や舞台関係者 『収入10万円以上減』6割」という見出しの記事が載っていました 超訳すると、
「新型コロナウイルスの感染拡大を受けたコンサートや舞台の相次ぐ中止で、フリーの音楽家や舞台関係者の生活が脅かされている クラシック音楽などの公演を手掛けるNPO法人 日本伝統文化交流協会が音楽家ら千人以上に実施したアンケート調査によると、6割以上の人が『3月だけで10万円以上の収入減になる見込みだ』と回答した
回答者は 声楽家、ピアニスト、指揮者、俳優、ダンサーなど約1120人で、約8割が特定の事務所や楽団などに所属せずに活動するフリーランスである
3月の生活費を『収入で賄える』との答えは13.9%だけで、『不足分は貯蓄を取り崩す』と答えた人が65.1%にのぼった
3月中に関わる予定だったが中止となった公演数を聞いたところ、『5回以上』が38.4%に達した
調査を担当したグロービス経営大学院准教授で、声楽家としても活動する武井涼子氏は『新型コロナウイルスの影響が長引けば、芸術活動だけでは暮らしが成り立たない人が増える。芸術家にとって危機的状況だ
』と話している」
新型コロナウイルス感染拡大によるコンサート中止問題は、オーケストラなどに所属している演奏家にとっても大きな問題だと思いますが、身分の不安定なフリーランスの人たちにとっては死活問題だということが良く分かります 一日も早く事態が収束することを祈るばかりです
ということで、わが家に来てから今日で1986日目を迎え、トランプ米大統領は6日、マルバニー大統領首席補佐官代行が辞任し、後任の首席補佐官に自らに近いマーク・メドウズ下院議員をあてる人事をツイッターで発表した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
イエスマンで固めて大統領選を乗り切るつもりだろうが 新型肺炎に勝てるかな?
昨日、池袋の新文芸坐で「気狂いピエロ」と「アンナ」の2本立てを観ました
「気狂いピエロ」はジャン=リュック=ゴダール監督による1967年フランス・イタリア合作映画(デジタルリマスター版・105分)です。
「ピエロ」と呼ばれるフェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)は、妻マリア(グラッツィラ・ガルバーニ)との退屈な結婚生活から抜け出したいという衝動に駆られ、偶然再会した昔の恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)と一夜を過ごす 翌朝、見知らぬ死体を見つけた2人は逃避行を始めるが、やがてマリアンヌはフェルディナンに嫌気がさし、ギャングと通じてフェルディナンを裏切る
マリアンヌはフェルディナンのことを「ピエロ」と呼び、彼はそのつど「俺はフェルディナンだ」と訂正します しかし、最期は自分を裏切ったマリアンヌを銃殺し、顔をペンキで青く塗ってダイナマイトを頭に巻き付けて自爆するのですから、やっぱり「ピエロ」なのです
序盤のパーティ・シーンで、ベートーヴェンの「第5交響曲ハ短調」の冒頭の有名なテーマが鳴り、「第1章」というタイトルが出ます あたかもフェルディナンの悲惨な運命を暗示しているかのようです
また、二人が盗んだ車でドライブしている時には、ヴィヴァルディ「フルート協奏曲ニ長調”ごしきひわ”」の第1楽章「アレグロ」が軽快に流れます
私には「いいじゃないの、今が良けりゃ」と聴こえました
テレビからベトナム戦争のニュースが流れるシーンがありますが、この映画が撮影された1960年代中頃の時代に想いを馳せました 映画は時代を映し出す鏡だとあらためて思います
「アンナ」はピエール・コラルニック監督による1966年フランス映画(4Kデジタルリマスター版・86分)です
アンナ(アンナ・カリーナ)は新天地を求めて田舎からパリへやってくる 広告代理店の社長セルジュ(ジャン=クロード・ブリアリ)は、駅構内で撮影したポスターに偶然写り込んでいた彼女に一目ぼれし、有り余る資金を使ってパリ中を探し回る
そんなセルジュの思いに気付くマリアだったが、彼の元を去っていく
この映画はアンナ・カリーナのファンにはたまらない、彼女の魅力が溢れた作品です 眼鏡をかけている時のキュートな彼女と、外した時の魅惑的な彼女との落差が大きく、それが一層彼女の魅力を引き立てています
本作はミュージカル仕立てなので、彼女の歌うシーンも多くあります
1年前の「気狂いピエロ」でも歌うシーンはありましたが、本作の方が本格的な歌唱力を発揮しています
とてもプロの歌手の領域に達しているとは言えませんが