人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「円の急落 来日公演に痛手 ~ 円安前の報酬契約負担に:航空運賃 倍を超えた」 ~ 朝日の記事より / 村上春樹著「猫を捨てる 父親について語るとき」を読む

2022年11月15日 07時03分45秒 | 日記

15日(火)。13日付の朝日朝刊に「円の急落 来日公演に痛手 ~ 円安前の報酬契約負担に」という見出しの記事が載っていました 超略すると次の通りです

「歴史的な円安の影響が文化の現場にも広がっている コロナ禍や世界的な資源高騰・物価高など様々な要因が絡み合い、来日公演にはこれまで以上に費用がかかり、一部ではチケットが値上がりに 今後の企画に影響が出る懸念もある 来日公演を数多く手掛けるウドー音楽事務所で招聘を担当する一ノ瀬亮プロモーター本部長は『海外アーティストのブッキングは厳しさを増している』と語る。コロナ禍の中で延期になったライブの振り替え公演も多い ただ、1ドル100~110円程度だった2~3年前の契約に基づき、報酬をドル建てで支払わなければならないため、円ベースだと契約当時に比べ4~5割増える 一ノ瀬さんは『赤字の公演もあるが、一度断ったら関係が切れてしまう。赤字を背負ってでも続けざるを得ない。コロナで厳しい状況に置かれた上に、追い打ちをかけられたような思いです』と語る。パリ管弦楽団の招聘元エイベックス・クラシックス・インターナショナルの中島浩之社長は『赤字はもともと織り込み済み。公演の実現を最優先にした』と語る。パリ管の招聘自体は2019年に決まっていたが、今年に入り、航空運賃や楽器輸送費が高騰したという 『響きの輝かしさがブランドの楽団なので、日本でのレンタルは前提とせずすべての楽器を運んだ。通常は2千万程度だが、今回は4千万円を超えた。スタッフも含め、総勢140人が来日したが、一人当たりの運賃も倍を超えた』と語る。チケット料金は東京公演でS席3万2千円。前回の18年の来日公演は2万6千円だった。赤字分は、照明による演出や華道家による作品展示、25歳以下が千円で入れる公開リハーサルなどの企画を仕掛けることによって、日本発のコンテンツの海外展開を促進する経済産業省の補助金『J-LOD』で補填したいとしている

円安の影響は思っていたよりも深刻であることが分かります 現在、やや円高方向にありますが、いつまで続くか誰にも分かりませんから油断できません ところで、パリ管の来日公演のツイッターを見ていたら「照明の演出はない方が良かった」という感想が散見されていましたが、その演出は経産省の補助金を得るための苦肉の策だったわけですね。初めて知りました

ということで、わが家に来てから今日で2864日目を迎え、8日投票の米中間選挙で、与党民主党が上院で優勢を維持したことに関連し、野党共和党内では上院選の敗北について、トランプ前大統領の責任を問う声が出ているが、トランプ氏は緊張関係にある党上院トップのマコネル氏に批判の矛先を向け、不協和音が強まっている  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     頼みもしないのに トランプが出しゃばって応援演説するから 落選したんだってば

 

         

 

昨日の夕食は「煮込みうどん」にしました 一昨日、娘が4回目のコロナワクチンを打ってきて昨日熱が出てあまり食欲がないと言うので、消化の良いうどんにしたのです 私も付き合いましたが、申し訳ないけど 私だけサッポロCLASSICです

 

     

 

         

 

村上春樹著「猫を捨てる  父親について語るとき」(文春文庫)を読み終わりました 実は以前買っておいた未読の本が1冊残っているのですが、本屋でこの本を発見し衝動買いしてしまい、喫茶店で一気に読破したのです

今さら紹介するまでもなく、村上春樹は毎年ノーベル文学賞の候補に挙がるのに毎年受賞を逃している人気作家です 1949年京都生まれ。早稲田大学文学部演劇科卒業。1979年「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞したのをはじめ、数々の文学賞を受賞しています

 

     

 

村上氏が父親に関して今でもありありと覚えているのは、1匹の猫を棄てに行った思い出であるとして次のようなエピソードを紹介しています

兵庫県西宮市の夙川に住んでいた昭和30年代の初めの頃、小学校の低学年だった自分と父親とで、猫を自転車で海辺に棄てに行った 浜辺に猫を置いて、さよならを言い、自転車で家に帰ってきた。玄関の戸を開けると、さっき棄ててきたはずの猫が「にゃあ」と言って愛想よく出迎えたのだ 2キロ近い距離をどうやって素早く帰って来られたのか、自分も父もとても理解できなかった・・・というものです。村上氏は次のように続けます

「そのときの父の呆然とした顔をまだよく覚えている。でもその呆然とした顔は、やがて感心した表情に変わり、そして最後にはいくらかほっとしたような顔になった そして結局それからもその猫を飼い続けることになった。そこまでしてうちに帰ってきたんだから、まあ飼わざるを得ないだろう、という諦めの心境で

不思議なエピソードです「犬は人につき、猫は家につく」と言われますが、それにしても2キロも離れた家に帰ってくるなんて、犬なら分かりますが猫は信じられません ひょっとすると村上家の猫は「シャケ」という名前だったのではないか、と思ったりしました

ところで、春樹氏の父親はお寺の息子(男ばかり6人兄弟の次男)として生まれたとのことで、戦争にも行き、その後、京都大学を出て、中高一貫私立校の国語の教師をしていたそうです ちなみに母親も国語の教師だったそうです 血は争えませんね

とは言うものの、春樹氏の学業成績は小学校から高校に至るまで、「それほどひどくはなかったものの、決して周りの人々を感心させられるような代物ではなかった」ことが、父親を少なからず落胆させたようです 「父親はトップ・クラスの成績をとってもらいたかったのだと思う」と書いています しかし、春樹氏は「机にしがみついて与えられた課題をこなし、試験で少しでも良い成績をとることよりは、好きな本をたくさん読み、好きな音楽をたくさん聴き、外に出て運動をし、友だちと麻雀を打ち、あるいはガール・フレンドとデートをしていたりする方が、より大事な意味を持つことがらに思えた もちろんそれで正しかったんだと、今になってみれば確信できる」と告白しています

村上氏は、最後にもう一つの猫にまつわるエピソードを紹介しています

「家で白い小猫を飼っていたが、ある日、庭の松の木をするすると上っていった そしてずっと上の枝の中に姿を消した。そのうちに子猫は助けを求めるような情けない声で鳴き始めた 高いところに上ってはみたものの、怖くて下に降りられなくなったのだろう 父親に事情を説明して梯子を持ってきて助けようとしたが、高すぎて届かない やがて夜になった。その後、子猫がどうなったかわからない 夜のうちに下になんとか降りてきて、そのままどこかに行ってしまったのかもしれない このことは幼い自分に教訓を残した。『降りることは、上がることよりずっとむずかしい』ということだ

これを麻雀経験者が解釈すれば、「黙テンでロンする(上がる)ことより、テンパっているのに相手のリーチを警戒して降りる方が難しい」ということになるだろうか やっぱり違うな

村上氏は「あとがき」で次のように書いています

「歴史は過去のものではない それは意識の内側で、あるいはまた無意識の内側で、温もりを持つ生きた血となって流れ、次の世代へと否応なく持ち運ばれていくものなのだ。そういう意味において、ここに書かれているのは個人的な物語であると同時に、僕らの暮らす世界全体を作り上げている大きな物語の一部でもある ごく微少な一部だが、それでもひとつのかけらであるという事実に間違いはない

個々人の人生は親から子へ、子から孫へと受け継がれていく。そうして人類の大きな歴史が作られていく

この本を読み終わって、17年前に83歳で亡くなった父親のことを思い出しました 私には双子の妹がいますが、1人は赤ん坊の時、子どもが出来ない親戚に養女として引き取られていきました。父親がまだ働き盛りの頃、その養女の家から雄の子犬を引き取ることになり、名前をどうするか家族で考えましたが、父親がチエ(養女の名前)の家から建具店(父の職業)に来たから「チータ」にしようと言い、そう名付けられました 私が大学生の時、チータがある日突然、犬特有の病気にかかり舌を出して死んでしまいました 家の裏の土に埋めてあげようということになり、父親とシャベルで穴を掘って埋めましたが、その時父親がタオルでチータの身体を綺麗に拭いてやり、身体を撫でながら「ゆっくり休んでくれ」と優しく声をかけているのを聞いて、涙がポロポロと流れて止まりませんでした 動物を飼っている人ならよく分かると思いますが、犬も猫も兎も、長年一緒に生活していると家族の一員です

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