人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

まさかの陽性 / 井上道義 語る ~ 朝日朝刊連載「人生の贈りもの 第10回 ~ 序盤に響く携帯音 とっさに転倒」:ライブ録音中のアクシデント / ギンレイホール閉館

2022年11月29日 07時05分12秒 | 日記

29日(火)。世の中には3つの坂があります。1つ目は「上り坂」、2つ目は「下り坂」、そして3つ目は「まさか」です その「まさか」の陽性です 24日(木)にO病院でPCR検査を受けましたが、検査をしたH医師から27日(日)夕刻に、その結果が陽性だったという電話連絡がありました 検査翌日の25日(金)には5回目の新型コロナワクチンを接種しているし、体温も平熱が続いているので安心していた身には、寝耳に水です 外出時は常にマスクを着用しているし、家に帰れば手指の消毒を欠かさないし、外で人と会食する機会もないので、感染の心当たりは全くありません H医師から「保健所に登録するので、保健所から連絡があると思います」と言われたので待つことにしました 私は無症状なので何とかなりますが、困るのは一緒に暮らしている娘が「濃厚接触者」となるので自宅待機を余儀なくされることです 娘は勤務先の店舗が移転して新規オープンしたばかりということもあり、先週から朝4時半には起床し、5時半には家を出て働き、午後5時に帰宅するといった超多忙な生活を送っているので、休むことによる影響が大きいのです 取り急ぎ娘の「自宅待機期間」がいつまでなのかを勤務先に連絡しなければなりません 区役所内の保健所のサイトを見ると、無症状の陽性者は「検体採取日の翌日から7日間が自宅待機」となっているので、私の場合は12月1日までと考えられます 一方、濃厚接触者の娘の場合は「り患した者との最終接触日の翌日から5日間が自宅待機」となりますが、11月29日(本日)までという解釈で良いのかどうか?  保健所からの連絡がないと勝手に判断できません とにかく待つしかないので待つことにします

ということで、わが家に来てから今日で2878日目を迎え、ロシアの独立系メディアは、プーチン政権がウクライナでの戦闘長期化を視野に、態勢立て直しの「時間稼ぎ」のため、この冬に予備役30万人の多くを危険な前線近くに投入する見通しだと報道した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プーチンは 自分の野望を遂げるためなら 兵士が何人死のうが構わないと考えてる

 

そういうわけで、私が無症状ながらコロナ感染者のため、昨日の夕食は娘が「すいとん」を作ってくれました いつも自分で料理を作っている身からすると、他人(ひと)様の作ってくれた料理はとりわけ美味しく感じます 無症状なんだから日本酒飲んでもいいよね

 

     

 

         

 

昨日の朝日新聞夕刊に「ギンレイホール  48年に幕」という記事が載っていました リードに次のように書かれています

「東京・飯田橋にある老舗の名画座『ギンレイホール』が27日夜、閉館した。入居するビルが老朽化し建て替えるため、立ち退く 移転先は神楽坂地区を念頭に交渉中だというが、再開する場合も1年以上はかかる見込みだという

 

     

 

ギンレイホールには何回通ったか数え切れません 年間パスポート(1人用=税込み@11,000円)で2本立て映画を1年間何回でも観られるという超お得なシステムが際立っていました 長い間、良質の映画を提供していただきありがとうございました 再開するのを心待ちしたいと思います

 

     

 

         

 

朝日新聞朝刊に連載の「語る~人生の贈りもの 井上道義」は昨日第10回目を迎えました タイトルは「序盤に響く携帯音  とっさに転倒」です これは1999年9月30日にすみだトリフォニーホールで行われた井上道義指揮新日本フィルによるマーラー「交響曲第1番」のコンサートでの出来事を表しています

当時、井上道義は新日本フィルを振ってマーラー「交響曲全曲演奏会」に挑戦し、すべてをライブ録音するという試みを開始しましたが、この日はその第1弾でした 全曲を聴くつもりでいた私もその会場に居合わせていました 井上の指揮で第1楽章がピアニシモの緊張感の中で開始されましたが、ほんの数分経ったところで1階席右後方辺りで ピピピピッ というケータイの着信音が鳴り出したのです 演奏中の楽員もその音に気づいた様子で不安そうな顔をしています すると突然、指揮をしていた井上道義が「あ~っ」という声とともに指揮台から転げ落ちたのです 先代の林家三平なら「あ~、落後者」と言って笑いを取るところですが、ライブ録音中です。それどころではありません 楽員も聴衆も、いったい何が起こったのかという唖然とした表情です 井上は やおら起き上がり、舞台袖に引き上げ、十数分後に再び指揮台に上り第1楽章冒頭から指揮をやり直しました    私は長い間コンサート通いを続けてきましたが、指揮者が指揮台から落ちるのを見たのは生まれて初めてでした

井上は当時の様子を吉田純子編集委員のインタビューに次のように語っています

「序盤の静かなところでピピピ・・・って。それからしばらく楽員の顔をうかがってたけど、みんなフリーズしたままだった ライブ録音している公演だったので、これは止めた方がいいなと思った。こういう類の大きな物語を描いていく音楽って、最初でつまづいたらもうダメなんだ。でも、ここで僕が普通に中断したら、鳴らしたお客さんや楽員のせいだと思われてしまう。ということで、とっさの判断でした 楽員たちの反応?  ポカーンとしてましたよ。だって、いきなり僕が視界から消えちゃったんだから わざと転んだって、誰も気付かなかったんだな。気付いていたのは僕の妻くらいで、ほとんどの人たちは、「かわいそうに、大丈夫かな」って心配してくれていた。そのあとの演奏はうまくいきました。でも、コケた時にどうやら足元のマイクにぶつかっちゃったらしく、肝心の録音がダメになってた。結局、録り直しました

その「録り直し」はその翌年、20世紀最後の2000年7月29日に同じ会場で、1年前に会場にいた聴衆を無料招待して全楽章が演奏されました もちろん、私もその会場に駆けつけましたが、感慨もひとしおでした そして、2000年11月に発売されたのが下の写真のCDです

 

     

     

 

このCDに付属しているブックレットに音楽評論家の東条碩夫氏が解説を書いています その中の対談で、井上は初日のアクシデントについて次のように裏事情を語っています

東条「他日録り直しができるんだったら、初日にあんな手の込んだ方法で演奏を中断してやり直す必要もなかったんじゃない?」

井上「そりゃ僕が新日フィルの音楽監督だったら、いつ録り直すかすぐ考えられたかもしれない けど、僕は客演指揮者だし、そんな再録音のスケジュールなんか取らせてもらえるかどうかわからない立場でしょう それにお客さんが帰ってから部分的に録り直しをしても、ホールのアコースティックが変わってしまうからーとディレクターに前もって言われていた。僕はそれに反論できなかった

井上道義と新日本フィルとの関係は、1983年~1988年=音楽監督、1999年9月~2000年6月=マーラー「交響曲全曲演奏会」ライブ録音、2000年~2003年=首席指揮者となっており、マーラー・チクルスの期間は客演指揮者の一人に過ぎませんでした

井上はさらに吉田さんのインタビューに応えます

「みんなが幸福になる舞台をつくり、そこに僕も一緒に立つ。それが僕の理想です お客さんにはちょっと申し訳ないんだけど、僕、本番で失敗しても別にいいと思ってる。完璧なものが、必ずしも最良の音楽というわけじゃない。完璧なところへ行こうとする、その真剣さが感動をもたらすんだ それぞれのやりがいを共有しながら完成を目指し、全力で練習を重ねる。そのプロセスがあってこそ、芸術は意味を持つ。僕はそう信じている

「本番で失敗しても別にいいと思ってる」という言葉は、思っていてもなかなか言えない台詞だと思います しかし、「完成を目指して全力で練習を重ねる」というプロセスを大事にするという点は納得させられます そんな井上道義も2024年末をもって指揮者を引退します。「惜しまれるうちが華」というのが彼の美学なのでしょう

コメント (2)
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