16日(水)。朝日朝刊 文化欄の「語る ~ 人生の贈りもの」で指揮者・井上道義氏(1946年生まれ)の連載が始まりました 同社編集委員・吉田純子さんのインタビューによる連載記事で全14回シリーズとのこと 昨日の第1回目は「引退前 両親と僕のことオペラに」というタイトルで井上氏が語っています 超略すると次の通りです
「2024年末に引退する。撤回はしない それまでにやりたいことは、スケジュールに全部詰め込んだ やりたい曲をやりたいオーケストラとやる エッセー本も出す 指揮者には定年がない。あまり動けないけどスバラシイなんて褒められ方はされたくない 来年1月に自ら創作したオペラ『降福からの道』を上演する。『降福』は『降伏』と『幸福』を合わせた自分の造語。ショスタコービチもスターリン政権下で、二枚舌の作品をたくさん書いてきた そういうことができるのが音楽だ フィクションだけど事実上の自伝だ。自分が父親だと思っていた人は本当の父親じゃなかった 本当の父親は、日本の基地に駐留していた米兵だった。そのことを40歳になるまで知らなかった 母親から聞いた時、足元がぐらりと揺らいだ。2人に裏切られたような気がして、それからずっと苦しみ続けてきた しかし、今思うと彼らだってとても可哀想だった 引退の前に、音楽の力を借りて、もうこの世にいない彼らと本当の『和解』を果たしたい。両親と自分のことをオペラにしようと覚悟を決めた」
2回目以降が楽しみです
ということで、わが家に来てから今日で2865日目を迎え、193か国で構成する国連総会は14日、ウクライナ侵攻を続けるロシアに損害賠償を要求する決議を、日米など94か国が賛成し採択した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
主権国家を侵略して 破壊と殺人の限りを尽くした ロシアが賠償するのは当然,だろ
昨日の夕食は、私がオペラを観て18時過ぎに帰ったので、仕事休みの娘がステーキを焼いてオニオン・スープを作ってくれました 肉はレアでスープはマイルドでとても美味しかったです
デザートに「フルーツタルト」を食べました カロリーオーバーですね
昨日、新国立劇場(オペラパレス)で新国立オペラ、ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」の初日公演を観ました 本公演は新国立劇場開場25周年記念公演という位置づけにあり、新国立オペラでの初上演演目です
キャストは、ボリス・ゴドゥノフ=ギド・イェンティンス、フョードル=小泉詠子(歌のみ)、クセニア=九嶋香奈枝、乳母=金子美香、ヴァシリー・シュイスキー公=アーノルド・べズイエン、アンドレイ・シチェルカーロフ=秋谷直之,ピーメン=ゴデルジ・ジャネリーゼ、グリゴリー・オトレピエフ(偽ドミトリー)=工藤和真、ヴァルラーム=河野鉄平、ミサイール=青地英幸、女主人=清水華澄、聖愚者の声=清水徹太郎、ニキーティチ/役人=駒田敏章、ミチューハ=大塚博章、侍従=濱松孝行、ヒョードル(黙役)=ユスティナ・ヴァシレフスカ。管弦楽=東京都交響楽団、合唱=新国立劇場合唱団、児童合唱=TOKYO FM少年合唱団、指揮=大野和士、演出=マリウシュ・トレリンスキです
このオペラはCDも何も持っていないため予習が全く出来なかったので、不安を抱えながら本番を聴くことになりました 一応、新国立劇場のホームページでオペラを聴く上で参考になる資料を見たり、ユーチューブで大野氏の解説を見たりして最低限の知識を得てから臨みましたが、正直言って手ごわいオペラでした
「ボリス・ゴドゥノフ」はモデスト・ムソルグスキー(1839ー1881)が1868年から翌69年にかけて作曲(その後1871年から翌72年にかけて改訂)、1873年に第1稿の3場のみ初演、74年に改訂版がペテルブルクで初演されたオペラです ボリス・ゴドゥノフとは、ロシアでは動乱の時代と呼ばれた頃に実在したロシア皇帝(在位1598~1605年)で、それを19世紀初めにプーシキンが戯曲化したものがオペラの原作になっています
ボリス・ゴドゥノフの戴冠から6年が経った 最高位の僧ピーメンはゴドゥノフの敵であり、僧グリゴリーに、グリゴリーこそが現皇帝ゴドゥノフに殺害された前皇帝の正当な皇位継承者である皇子ドミトリーの生まれ変わりだと信じ込ませていた ゴドゥノフは疲れ切っていたが、息子ヒョードル(この演出では障がい者)だけが希望である 臣下シェイスキーは皇子ドミトリーを暗殺したゴドゥノフの弱みに付け込むことを思い立つ シェイスキーが皇子の死の情報を克明に語ると、ゴドゥノフは自らの罪を思い起こし、追い詰められていく 宮殿にはドミトリーの名を詐称する”僣称者”グリゴリーの軍が攻めてきた ゴドゥノフは息子ヒョードルがグリゴリーの餌食になる前に自らの手で殺す 僣称者グリゴリーによって集団処刑が続き、ゴドゥノフも殺される ついに偽ドミトリーであるグリゴリーが帝位に就く
今回の新国立劇場における公演は次のような構成により上演されます
プロローグ 1場(ノヴォデヴィチ修道院)
プロローグ 2場(戴冠式)
1幕1場(僧坊の場)
1幕2場(酒場の場)
2幕(クレムリン)
4部(ワシリー大聖堂)=本公演では第3幕として上演
4幕1場(ボリスの死)
4幕2場(革命の場)
ステージ上には、正方形のキューブ(上のチラシの写真参照)がいくつか置かれ、基本的にはその中で歌手陣が歌い演技する形をとり、キューブ自体が動きます そして、歌われる音楽に応じて、登場人物の心象風景を表すかのように、荒れ狂う海の様子が、テレビのノイズ画面が、サイケデリックな模様が背景に映し出されていきます カラフルな光と映像による演出は強烈な印象を残します
このオペラには一応ストーリーらしきものはありますが、どうやらトレリンスキという演出家は原作通りに物語をなぞる方法を嫌い、登場人物の心の動きを中心に捉えることに重点を置いているようで、観ていて若干分かりにくい場面が少なくありませんでした しかも登場人物が多いので、いったい誰がどういう役割なのかを把握するのが容易ではありませんでした
全体的な印象は、とにかく暗いということです 主人公のボリス・ゴドゥノフがバスによって歌われることから、派手さがないということもありますが、ストーリー自体が陰謀と殺人という内容なので仕方ない面があります 同じ悲劇的なオペラでもイタリア・オペラとは全く印象が違います ロシアの広大な大地に根を下ろした土臭いオペラと言ったらよいでしょうか
歌手陣では、主人公のボリス・ゴドゥノフを歌ったギド・イェンティンスが同じバスでも重くない声質で、無理のない歌唱で最後まで歌い切りました
ヴァシリー・シュイスキー公を歌ったアーノルド・べズイエンは良く通るテノールで存在感がありました
また、このオペラでは合唱が重要な役割を果たしますが、新国立劇場合唱団の力強い合唱は特筆に値します
ヒョードルは小泉詠子が歌い、障がい者の黙役をポーランドのユスティナ・ヴァシレフスカが演じましたが、この黙役が素晴らしかった
本公演のドラマトゥルクを担当したワルシャワ生まれのマルチン・チェコが「プログラムノート」を書いていますが、最後に次のように締めくくっています
「ピーメンのプロパガンダの元で育ち洗脳されたグリゴリーは自らがドミトリー皇子の生まれ変わりであると信じています 我々にとってこの僣称者を残酷極まりない人物に描くことが大切でした 敵対する2人、ピーメンとゴドゥノフのそれぞれの振る舞いがより大きな悪をもたらします。ゴドゥノフには自責の念がありますが、僣称者にはありません 僣称者は人を殺めることで満足感を得、人を殺めるのに抵抗を感じません ナルシストで、フィナーレでは獣としての正体を現します。世界が大混乱に陥るのを見て楽しんでいるのです。今日私たちが目にしている動乱(スムータ)は、不適切な人物が権力を手にしたがために起こっており、僣称者はそのシンボルなのです」
本公演はポーランド国立歌劇場との共同制作によるものですが、ロシアによるウクライナ侵略を受け、ロシアのオペラという理由で、ポーランドでは上演されませんでした これは果たして正しい選択なのか 芸術には何の罪もありません マルチン・チェコが上の「プログラムノート」で指摘している「フィナーレでは獣としての正体を現わす。世界が大混乱に陥るのを見て楽しんでいる。今日私たちが目にしている動乱は、不適切な人物が権力を手にしたがために起こっており、僣称者はそのシンボルなのだ」という言葉は何を表しているのか(誰のことを言っているのか)を考える時、むしろ今だからこそ本プロダクションで観るべきオペラではないかと思います