27日(月)。私はすでに、9月17日(日)にサントリーホールで開かれる阪田知樹による「ラフマニノフ『ピアノ協奏曲』全曲演奏会」のチケットを手配してありますが、先日東京フィルの定期演奏会の会場で配布されたチラシの中にミハイル・プレトニョフによる「ラフマニノフ『ピアノ協奏曲』全曲演奏会」のチラシが入っていました
上のチラシを比較して相違点を見ると、次のことが分かります
1.阪田知樹の公演は「ピアノ協奏曲第1番~第4番」と「パガニーニの主題による狂詩曲」を9月17日にサントリーホールで一挙に上演するのに対し、プレトニョフは「ピアノ協奏曲1番、第2番」(9月13日)と「同第3番、第4番」(9月21日)を2日間に分けて東京オペラシティコンサートホールで上演する
2.阪田知樹のバックは大井剛史指揮東京フィルであるのに対し、プレトニョフのバックは高関健指揮東京フィルとなっている
3.チケット代は阪田知樹の公演がS席:9000円、A席:7500円、B席:6000円、C席:4500円なのに対し、プレトニョフの公演は、1回あたりS席:15000円、A席:12000円、B席:9000円、C席:5000円となっている
4.主催社は両者ともジャパン・アーツとなっている
以上の相違点を整理すると、同じ主催社のジャパン・アーツが、同じ9月に「ラフマニノフ『ピアノ協奏曲全曲演奏会』」を異なるソリストと指揮者を迎え、同じ東京フィルを起用して3日間開催するということです ラフマニノフの音楽が大好きな人は両者のコンサートを聴きに行くかもしれませんが、ごく普通の音楽ファンはどうでしょうか? 主催社が同じなのですから、せめて開催時期をずらすとか、工夫のしようがなかったのでしょうか
聴衆を置き去りにした主催者本意のやり方はコンサート離れを起こさないかと危惧します
ということで、わが家に来てから今日で2967日目を迎え、北朝鮮メディアは26日、首都平壌の西浦地区で新たなニュータウン建設の着工式が25日に行われ、金正恩朝鮮労働党総書記が娘と共に鍬入れを行った というニュースを見て感想を述べるモコタロです
ミサイルばかり撃ってないで 鍬入れでもやっていてくれ それが世界平和のためだ
昨日、早稲田松竹でセリーヌ・シアマ監督による2021年製作フランス映画「秘密の森のその向こう」(73分)を観ました
大好きだった祖母を亡くした8歳の少女ネリーは両親に連れられ、祖母が住んでいた森の中の一軒家を片付けに来る しかし、少女時代をこの家で過ごした母は何を目にしても祖母との思い出に胸を締め付けられ、ついに家を出て行ってしまう
残されたネリーはかつて母が遊んだ森を散策するうちに、母マリオンと同じ名前を名乗る8歳の少女と出会い、親しくなる
少女に招かれて彼女の家を訪ねると、そこは”おばあちゃんの家”だった
この映画は「燃ゆる女の肖像」のセリーヌ・シアマが監督・脚本を手掛け、娘・母・祖母の3世代を繋ぐ喪失と癒しの物語を綴った作品です 映画初出演となるジョセフィーヌ&ガブリエル・サンス姉妹がネリーとマリオンを演じていますが、この二人の演技は自然で素晴らしい
「母親を失った悲しみのあまり」とはいえ、8歳のネリーを置いて失踪してしまう母親マリオンの行動には違和感ありありです しかし、彼女をスクリーンから一時消さないと、8歳のマリオンの存在意義が失われてしまいます
そこが映画の限界です
この映画で未だに分からないのはネリーとマリオンが、刑事と侯爵夫人の役になって裁判の芝居をするシーンです この映画の中でどういう意味を持っているのか? 子ども特有の「〇〇ごっこ」のノリで「裁判ごっこ」をしたのにしては、二人のやり取りは高度でした
監督はどういう意図をもってこのシーンを入れたのか? 私の理解力が足りないのでしょう。まったく分かりません