身から出た錆

2024年10月01日 23時03分16秒 | 創作欄

その男は、刑務所帰りで、現在は保護観察に身である。

その男の保護司は35歳の女で、旦那がいる。

「自宅に來るネイちゃんを犯してやるか」前歯が何本か損失している男は、不敵な笑みを浮かべる。

保護司が殺されたニュースには、慄然した。

保護司は無償報酬であり、しかも単身で対応している。

なぜ、複数で保護観察中の人に対応しないのか、そのことも誠に不可解だ。

よせばよかったのに、男に酒を何度か奢る。

そのことで、男がストーカーとなり、まとわりつき、約1年が経過する。

相手に甘い顔を相手に見せたのは、<身から出た錆>と自嘲するばかり。

生活保護を受け、酒とタバコを買う金に窮している男の存在は実に執拗で不気味な存在なのだ。


創作 人生の選択 2)

2024年10月01日 22時07分05秒 | 創作欄

西野哲人が性に目覚めたのは、小学校4年の夏休みのことであった。

同級生の浅村博と、彼の姉の多香子と彼女の同窓生の志村愛と哲人の弟の高志が連れだって近隣のキャンプ場にキャンプへ行く。

日帰りのキャンプであったが、予期せぬできごとで、豪雨となり川中の島に皆が取り残されてしまう。

傍には大きな滝があった。

テントは、浅村博の父親が猟に使用するものであった。

雨が止むまで皆は川中の島に待機を余儀なくされる。

3時間が経過し、疲れた皆が寝てしまう。

哲人も寝ていたのだが、一人起きていた12歳の多香子があろうことか、哲人の下着の中を手でまさぐっていたのである。

小学生低学年の頃、多香子は「お医者さんごっこ」と評して、哲人の陰部を弄び、自身の陰部を哲人に触らせていたのだ。

それは、二度限りのことであったが哲人には、言い知れぬ拘りを残す出来事となる

そして、10歳の哲人に12歳の多香子は、不敵な笑みを浮かべて遊びを試みたのだった。

「あそこに指を入れてよ」そこまで彼女は彼に要求したのだ。

豪雨が止み、午後7時となり、幸いにも皆は取り残された中の島から帰途につくことがそのできたのだ。

その後、初潮を迎えた多香子は哲人を避けるようになる。

 

 

 


日本警察を腐敗させた最悪の刑事「紅林麻雄」について

2024年10月01日 18時09分58秒 | 社会・文化・政治・経済

知れば、知るほど、こんな極悪な悪魔の化身とも言うべき人間が日本社会に生存していたことだ、驚愕である。

さらに、驚くべきことは、こんな悪魔の化身を日本の国家権力も司法も国会議員も行政を断罪でず放置してきたことだ。

拷問で自白させる静岡県警の刑事も異常ですが、矛盾だらけの証拠で起訴する検察官や、有罪と判断する裁判官も異常としか言えません。
人間とも思えない所業を平気で行った、この関係者たちを日本の法律では有罪に出来ないのが残念です。
 

紅林 麻雄(くればやし あさお、1908年明治41年〉 - 1963年昭和38年〉9月16日)は、日本の警察官静岡県警察の元刑事。担当した事件において、数多くの冤罪被害者を生み出した。

人物

現在の静岡県藤枝市出身。

自身が担当した幸浦事件死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小島事件無期懲役判決の後、無罪)、島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問自白を引き出し、証拠捏造して数々の冤罪を作った。

その捜査手法は紅林の部下も含めて静岡県警の警察官に影響を与えることになり、紅林自身は直接捜査に関与しなかったが袴田事件(死刑判決確定後、再審第一審にて無罪判決)などの冤罪事件を生む温床ともなった

あらゆる手段を用いて被疑者を拷問し、自白を強要させるなどしたことから「昭和の拷問王」、「冤罪王」と称されている

紅林はさまざまな拷問の手法を考案したが、実行には直接関与せず部下に指示を出していた。

また、二俣事件における山崎兵八の書籍においては真犯人と思われる人物からの収賄の疑惑も暴露されている。

上記4事件のうち島田事件を除く3事件が一審・二審の有罪判決の後に無罪となり、島田事件も最高裁での死刑判決確定後の再審で無罪が確定した。

幸浦事件・二俣事件の有罪判決破棄差し戻しの時点で御殿場警察署次席警部の地位にあった紅林は、非難を浴びた静岡県警上層部によって吉原警察署駅前派出所へ左遷された。

しかも交通巡視員待遇という実質的な二階級降任だった。

紅林は世間や警察内部から非難され精神的に疲弊しきっていたが、1963年(昭和38年)7月に幸浦事件の被告人に対する無罪判決が確定したことにより、気力が尽きて警察を退職。同年9月16日に脳出血により藤枝市志太の自宅で死去。55歳没。

紅林の捜査法

前述の通り、紅林は拷問による尋問・自白の強要・自己の先入観に合致させた供述調書の捏造のような捜査方法の常習者だった。また、アリバイが出てきそうになった場合は犯行現場の止まった時計の針を動かしたトリックを自白させ、被疑者が推理マニアであることや被疑者の周辺で時計の針を動かすトリックがある探偵映画が上映されていることなどの傍証を積み重ねる手法でアリバイを否定しようとした。

これらについて二俣事件の裁判では同僚の捜査員である山崎兵八が「県警(島田事件のみ、これ以前は国警静岡県本部)の組織自体が拷問による自白強要を容認または放置する傾向があった」と証言。

県警当局は山崎を偽証罪で逮捕(ただし『妄想性痴呆症(妄想型統合失調症の旧称)』として不起訴処分)したうえ懲戒免職処分にした。また幸浦事件では自分達が先に被害者の遺体が埋められている場所を探知しておきながら、被疑者に自白させた後に発見したようにして秘密の暴露を偽装した疑惑があるほか、主犯とされた男性は拷問によるためか持病(てんかん)の悪化により僅か34歳で上告中に死亡した。

紅林の捜査法に見られるような強制・拷問または脅迫によるなど任意性に疑いのある供述調書は、刑事訴訟法第322条第1項および第319条第1項により証拠とすることができない。小島事件では実際に紅林の捜査法に最高裁の判断が下された。

この最高裁判決では被告人(当時は被疑者)が取調べ中に留置場へ戻ってくるたびに赤チン(局所殺菌剤)を塗るなど治療を受けていたという証言などを認定し被告人が主張する程度の過酷な拷問があったかについて疑義を呈しつつも、紅林主導の下で作成された供述調書の任意性を否定し被告人に有罪を言い渡した原判決を破棄差戻しとした(後に無罪確定)

主な時系列

1942年正月、静岡県警察部浜松署署員らの記念写真。
左端に当時磐田警察署所属の刑事、紅林巡査部長
  • 1938年(昭和13年)8月22日、2人の女性が殺害される(浜松連続殺人事件の犯人が最初に犯した犯罪)
  • 1941年(昭和16年)8月18日、1人が殺害、1人が負傷させられる(浜松連続殺人事件)
  • 1941年(昭和16年)8月19日深夜、3人が殺害される。(浜松連続殺人事件)
  • 1941年(昭和16年)9月27日、犯人の兄、姉、両親、兄の妻とその子供の計5人が殺害される(浜松連続殺人事件)
  • 1942年(昭和17年)8月25日、4人が殺害、1人が負傷させられる(浜松連続殺人事件)
  • 1942年(昭和17年)10月22日、浜松連続殺人事件の犯人が逮捕される。
  • 1944年(昭和19年)2月23日、静岡地裁浜松支部は浜松連続殺人事件の被告人に死刑判決。被告人は上告。
  • 1944年(昭和19年)6月19日、大審院は浜松連続殺人事件の被告人の上告を棄却、死刑が確定。
  • 1944年(昭和19年)7月24日、浜松連続殺人事件の死刑囚(元被告人)の死刑執行。
  • 1948年(昭和23年)11月29日、幸浦事件発生
  • 1950年(昭和25年)1月6日、二俣事件発生
  • 1950年(昭和25年)3月12日、二俣事件で容疑者の少年1人を強盗殺人罪で起訴
  • 1950年(昭和25年)4月27日、幸浦事件で被告人4人に有罪判決(3人死刑、1人は懲役1年)
  • 1950年(昭和25年)5月10日、小島事件発生
  • 1950年(昭和25年)7月20日、小島事件で1人が起訴される
  • 1950年(昭和25年)12月27日、静岡地裁は二俣事件の被告人の少年に死刑判決。少年側は控訴。
  • 1951年(昭和26年)9月29日、二俣事件で東京高裁は控訴を棄却。少年側は上告。清瀬一郎が弁護人になる。
  • 1951年(昭和26年)5月8日、幸浦事件で東京高裁が被告人側の控訴を退ける
  • 1952年(昭和27年)2月18日、小島事件で静岡地裁は被告人に無期懲役判決。担当弁護士が西ヶ谷徹から海野普吉になる。(西ヶ谷は元検察官だったが、紅林のような警察官に危機感を抱いて、後に検察官に復職している)
  • 1953年(昭和28年)11月27日、二俣事件で最高裁は原判決を破棄。
  • 1954年(昭和29年)3月10日、島田事件発生
  • 1956年(昭和31年)9月13日、小島事件で東京高裁は控訴棄却。
  • 1956年(昭和31年)9月20日、二俣事件で静岡地裁は無罪判決。検察は控訴。
  • 1957年(昭和32年)2月14日、幸浦事件で最高裁は審議を東京高裁に差し戻す。
  • 1957年(昭和32年)10月26日、二俣事件で東京高裁は控訴を棄却。検察は上告を断念し、元少年の無罪が確定
  • 1958年(昭和33年)5月23日、島田事件で静岡地裁は被告人に死刑判決。
  • 1958年(昭和33年)6月13日、小島事件で最高裁が東京高裁へ差し戻す。
  • 1959年(昭和34年)12月2日、小島事件で東京高裁が無罪判決。検察は上告せずに確定。紅林は『週刊文春』への特別手記で小島事件の弁護士海野普吉、二俣事件と幸浦事件の弁護士である清瀬一郎を名指しで批判。(小島事件#その後を参照)
  • 1959年(昭和34年)2月28日、幸浦事件で東京高裁が被告人4人全員に無罪判決。
  • 1960年(昭和35年)2月17日、島田事件で東京高裁は控訴を棄却。
  • 1960年(昭和35年)12月5日、島田事件で最高裁は上告を棄却し、被告人の死刑判決が確定。
  • 1963年(昭和38年)7月9日、幸浦事件で最高裁が検察の上告を棄却。4人の無罪確定。紅林が警察を辞職。
  • 1963年(昭和38年)9月16日、紅林が死去。
  • 1986年(昭和61年)5月30日、島田事件で東京高裁は死刑囚の再審開始を決定し、審理を静岡地裁に差し戻し。
  • 1989年(平成元年)1月31日、島田事件で静岡地裁は死刑囚に無罪判決を言い渡した。元死刑囚は同日中に釈放され、その後検察が控訴を断念したため無罪が確定

参考文

  • 佐藤友之、真壁旲『冤罪の戦後史』図書出版社、1981年。ISBN 4809981916
    浜松事件での紅林の功績は偽りのもので、実際は当時の県警刑事課長の怪我の功名によるものだったとある。その後、紅林はしくじって免職しかけるが、浜松事件解決の「功労者」として後継の刑事課長によって県警に引き上げられたという。以上は二俣事件で被告人側の証人になった元刑事の南部清松の談である。南部は島田事件でも冤罪を証明する活動をしている。
  • 『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』東京法経学院出版、2002年。ISBN 4808940035
  • 管賀江留郎『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか 冤罪、虐殺、正しい心』洋泉社、2016年。ISBN 9784800307453
    浜松事件と二俣事件を中心に紅林の経歴を多数の資料に基づいて記述しており、伝記的事実から人物像を浮かび上がらせている。
 
紅林は世間や警察内部から非難され精神的に疲弊しきっていたが、1963年(昭和38年)7月に幸浦事件の被告人に対する無罪判決が確定したことにより、気力が尽きて警察を退職。
同年9月16日に脳出血により藤枝市志太の自宅で死去。55歳没。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 


精神病院の長期入院問題

2024年10月01日 11時22分43秒 | 医科・歯科・介護
精神科病院に長期入院する理由は何ですか?
 
 
現在も入院期間が1年以上に及ぶ患者様も一定数おられます。 その理由は向精神薬が効かない、効果不十分など患者様の持つ疾病性が関係しているものと思われます。 最初は十分な効果がみられたのに、治療を中断して症状の再燃を繰り返すうちに薬が効かなくなる方も多数経験しています。
 
40年間を精神病院で過ごした伊藤時男さん(73歳)の例もあるのだ。

 

長期入院精神障害者をめぐる現状

厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp › file › 05-Shingikai-122...
 
 
PDF
 
Mar 28, 2014 — ・ 高齢精神障害者の場合、入院期間の長期化等や高齢化による生活機能や意欲の低下から、退院. に向けた支援に時間や人手を要する場合が多い。 (精神科 ...
 
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今回は「精神科病院での入院が長期にわたる理由」についてお話いたします。加古川市、JR加古川駅前にある精神科・心療内科クリニックの院長のブログです。

 以前のブログにもお書きしましたが、私が精神科に入局した平成3年ごろ精神科病院の患者様の大半は長期間入院されていました。親が元気な間は盆や正月に外泊されたりしていましたが、兄弟姉妹の代になると面会すらほとんどない状況の方もいて、医師として無力感を感じていました。この頃の入院は社会的入院と呼ばれており、幻覚や妄想などの症状は改善しているけれど帰るところがないため病院を住まいとして入院しているという側面がありました。もちろん幻覚・妄想などの陽性症状は改善しても、意欲・発動性、実行能力低下などの陰性症状が強く自立した生活を送るのが難しい方が多かったことも理由の1つであったと考えます。

 その後新規抗精神病薬(第二世代抗精神病薬)が治療の主流となり、神経内科クリニック、心療内科クリニックという名称で受診しやすくなった精神科で比較的早期に治療を受ける方が増えたため、入院に至らず外来で治療継続が可能な患者様が増えてきています。政府も精神科病院の長期入院を回避する政策を打ち出し、急性期病棟が作られ早期退院が推進されています。前述のように退院後の居場所がない患者様、一定の援助を必要とする患者様のためのグループホームなども作られ私が精神科医になった時に比べればかなり長期入院の患者様は減っていると実感しています。現在も入院期間が1年以上に及ぶ患者様も一定数おられます。その理由は向精神薬が効かない、効果不十分など患者様の持つ疾病性が関係しているものと思われます。最初は十分な効果がみられたのに、治療を中断して症状の再燃を繰り返すうちに薬が効かなくなる方も多数経験しています。治療の中断については主治医と十分に話し合うことをお勧めします。

 これまで長期入院は当たり前として捉えられた精神科の入院治療ですが、現在は在院期間の短縮を目指して様々な工夫が行われています。


人生を生き抜くヒントの一つが「中庸」の思想

2024年10月01日 10時25分21秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼コミュニケーションの手段が多様する現在も、「人間関係をどう保っていくか」は大きな課題である。

課題の一つが「譲ること」の大切さだ。

▼人づきあいにあっては相手ではなく、自らの人格を完成させることが肝要である。

▼自分を忠告してくれる人がいるというありがたさを考えるべきだ。

相手に過ちがあるかどうかは、何も問題にする余裕などないのだ。

▼真の妙味は心の中に含みを蓄えることが大切である。

▼多くの人が語っている意味の「公論」には危険性も潜んでいる。

そこで公論に私情を楽しむkとがあってはならない。

つまり、大衆の意見に便乗し自分の意見を押し通すことは愚かである。

▼心即理である。

だが心に浮かんだことを理だからと即行動に移すと極端な行動にもつながってしまう。

▼中国の古典書には、社会や人生を見つめる思想が含まれている。

見ん

明の時代は「心」重視する陽明学が盛んな時代であった。

国のリーダーらが民衆をそっちのけで私利私欲に走るなか、人々は人生を生き抜く上での、その「心のよりどころ」を渇望していたのである。

▼人生を生き抜くヒントの一つが「中庸」の思想だ。

また、自ら磨くキーワードとして「沈静」を挙げている。

冷静沈着にして行えば、何事も、すべて天の道理にかなう―としている。

「中庸」と「沈静」は明代の世相を色濃く反映している。


社会を離れて理念・哲学もない。

2024年10月01日 10時01分00秒 | その気になる言葉

▼いざ戦う時は、電光石火の行動だ。

攻撃の勢いが一切の勝負を決するからだ。

新しい決意で、新しい戦を起こすのである。

▼徹底して一人を大切にし、忍耐強く一人を味方にするのである。

それが勝利の方程式と言えるだろう。

▼自らを律する姿勢に政治不信打開のカギがあるのだ。

▼目を世界に転じる。

そして「目を国内に向ける」のである。

一般社会を離れて理念・哲学もない。

ゆえに民衆の苦悩を<わがこと>して、その解決に尽くす人材を育成するのである。

混迷の闇が深い今こそ、人材群の自覚と行動が期待される。

民衆のために、まず自らが立つことだ。


創作  人生の選択 1)

2024年10月01日 09時14分39秒 | 創作欄

人生の選択と言っても、子どもは親を選択できないのである。

だが、子どもは生き方は選択できる。

毒親とは実に嫌は表現である。

毒親になる原因 =親がかかえる問題点 · 特徴1:子どもを管理する · 特徴2:子どもを支配する · 特徴3:「あなたのため」と押し付ける · 特徴4:過保護 など。

西野哲人は、幼いころから母親によって度々折檻を受けてきた。

折檻とは、きびしく意見すること。 きびしく叱ること。 転じて、せめさいなむこと。 こらしめの体罰を与えたりすることだ。
実は哲人の母親の松子も自身の母親のツネから折檻され育ったのだ。
その意味で、子どもは親を選択できないものだ。
哲人にとって救いは心の優しい父親真司の存在である。
妹の雅恵は一度も母親から折檻を受けていなかった。
いわゆる母によっては、妹は良い子あったのだ。
哲人は妹をイジメていなかったが、弟の高志をイジメていた。
母親が「お前は、お兄ちゃと違っいい子だね」と溺愛していたからだ。
母親の折檻とは、頬や頭への平手打ちと、腰や足への足蹴りであった。
「松子、そんなにしたら、哲人は死んでしまうよ」さすがの祖母のツネが制する。
年老いてツネは自身の過去の娘に対する折檻を猛省していたようであった。
いわゆる、祖母も母親はヒステリックな性情であったのである。
50代で亡くなった明治生まれの祖父は厳格な性格であり、使用人たちに厳しい福井県高岡の老舗の呉服屋生まれ、自身は材木商であった。
 
 
 

 


映画 太陽は知っている

2024年10月01日 06時10分32秒 | 社会・文化・政治・経済

10月1日午前4時からCSテレビのブービープラスで観た。

アランドロンの如何にも怪しさと憂え、女たちにもそれが魅惑的に描かれていた。

彼の美貌の容姿さえ影を秘めてクールなのだ。

太陽が知っている

「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンとモーリス・ロネが再共演した心理サスペンス。

南仏サントロペの豪華な別荘でバカンスを楽しむジャン・ポールとマリアンヌ。そこへ、マリアンヌが招待したハリーと年頃の娘ペネロープがやって来る。ハリーはマリアンヌの元恋人で、ジャン・ポールは音楽業界の成功者である彼に劣等感を抱いていた。4人の男女の思惑は不穏に交錯していき、やがて事件が起きる。

ドロン扮するジャン・ポールの恋人マリアンヌを実生活でも婚約者だったロミー・シュナイダー、ロネ扮するハリーの娘ペネロープをジェーン・バーキンが演じた。監督は「ボルサリーノ」のジャック・ドレー。

2015年にはルカ・グァダニーノ監督によって「胸騒ぎのシチリア」のタイトルでリメイクされた。「没後40年 ロミー・シュナイダー映画祭」(2022年8月5~25日/Bunkamuraル・シネマ)上映作品。

1969年製作/123分/PG12/フランス
原題または英題:La Piscine
配給:コピアポア・フィルム
劇場公開日:2022年8月5日

その他の公開日:1969年4月26日(日本初公開)

スタッフ・キャスト

内容は殆どなし。ドロンととロミーシュナイダー、若き頃のジェーンバーキン出演。

太陽がいっぱいを似合わす脚本も一部あり、内容ないながらドロンはいつも輝いている。

確か二人は付き合ってたんだよね。それと娘役バーキンでなくても誰でもよかった役。

 
 
アランドロン扮するジャンポールは、ロミーシュナイダー扮する恋人マリアンヌとともにプールで泳ぎながら過ごしていた。

アランドロンとロミーシュナイダーは実生活でも婚約者だったそうな。アランドロンの男っぷりが際立ってるね。海パン姿がほとんどだったね。

 
リメイクである『胸騒ぎのシチリア』を先に観てから観たら、


なんかショボく退屈に感じました(笑)

アラン・ドロンはカッコイイし、ロミー・シュナイダーは綺麗だけど(笑)

ジェーン・バーキンも出てるし、キャスティングすごい。

リメイクの方が分かりやすく、コッチの方が少し分かりずらいかな…

いろんな面で、リメイクの方が好きです。

 

アラン・ドロンは34歳
ロミー・シュナイダーは31歳

舞台は南仏コートダジュールのサントロペ
カンヌから西に車で1時間強のところ
昔から芸術家や芸能人、大金持ちに人気のある保養地です

地中海を望む街外れの高台にある豪勢な別荘
そこにある太陽の降り注ぐ美しいプールが大きな意味を持っています

とても仲の良い男女
夫婦のように見えますが、どうも違うようです
若くしてどうしてこんな豪華な別荘に住めるのか?
その理由は次第に明らかになります
この別荘は海外赴任中の友人から借りているだけなのです
いつまでいる?そのあてもないのです

大変に仲睦まじいように見える男女でも、どこかにすれ違いがあるのが冒頭のシーンからどんどん強まっていくのが感じられるのです

 

 


人生の選択

2024年10月01日 00時54分28秒 | 沼田利根の言いたい放題

人生の選択

他でもない自分自身の選択ですから、誰かのせいにしたり、言い訳することもできません。 必然的に自分で責任を取ろうとするようになります。

つまり、選択することは自分の人生を自分の責任で生きることにつながるのです。

また、選んだ後に答え合わせをしないことも重要です。 いちいち正解かどうかを確かめようとすると、なかなか選べなくなってしまいます。

あなたは普段、自分で考えて行動していますか。

人生はさまざまな選択の連続です。中には「進学」「就職」「結婚」など、その後の人生を大きく左右するような大きな選択もあります。

このような選択以外にも、普段、意識していないだけで私たちはつねにさまざまな選択をしています。

私達は日々多くの選択をしながら生きています。例えば、朝起きるときも、

今すぐ起きるのか、あと5分寝るのか
今日は寝たい気分だから二度寝をするのか

といった些細な選択から、

どんな会社に勤めるか、
はたまた独立して個人で仕事をしていくか、

結婚する、しないなど

人生を左右する選択まで様々です。

そして、最悪な選択もある。

その一つが、宗教でもある。

人間は選択と同時に、心が支配されたり、縛られたり、最悪の場合は思考停止や理性を失うこともある。

とことで、冤罪事件はなぜ起きるのか?

冤罪事件は、起こるべきして起こるのである。

人間は根本的に弱いものなのだ、強大な権力構造は、警察の特性である。

密室での取り調べであり、自発偏重の日本の警察はある意味で異次元の恐ろしい世界なのだ。

そして、最大の問題点は、真犯人を逮捕できなかったことだ。

冤罪事件が起きて、責任を取った人間は果たして存在したのだろうか?

ここに、根本的問題が存在しているのである。

冤罪事件イコール完全犯罪とも言及できる。

完全犯罪(英語: Perfect crime)とは、犯行の手口が社会的に露見せずに犯人が捕まらない犯罪を指す。