創作 鼻息だけは強かった専門紙の同僚の真田

2024年10月13日 13時25分59秒 | 創作欄

「心の中に何か抑圧があるのでしょ。でもそれが、どんな形で作品に表われるのか自分ではわからない」
田中慎弥さんが読売新聞の「顔」の取材で述べていた。
芥川賞受賞作が20万部に達し反響を呼んでいる。
徹は記事を読んで、昔の専門紙時代の同僚の真田次郎を思い出した。
真田は小説を書いていた。
だが、作品をどこにも発表していないと思われた。

「この程度の作品で芥川賞なんか、来年はわしが賞を取ったる」
真田は鼻息だけは強い。
「谷崎の文体、三島の文体、志賀の文体、川端の文体どれでも書ける。今週の病院長インタビューは、三島の文体でいくか」
文学好きの事務の渋谷峰子はペンを止めて、真田に微笑みながら視線を送った。
徹は峰子が真田に恋心を抱いていることを感じた。
現代流に言うと真田はイケメンで、知的な風貌をしていた。
そして、声は良く響くバスバリトンで、声優にもなれるだろうと思われた。
特に電話の声には圧倒された。
徹は学生時代を含め、真田のような美声に出会ったことがない。
声優の若山弦蔵の声にそっくりなのだ。
真田は憎らしいほど女性にもてる男で、夕方になると女性から会社に電話がかかってきた。
「真田、たくさんの女と付き合って、名前を間違えることないいんか?」と編集長の大木信二がやっかみ半分「で言う。
「ありませんね」真田は白い歯を見せながら、朗らかに笑った。
「お前さんは、その笑顔で女をたらしておるんだな。俺に1人女を回さんか」
冗談ではなく、大木の本気の気持ちである。
真田は大木を侮蔑していた。
「大木さんは新宿2丁目あたりで、夜の女を相手に性の処理をしておる。不潔なやっちゃ。金で女を買う奴はゲスやな。徹は性はどうしておるんや」
露骨に聞いてきた。
真田はそれから3年間、どこの文学賞も取らなかった。
そして、反動のように女性関係をますます広げていった。

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<参考>

若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932927- )は、日本の男性声優、俳優、 ナレーター、ディスクジョッキー。

フリー。 ... 1973年より1995年までTBSラジオ『若山弦 蔵の東京ダイヤル954』(当初は『おつかれさま5時です』)のパーソナリティーを務めた。

20122 14(火曜日)

創作欄 美登里の青春 続編

人には、色々な出会いがあるものだ。
美登里は、徹と別れた後、思わぬところで男と出会った。
小田急線の下北沢駅のベンチに座っていると、新聞を読みながら男が脇に座った。
横顔を見て、「ハンサムだ」と思った。
ジャニーズ系の顔だ。
男は視線を感じて、美登里に目を転じた。
「こんにちわ」と男が挨拶をして、ニッコリと微笑んだ。
女の心をクスグルような爽やかな笑顔である。
「女の子にもてるんだろうな」と想いながら、美登里も挨拶をした。
「君は、競馬をやるの?」
男は新聞を裏返しながら言う。
甘い感じがする声のトーンであった。
「競馬ですか? やりません」美登里は顔を振った。
「明日はダービーがあるんだ。一緒に府中競馬場へ行かない?」
赤の他人からいきなり意外な誘いを受けた。
21
歳の美登里は、妻子の居た37歳の徹が初めての男であった。
目の前に居る人物は、徹とはまったくタイプの違う20代と思われる男だ。
「あなたと初対面だし、競馬をやらないので行けません」美登里は断った。
「そうか、残念だな。もし、来る気になったら、内馬場のレストランに居るから来てね。競馬仲間とワイワイやっているから」
美登里は愛想笑いを浮かべて、うなずいた。
男が読んでいたのは、スポーツ新聞の競馬欄だった。
急行電車が来たので、それに乗る。
男は、美登里の存在を忘れたように、新聞に埋没していく。
美登里は登戸駅で降り時に、脇に立つ男に挨拶をした。
「お会いできて、光栄です」控えめな性格の美登里自身にとって、想わぬ言葉が口から出た。
「ではね」
男は爽やかに笑った。
「また、何処かで出会うことがあるだろうか?」美登里は電車を見送った。
男は新聞に目を落としたままであった。
美登里は徹との別れを苦い思いで振りかえった。
最後は痴話喧嘩となった。
徹は美登里の気持ちを逆撫でにした。
徹は妻が妊娠していることを、無神経にも美登里に告げたのだ。
「そんなこと、どういうつもりで、私に言うの」
徹はバツが悪そうに沈黙した。
「この人は、都合が悪いと黙り込むんだ」
美登里は徹が風呂に入っている間に、怒りを込めたままホテルを出た。
渋谷のネオン街全体が、美登里には忌々しく想われた。

 

創作 美登里の青春 2

あれから3年の歳月が流れた。
それは24歳の美登里にとって、長かったようで短かったようにも思われた。
徹と別れたが、気持ちを何時までも引きづっていたことは否めなかった。
美登里の当時の職場は、徹の職場の九段下に近い神保町。

美登里の伯父が経営する美術専門の古本店であった。
現在の職場は、東京・新宿駅の南口に近い国鉄病院(現JR病院)の医療事務である。
その日、小田急線登戸駅沿いのアパートへ帰り、ポストを確認すると茶封筒があった。
裏を返すと友だちの峰子の手紙であった。
お洒落な封筒を好む峰子が、何故、茶封筒なのだろう?
美登里は部屋の灯りの下で、着替えもせず封を切った。
「ご無沙汰で、このような手紙を書くのを許して。私は今、千葉県松戸の拘置所の中にいるの。会いに来てね。その時、何か本を差し入れてね。それから大好きなチョコレートが食べたいの。それもお願い、差し入れてね。私は3歳の娘と心中したのだけれど、娘だけが死んで私は生きてしまったの。死ねばよかったのに、何という皮肉なの。待っています。必ず会いに来てね」
美登里は息を止めた状態のままその手紙を読んだ。

想像はどんどん拡がっていく。
情報が乏しい中で頭を巡らせながら、何度も立ったまま手紙を読み返した。
美登里は新聞を購読していない。
テレビもあまり見ない。
峰子のことは、当然、マスコミで報道されただろう。
美登里は段々頭が混乱してきた。
思えば徹との問題で峰子に相談したことがあった。
「焦ることが、一番、いけない。時間が解決すると言われているわね。今は美登里にとって冬なの。冬は必ず春となる。そうでしょ、自然の摂理でしょ」
あの時、峰子は言った。
そして、妻子のある徹との別れは、意外な展開でやってきた。

 

 

 


創作 全然、大丈夫な人なの

2024年10月13日 12時00分51秒 | 創作欄

人を好きになる感情は、何であるのか?
徹は、新松戸駅前の居酒屋で考えてみた。
57歳の男の朝のときめくこころが、尋常でない。
その女性は、天王台駅から乗った。
取手駅の一つ先だ。
10人の女性がいたとしたら、その人は6番目か7番目かの容姿であろうか。
徹は面食いであるが、これまで愛した女性のほんとんどがそれほど美しくはない。
面食いであるのに、女性の声に惹かれる質でもあった。
「声美人」
そのような表現を徹は、高校生の頃、詩で表現した。
アナウンサーの北玲子さんに惚れ込んいた。
ハスキーな声であるが甘い。
人の心を包み込むような響きだ。
東京上野の美術館で、マドンナの絵画を見た時、この人が声を発したら北玲子さんのような語りかけをするだろうかと想って絵の前に佇んだ。
人の出会いは不思議なもので、50代の徹が再就職した職場に、天王台駅から乗る女性が働いていた。
「どこかで、会っていますよね」
挨拶をした時、女性から問われた。
「そうです。私は取手に住んでいますから、電車内で貴方を見かけたことがあります」
「ああ、電車で見かけました。何時も大きなリックを背負っていますよね」
徹は苦笑した。
ノートパソコン、新聞、書物、ノート、カメラ、ラジオ、録音機などでリックは膨らんでいた。
徹が新しく勤めた職場は、20名余の規模であり、社長が50歳で40歳代が2人、30歳代3人、あとは20歳代の若い人たちだった。
駅から徒歩78分、徹は職場に溶け込もうと社へ向かう社員たちに声をかけた。
「どこから通っているのですか?」
「出身は何処ですか?」
ところが、ある社員には3度も聞いてしまった。
「岩手と言いましたよ!」
相手は当然、むっとして言い返した。
迂闊であり詫びたが、相手は常にイヤホーンで音楽などを聞いているので、その後は声をかけずにいた。
ところで、徹が惚れ込んだ女性は「声美人」であった。
何時か食事か、酒の席に誘いたいと思っていた。
その日、電車内で声をかけた。
その人は何時も本を読んでいるので、徹は車内では声をかけずにいたが、降りた新松戸の駅で肩を並べたので聞いた。
「正月は、何処かへ行ったのですか?」
「秋田の実家へ帰りました。大沼さんは、どうされたのですか?」
問いかけに徹は、「この声だ」と胸が高鳴った。
乗り換えた車内では取り留めのない話をした。
そして突然、思い出したので言った。
「山崎さんに3度も、出身は何処ですか?と聞いてしまったのです」
その人は声を立て笑った。
3度も? でも山崎さん、全然、大丈夫な人なの。気にすることはないですよ」
徹は、「大丈夫な人」と言う表現に何か救われた気持ちになった。
ある意味で、この人の人柄の良さを感じた。
徹は惚れ直したのだ。
だが突然、別れは訪れた。
その人が退社したのである。
ある意味で徹の心は、平静を取り戻した。
淡白な50代の心のときめきは、引き潮のようなものであった。


「文化」とは―生命を開花させるためにある

2024年10月13日 11時08分04秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

遙か紀元前の昔から数千年の伝統を有し、<舞踊の始原>と称されるインド古典舞踊。

広大なインド亜大陸の各地で育まれた流派の数は万を超えるとも。

中でも代表的な舞は四大古典舞踊として知られている。

体は小柄だが、変幻自在のパフォーマンスが場内の視線を奪い離さない。

流麗かつ複雑な表現が特徴であるインド古典舞踊は、信仰に深く根ざし、舞踊芸術として発展を遂げてきた。

インドと日本では信仰や宗教観が異なる。

神々の間で生まれた南インドを発祥とするバラタナティヤムの起源は、寺院に仕える巫女が神々に捧げた踊りにあるという。

バラタナティヤム(英:Bharatanatyam)は、インドタミル・ナードゥ州を発祥とするインド古典舞踊。インド四大古典舞踊のなかで最も古い伝統を持ち、紀元前1000年頃からヒンドゥー教寺院の儀式で行われていたデーヴァダーシー(巫女)による奉納舞踊だったバーラタ・ナーティヤムとも表記される。

 

「舞」は「平和」である。

幸福と喜びの象徴である。

その対極が「戦争」だ。

戦争は残虐・無残な地獄の姿だ。

<我々はこの世に、舞を舞うために生まれてきたのだ>

「中国に仏教が伝わった時、「天空を舞う天女」—「飛天」の逸話がある。

だが、中国では女性が躍る姿を描いていない。

儒教の影響であろうか。

それが法華経によって、踊る女性を描くことが認められるようになった。

その姿が飛天となったと思われる。

中国において仏教の思想が理解されるようになったのは、「芸術の美」を通してであった。

経典も、表現が美しくなければ、人の心を打たないだろう。

「文化」と「仏教」は表裏一体。

「仏法運動」は必ず「文化運動」となっていくものだ。

人生の本当の「幸福」とは、どこまでも自在に、自分らしく、わが生命の舞を「舞い抜いて」いくことではないだろうか。

「文化」とは―生命を開花させるためにある。

人間を最高に高めるのが文化である。

文化・教育運動で、世界を結びつけるソフト・パワーで、世界を結びつけ、各国の友好の絆を築くのである。

生命の高まりこそが自身の可能性を開き、芸術の創造の源泉になる。

人生と苦悩、信念と創造、芸術と信仰—世界にあまたある文化・芸術は、人類は不屈の精神闘争の中で育み、磨き上げてきた遺産ともいえる。

そこから、我々は何を学び取っていくべきか。

そこに文化交流の眼目の一つがある。

人間は文化を通じて真に結ばれる。


女性と子どもの人権を守るエンゼルランプ

2024年10月13日 09時18分53秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼「人間は忘れるから生きられる。でも、忘れてはいけないことがある」

自らの被爆体験を基にした漫画「はだしのゲン」作者の中沢啓治さんの言葉。

広島と長崎の被爆は人類史において忘れてはいけなうことだった。

日本の反核・平和運動の中心的存在である日本原水爆被害者団体協議会にノーベル平和賞が授与された。

ウクライナ侵攻を続けるロシアのプーチ大統領が各兵器使用の脅威をちらつかせている。

来年はビキニ環礁水爆被害から70年、広島、長崎への原爆投下から80年となる。

ノーベル平和賞は被爆の記憶を引き続ぐことを願う世界の声でもあるだろう。

▼「無声戦中日記」徳川夢声著

冒頭で自身の日記を振り返り「一般国民は実は国民の正体」批判している。

無声は大東亜戦争開戦時、国際時、国債の宣伝録音に参加するなど戦争に協力していた。

▼国連の独立調査委員会は、医療従事者や医療機関にさえ「容赦なく意図的な攻撃」を続けれるイスラエル軍は行為は、戦争犯罪と指摘した。

イスラエル軍はガザ地区の医療関係者を故意に殺害、拘束、拷問しているのである。

▼女性と子どもの人権を守るエンゼルランプ

ドメスティック・バイオレンス(DV)によって傷ついた女性や子どもに対して、安全の確保、心身の健康の回復、自立の支援等の事業を行うとともに、一般市民に対してDVの根絶に向けた啓発に関する事業を行い、もってDVを許さない社会の実現に寄与することを目的としている。

2006年、夫のDVに苦しみ離婚調停に臨女性の代理人を引き受けた上地 大三郎弁護士。

だが、子連れで身を隠し、つきまといを禁じる裁判所の保護命令も受けていだが、探偵を雇った夫に居場所を知られ、刺殺された。

事件は社会に衝撃を与えた。

上地 弁護士は「依頼人を守れず代理人失格。弁護士をやめようかと思い詰めた」

だが、この事件をきっかけにDVの被害者支援に本腰を入れるこことなったそうだ。