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創作 人生の選択 番外編

2024年10月07日 20時12分32秒 | 創作欄

親子の関係が、憎しみに発展することもあるのだ。

誰が、納得できるとか、行為を肯定することなど、事態の流れや展開は単純な問題ではない。

悪とか善とかは現実的には、峻別して厳密に言及することはできないのである。

19歳の由紀子は、父親によって辛く対応されてた子どものころからの過去を引きずっていて心は不安定にうごめき、どこまでも支配的な父おやに反発して生きて来た。

そんな父親は妹と弟を異常なまで可愛がってきた。

一方の由紀子は悪い子であり、小学生5年の時から、本屋や近所の雑貨店から万引きを繰り返してきたのだ。

「お前のような娘は、佐田家の恥だ。死んでしまえ!」と父親の貞夫を娘を罵倒してきた。

父親の怒りは当然であった。

父親は長女の由紀子に期待して、求めに応じて、それなりんの小遣いを与えていた。

だが、由紀子は友人たちの気持ちを自身に引くとめるため、万引き行為と自身の小遣いの金の散財などで、衣食などに金を投いて、どこまでも友人たちの気持ちをつなぎとめていたのだ。

ある意味で、彼女の行為は実に切ないものだであったのだ。

皮肉にも金では友だちの心を、自身に繋ぎとめることができなかったのである。

 

 

 


「政治と金の問題」

2024年10月07日 13時25分06秒 | その気になる言葉

なぜ、自民党は、政治と金の問題から脱却できないのか?

国民の政治不信を払拭する本気の政治改革が今ほど求められることはない。

「政治がきたないというより、現実の人間そのもが、あいにく天使に生まれついていないのである」

政治学者の丸山眞男「人間と政治」

「利己的で、ひそかに自分だけは法の適用を免れたいと思っている人間がいる。それを道徳的に改善するのはなく、たとえ悪魔の国であっても悪しき心情などなかったかのように振る舞わせるにはどすればよいかと」哲学者カウント「永遠の平和のために」

「ケーキが大好きな悪魔たちがケーキを切り分ける。ナイフを入れた悪魔が最後の一切れを受け取れるというルールにすれば、一番大きなピースが欲しいと思っている悪魔は細心の注意で均等にカットするだろう。公平にいないと自分が損するからだ。そらくカントはそんなことを考えていた」訳者の中山元さんの解説が示唆的だ。

互いを強制的に従わせる効力を発揮するルールを、みんなで決めるの政治の機能。

政治資金の透明性を確保する第三者機関の設置が期待される。

 

自民党議員たちと旧統一教会の癒着構造問題。


統一教会と自民党、その恐るべき癒着の構造

安倍晋三元首相の銃撃事件をきっかけに、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への批判が高まっている。最大の焦点は、強引な献金の強要、そして政治家との長年にわたる癒着である。
 統一教会がもっとも耳目を集めたのは、合同結婚式が大きく報道された1992年だった。

霊感商法が話題になったのもこのころだ。翌93年には合同結婚式に参加した元五輪選手の脱会などが話題になるも、九四年には報道も鎮火。95年にはオウム真理教事件が起きて、統一教会問題は世間から忘れられてしまった。
 その当時からすでに三〇年の月日がすぎた。思いがけない形で、旧統一教会の問題が再燃した格好である。
 この問題はしかし、放置できない要素を多々含んでいる。9月30日、自民党は、旧統一教会や関連団体と関係があった同党の国会議員を168人から12人追加して180人と発表した。

かかわり方の濃淡はあるにせよ、岸田内閣は大臣8人、副大臣11人、政務官12人が教団と関係があったことを認めており、とりわけ教団のイベントに何度も登壇して、教祖礼賛演説を繰り出してきた山際大志郎経済再生大臣の言動は常軌を逸している。細田博之衆院議長も、萩生田光一自民党政調会長もだ。10月3日に召集された臨時国会でも当然、この件は大きな焦点になろう。
 両者の関係とは、はたしてどんなものだったのか。このたびの騒ぎを機に出版された、話題の新刊書を読んでみた(以下、同教団の諸問題を扱う論者の慣習にしたがって「統一教会」と表記)。

70年代から政治に食い込んでいた統一教会
 有田芳生『改訂新版 統一教会とは何か』はこの問題を四〇年追ってきた著者による、いわば統一教会問題の入門編。1992年に出版された本に加筆された増補版だが、いまも古びていない。
 95年のオウム真理教事件以降、忘れられた統一教会。その間の事情を、有田は〈オウム真理教が一連の事件を引き起こして自爆したのとは対照的に、統一教会は地道に社会や国会議員へと浸透していった〉と書く。同教会はつまり、成功したのである。
 統一教会が、教祖の文鮮明(1920生まれ)によって韓国で創設されたのは1954年。日本では58年に布教がはじまり、64年、東京都によって宗教法人の認証を受けた。
 政治とのかかわりができたのは67年以降である。68年、韓国に続き日本で結成された国際勝共連合(統一教会系の政治団体)の名誉会長は笹川良一。岸信介も発起人に名を連ねた。七四年に大々的に開かれた会合には福田赳夫大蔵大臣(当時)や安倍晋太郎ら衆参議員40人が出席し、演壇に立った福田は〈アジアに偉大なる指導者現る。その名は文鮮明〉とブチ上げた。
 70年代〜80年代に学生時代を送った人なら、統一教会の学生組織「原理研」の存在をみな知っているだろう。が、政界と教団の癒着はこの時代から想像以上に進んでおり、今日の山際・萩生田・細田らと同じような「教団ヨイショ演説」が、もっと大物の政治家によって行われていたわけである。
 それだけではない。

80年代には選挙活動支援や議員秘書に信者を送り込む手法も常態化しており、1990年の韓国の教団関係雑誌に載ったインタビューで、韓国の教団幹部は次のように語っている。〈日本の今度の選挙だけでも、私たちが推してあげたのが、108議席当選しました。今回、私たちが援助しなければ、無所属で出てきた中曾根なんか吹けば飛んだよ。また派閥で見れば、中曾根派は62議席にもなって、安倍派は83議席です。(略)この2派閥を合わせるといくつになりますか? それで安倍と中曾根は、原理の御言を聞け! と言ったら聞きはじめました〉。
 ここでいう安倍とは安倍晋太郎のことである。韓国の信者向けの雑誌だから多少「盛っている」としても、たいした自信だ。
 実際、右の幹部の話はまるっきりデタラメともいえない。
 元信者や元自民党議員の証言を元に、有田は国際勝共連合が「勝共推進議員」と呼ぶ議員の条件をあげている。
〈それは統一教会員たちが選挙活動を手弁当で支援する代わりに、/①統一教会の教義を学ぶため、韓国で開かれるセミナーに出席する/②国際勝共連合系の議員であることを認める/③統一教会を応援する/という条件を受け入れる議員たちのことだ〉。
 右の条件で90年に勝共連合が公表した「勝共推進議員」の現職は、じつに105人(巻末のリストには大臣経験者を含む有力議員がずらりと並ぶ)。

うち100人が93年の衆院選に立候補。19人が落選するも残りは当選。つまり2022年に露呈したのとそっくりな光景が、この時点で繰り広げられていたことになる。
 93年の衆院選とは、自民党が大敗し、非自民八党連立内閣ができた際の選挙である。有田によれば、この選挙は〈「勝共推進議員」がどれだけ当選するか〉が隠れた焦点だったという。知らなかった。いったいあの選挙は何だったのだろう。
 にしても文鮮明が、そうまでして他国の政治に食い込もうとしたのはなぜなのか。〈自分が影響力を与えることのできる政治家をその国の首相や大統領に据えればいいということだ〉と有田はいう。文鮮明は〈少なくとも7か国を操作できれば、われわれは全世界を掌握できる〉と豪語していた。七カ国とは米英仏独ソ、そして韓国と日本である。78年、米下院フレイザー委員会(米国と統一教会との関係などを調査する委員会)の報告書は、教祖の狙いは「世界的な『政教一致国家』を樹立すること」と断じている。なんという教団と、自民党は手を組んだのか。
 91年、文鮮明が北朝鮮を電撃訪問、金日成と会談するなど、教団は路線を変える。冷戦が終結、反共思想(勝共思想)の意味が薄れた国際情勢への対応である。当時は自民党の勢いも衰えはじめていた。反共とは別の部分で両者の利害が一致したのかもしれない。

安倍・菅コンビが仕切った2010年代
 鈴木エイト『自民党の統一教会汚染 ―― 追跡3000日』は、有田本の後の時代、主に安倍・菅政権時代を扱っている。
 統一教会に転機が訪れたのは2000年代後半。全国各地で霊感商法の摘発が続き、教団本部は組織防衛のため政治家対策の強化を図ったのだ。12年12月、第二次安倍政権が発足。奇しくも12年は9月に文鮮明が死去して後継者争いが起き、息子たちを追放した妻の韓鶴子が実権を握った年である。
 かくて統一教会と自民党中枢部は、以前にもまして緊密な関係を築くことになる。〈政権を奪取した安倍晋三は悲願である憲法改正の実現に向け、長期安定政権を目論んだ。

そこで、組織票にとどまらず無尽蔵の人員を〝派遣〟してくれる使い勝手の良い教団を利用しない手はなかったのだろう〉と鈴木はいう。
 両者の関係が顕在化したのは13年7月の参院選だった。
 この選挙には安倍首相肝いりの候補者が立候補していた。比例区から立候補した北村経夫(山口県出身。現在も現職の参院議員)だ。彼を当選させるべく、教団は全面協力。選対部長によれば、仕切り役は官房長官の菅義偉という。組織票の見返りは「教団への警察の捜査を先送りにしてもらうこと」と「選挙後に当時の日本統一教会の会長(徳野英治)と安倍が会うこと」。
 教団組織票の上乗せで北村は初当選。その成果は翌14年の衆院選を経て15年に結実する。教団が1997年以来、再三働きかけてきた教団の名称変更を、文化庁が認証したのである。
 詳細は省くが、その後の教団と自民党のズブズブぶりは想像以上だ。六度の選挙への協力はもちろん、平時にも、SEALDsに対抗する学生組織(ユナイト)を発足させて安倍の政策擁護に努めるわ、教団の引率で米国に議員を外遊させるわ、あの手この手の大サービス。こうした活動への見返りは、教団と近しい議員の入閣であったり、集会への議員の参加や祝電だったりする。21年9月、統一教会関連団体の大会に安倍が送ったビデオメッセージは、中でも最大の見返りだったといえるだろう。
 このビデオ撮影に同行した国際勝共連合の会長(梶栗正義)は、岸信介から三代にわたる安倍との信頼関係を強調し、このように語ったという。

〈この8年弱の政権下にあって6度の国政選挙において私たちが示した誠意というものもちゃんと本人(安倍晋三)が記憶していた。こういう背景がございました〉。
 あらためて確認すべきは、自民党と統一教会との関係は一朝一夕のものではないということ。そして安倍政権発足以来、教団との関係の中枢を担っていたのは安倍晋三その人だったことである。鈴木がいうように〈メディアの監視が働かないところで、政治家と統一教会は共存共栄関係を続けてきた〉のだ。
 地盤・看板・カバンのない候補者にとって、統一教会は無償で人を派遣してくれる便利な組織だった。一方、教団と信者の関係に目を転じれば、これは搾取の構造にほかならない。
 島田裕巳『新宗教 驚異の集金力』は、既成宗教と新宗教のちがいとして、〈新宗教の場合には、ほとんどの場合、専門の宗教家である聖職者は存在しない〉ことをあげている。教祖はいても、僧侶や牧師のような存在がいないため、すべての宗教活動(布教から商材販売や募金活動まで)は信者の無償の労働によって贖われる。選挙活動もそうした無償労働の一環だったわけで、自民党はつまり教団を介して彼ら信者を搾取し続けてきたのだともいえる。
 私がいま気になっているのは、有田本と鈴木本の両著から抜け落ちた2000年代前半、すなわち小泉政権時代の統一教会と政治の関係である。たとえば小泉訪朝に教団の関与はなかったのか。両者のあまりにも深い絆を知ると、すべてを疑りたくなってくる。

【この記事で紹介された本】


教育の目的

2024年10月07日 12時51分26秒 | 社会・文化・政治・経済

教育の目的が確立してければ、方法の設定が不可能である。

それは、目的なしの射たが的に命中できないのと同様である。

ある人は<教育の目的は>国家のためと言う。

またある人は父母のためと言う。

しかし、それは果たして子どもを愛する父母の率直な希望なのだろうか。

真に子どもを愛する父母であるなら、決して子ども自分たちの幸福の手段とは考えないだろう。

一方の利益だけを重視し、子どもたちをそのための手段とみなすことは、結は、結局、<社会と子どもたちの>の双方を共に破滅に追いやることになる。

教育を受ける子どもたちが、幸福な生活を遂げられるように<生き方を>教え導くのが教育である。

教育者や教育を望む父兄などが、自分の生活面の欲望を満たすために子どもを手段とすることなく、子どもたちの幸福を図ることを教育の目的とするのである。

言い換えれば、子どもの成長と発展が、幸福な生活の中で終始できるよにするものであらねばならない。

哲学者のジョン・デューイが<教育の在り方に関して>「生活のために、生活において、生活によって」と言っているが、味わうべき言葉である。

子どもたちんは、一人残らず幸福な人生を築いてもらいたいものだ。

 

デューイは、著書 "Experience and Education"(経験と教育)の中で、経験を通した学習の本質と意義について深い洞察を示しました。

そもそもなんで経験学習なのか?

これを考える上で、当時のアメリカの状況を理解する必要があります。当時、20世紀初頭の米国では、

1 産業化と都市化の進展
2 移民の増加と社会の多様化

という社会構造がマジで変わりそう、という激動のなかにありました。

なんでもかんでもオートメーション・機械化されるようになると、人間とは?みたいな問いが出てくるもんです。

そこで、主権とか主体性、権利という話になって、民主主義の理念に基づく社会の実現を目指す機運が高まり、教育もその一翼を担うものと位置付けられました。これをまるっと進歩主義思想と言ったりします。

あとは、ヨーロッパでも児童研究の発展 19世紀末から20世紀初頭にかけて、児童の発達や学習に関する心理学的研究が進展しました。

例えば、フレーベルとかペスタロッチとかですね。ちなみに我らが宝『あんぱんまん』は1973年にフレーベル館刊行の雑誌に掲載れたものでございます。(駒込にあるフレーベル館社にはアンパンマン像があります。)

こんな時代背景のなかで、デューイは機械的な暗記を強いる旧来の教育を批判し、生徒の主体性を尊重した教育実践への転換を試みたのです。

 


ガザ地区戦闘1年 死者は4万1000人超に いまも終結は見通せず

2024年10月07日 12時30分47秒 | その気になる言葉

パレスチナのガザ地区でイスラエルと、イスラム組織ハマスとの間で戦闘が始まって、7日で1年となります。

イスラエル軍はガザ地区の北部で再び地上作戦を始めるとともに、レバノンでの攻勢も強めるなど事態は悪化の一途をたどっています。

イスラエルとハマスの大規模な戦闘が始まってから7日で1年となるのを前に、イスラエル軍は6日、ハマスが戦闘能力を取り戻そうとしているなどとしてガザ地区北部のジャバリアで再び地上作戦を始めました。

ガザ地区の地元当局によりますと、ジャバリアでは子ども9人を含む17人が死亡したということです。

戦闘はレバノンにも拡大していてイスラエル軍は7日、レバノンの首都ベイルートにあるイスラム教シーア派組織、ヒズボラに関連する施設などに空爆を行ったと発表しました。

これについて、イスラエル軍の報道官は「目撃者によると現地では2次的な爆発が起きていてこれは標的だったヒズボラの倉庫に武器やミサイルが保管してあったことを示している」としています。

ロイター通信が、ベイルート南部の郊外を捉えた映像には、オレンジ色の巨大な炎が写り爆発のあと、炎とともに火花が激しく散り、煙が立ちのぼる様子も確認できます。

一方、イスラエルのメディアによりますと、レバノンからは6日、135発のロケット弾がイスラエル北部に向けて発射され10人がけがをしたということです。

中東ではイスラエルがイランによる先週の大規模なミサイル攻撃への対抗措置をとるとの懸念も高まっていて、戦闘の開始から1年がたついまも終結は見通せず、事態は悪化の一途をたどっています。

住民は国際社会の関心の低下を懸念

レバノンでの戦闘の激化など中東でのさらなる紛争の拡大が懸念されるなか、ガザ地区の住民からは国際社会の関心の低下を懸念する声も聞かれます。

南部ハンユニスで避難生活を続ける男性は「レバノン情勢に注目が集まり、私たちガザの住民のことはあまりニュースで取り上げられなくなっていると感じる」と話していました。

さらに、別の男性は「私たちは切実に停戦を求めている。すでに疲れ果て、もう限界を迎えている」と訴えていました

ガザ地区での戦闘 経緯

 
去年10月

パレスチナのガザ地区でのイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘は、去年10月7日のハマスの奇襲攻撃をきっかけに始まりました。

ハマスがイスラエルに対して大規模なロケット攻撃のほか越境攻撃を仕掛け、およそ1200人を殺害したほか、人質としておよそ250人をガザ地区に連れ去りました。

去年10月

これを受けてイスラエル軍はハマスの壊滅と人質の解放を掲げて、その日のうちにガザ地区での軍事作戦に乗り出します。

激しい空爆を行うとともにガザ地区を完全に封鎖して電力などの供給も止め、水や食料も不足する中、人道状況が急速に悪化していきます。

10月下旬にエジプトとの境界にあるラファ検問所が開放され、支援物資の搬入が始まる一方、イスラエル軍はガザ地区での地上作戦に踏み切ります。

11月にはハマスの重要な拠点になっているとして、地区最大の病院「シファ病院」に突入するなど作戦を拡大し、国際社会から人道危機への懸念が高まります。

11月下旬にカタールなどの仲介で戦闘の休止が実現し、7日間の休止期間に人質105人が解放され、イスラエル側も刑務所に収容していたパレスチナ人240人を釈放しました。

軍事作戦を再開したイスラエル軍はガザ地区の北部に続き、中部や南部で地上作戦を進め、避難者が集まる学校なども空爆の被害が相次ぎます。

イスラエル軍は、ことし5月には多くの住民が避難していた地区の最も南のラファで地上作戦を始め、エジプトの境界沿いに広がる緩衝地帯「フィラデルフィ回廊」を制圧し、支援物資の搬入の拠点となっていたラファ検問所も閉鎖されます。

こうした中、アメリカのバイデン大統領はガザ地区での停戦に向けて3段階からなる新たな提案を発表し、断続的に協議が続けられました。

しかし、イスラエル側が「フィラデルフィ回廊」などでの軍の駐留の継続を求めたのに対し、ハマス側は完全撤退を求め、協議は難航し、いまも停滞したままです。

イスラエル軍は、先月南部のラファを拠点としていたハマスの4つの大隊すべてを壊滅させたとするなど成果を強調していますが、停戦の見通しが立たない中、ガザ地区での犠牲者は4万人を超え、今も増え続けています。

中東での戦闘拡大 経緯

去年10月にガザ地区での戦闘が始まると、イランが主導し「抵抗の枢軸」と呼ばれる中東各地の武装組織のネットワークがハマスへの連帯を示し、イスラエルへの攻撃に乗り出します。

このうち、イスラエルの隣国レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラは、ガザ地区での戦闘が始まった翌日に、イスラエル北部を砲撃し、以来、双方の間で攻撃の応酬が続きます。

また、イエメンの反政府勢力フーシ派はイスラエルに向けてミサイル攻撃などを行うとともにアジアとヨーロッパを結ぶ紅海周辺で船舶への攻撃を繰り返し、世界的な物流にも影響がでます。

このほか、イランが支援するイラクとシリアの民兵組織が駐留するアメリカ軍に対して無人機やロケット弾による攻撃を行うなどイスラエルと同盟関係にあるアメリカにも攻撃の矛先が向けられました。

これに対し、イスラエル軍はシリアにあるイランの軍事拠点などを相次いで空爆したと伝えられています。

ことし4月1日にはシリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館が攻撃を受け、イランの軍事精鋭部隊、革命防衛隊の司令官らが殺害されました。

そのおよそ2週間後に、イランは報復として、イスラエルに向けて多数のミサイルと無人機を発射し、初めての直接攻撃に踏み切りました。

その6日後にはイラン中部の空軍基地の付近で爆発があり、イスラエルの対抗措置とみられましたが、被害は限定的でそれ以上の攻撃の応酬には発展しませんでした。

しかし、ことし7月にイランの首都テヘランを訪れていたハマスのハニーヤ最高幹部が殺害され、イランはイスラエルによる攻撃だとして報復を宣言します。

先月27日にはレバノンの首都ベイルート近郊でヒズボラの最高指導者ナスララ師がイスラエル軍の空爆によって殺害され、緊張がさらに高まります。

イスラエル軍がレバノン南部への地上侵攻に踏み切った今月1日、イランはヒズボラのナスララ師の殺害などの報復としてイスラエルに対し180発以上の弾道ミサイルによる大規模攻撃を行いました。

イスラエルは対抗措置をとる構えで、中東での紛争の拡大が懸念されています。

OCHA“ガザ地区 戦闘開始以降4万1689人死亡 子どもが3割近く”

OCHA=国連人道問題調整事務所が2日に発表したところによりますと、去年10月に戦闘が始まって以降、ガザ地区では4万1689人が死亡しました。

このうち、子どもは1万1355人で全体の3割近くを占めています。

また、およそ210万の人口の9割におよぶおよそ190万人が避難を余儀なくされているほか、食料不足が深刻化する中、飢きんに直面している人は人口の4分の1近くのおよそ49万5000人に上っているということです。

国連やNGOなどの支援関係者も犠牲になっていて、去年10月以降、ガザ地区で280人以上が死亡し、その多くはUNRWA=国連パレスチナ難民救済事業機関のスタッフだとしています。

報道関係者の犠牲者も増え続けていて、報道の自由を守る活動をしている国際的なNPO、CPJ=ジャーナリスト保護委員会は4日、ガザ地区の戦闘に関連して死亡した報道関係者は少なくとも128人に上っているとしています。

イスラエル軍はヨルダン川西岸のパレスチナ暫定自治区でも攻撃を行っていて、OCHAによりますと、先月末までのおよそ1年間に678人のパレスチナ人が死亡しました。

一方、イスラエル側では1200人以上が亡くなったということです。

【被害の状況】

 

ガザ地区では激しい戦闘で学校や病院も大きな被害を受けています。

学校・教育

OCHA=国連人道問題調整事務所の4日の発表によりますと、9月上旬までにガザ地区にある564の学校の87%にあたる493校が戦闘の被害を受け、このうち71校が建物を完全に破壊されたとしています。

教育を受けられなくなった子どもの数はおよそ62万5000人にのぼり、OCHAは「子どもたちの学ぶ権利が脅かされている」と訴えています。

病院・医療

また、WHO=世界保健機関によりますと、ガザ地区にある36の病院のうち半数以上が機能しておらず、17の病院が一部の運営を続けている状況だということです。

現地で支援活動にあたっている国境なき医師団が3日、発表した声明によりますと、これまでに14の医療施設から医療スタッフや患者などが避難を余儀なくされ、そのたびに何千人もの人々が治療を受けられなくなったとしています。

支援の状況

ガザ地区では食料や飲み水の不足が深刻で、飢餓のリスクが差し迫った課題となっていますが長期化する戦闘により人道支援が届きにくい状況が続いています。

UNRWA=国連パレスチナ難民救済事業機関のラザリーニ事務局長は2日、10万トン以上の食料が搬入されずにガザ地区の外に留め置かれていると指摘しました。

食料支援を受けることができなかった人の数は9月140万人以上にのぼったとして、ラザリーニ事務局長は「ガザでは飢餓が繰り返し広がっている。これは完全に人災だ。冬が近づき、天候が悪化する中で人道物資が不足すれば、苦しむ人々がさらに増えるだろう」と訴えています。

林官房長官「停戦に向けた取り組み 強く求めていく」

 

林官房長官は7日午前の記者会見で「日本は一貫してハマスなどによるテロ攻撃を断固として非難し、すべての人質の即時解放を求めている。戦闘が長期化する中、ガザ地区で危機的な人道状況が続き、多数の民間人が犠牲になり、イスラエルとパレスチナ双方の市民の安全が脅威にさらされていることを深刻に懸念している」と述べました。

その上で「イスラエルを含むすべての当事者に対し国際法を順守するよう求めるとともに、停戦の実現に向けた着実な取り組みを改めて強く求めていく。G7や国連安全保障理事会の一員として、中長期的な地域の平和と安定の確立に向けて外交努力を重ねる。ガザ地区への人道支援を継続し今後訪れる復旧・復興段階でも役割を果たす決意だ」と述べました。

米 ハリス副大統領「圧力かけること やめるつもりはない」

アメリカのCBSテレビは6日、7日に放送予定のハリス副大統領へのインタビューの内容の一部を公開しました。

この中で司会者が、バイデン政権がヒズボラとの停戦を求めたにも関わらずイスラエルがレバノンに侵攻したことなどに触れた上で「アメリカはネタニヤフ首相に対し何の影響力もないのか」とただしました。

これに対しハリス氏は「ハマス、ヒズボラ、それにイランからの脅威を考えると、イスラエルが自衛するために私たちができるかぎりのことをするのは 間違いなく必要なことだ」と述べイスラエルを支持する姿勢を改めて示しました。

その上で「外交面ではイスラエルの指導者たちに人道支援や戦争の終結などの必要性を訴えて働きかけている。イスラエル、それにアラブの指導者らに圧力をかけることをやめるつもりはない」と述べ、外交的な働きかけを通じて緊張緩和を進めたい考えを示しました。

アメリカでは11月に大統領選挙を控え、中東情勢の混乱を収束できていないとして、バイデン政権に対する批判が強まっています。


戦いは勢いである

2024年10月07日 11時43分03秒 | その気になる言葉

▼牡蠣(かき)は海中の植物プランクトンを取り入れて育つ。

森の養分川から海へ運ばれ、餌となる植物プランクトンの増殖を促す。

目には見えないミクロの世界。

「いちばんたいせつなことは、目に見えない」サンテグジュペリ作「星の王子さま」の一節である。

キツネに、そう言われた王子は、けんか別れをしたバラに心を寄せる。

すると「絆」や「愛情」が見えてきた。

▼戦いは勢いである。

大変な時こそ、互いに声をかけあい、励まし、ほめたたえあう。

そこに勝利へのリズムが生まれる。

▼勝敗を決するものは、一人また一人の胸の奥に刻み込まれた金剛にして不壊なる一念と情熱である。

▼人には不安を消せない時がある。

そんな時は不安とは反対の安心で打ち消すのがいい。

そして、その安心を引きだすために周囲の存在が大切である。

▼どこにも「親身に相談相手になってくれる仲間がいる」それが地域の安心となる。

殺伐とした現代の人間関係の砂漠に、人間共和のオアシスの絆なを、広げていくのである。

 


会うことで人は触発し合う

2024年10月07日 11時15分37秒 | その気になる言葉

SNSや電話でも人と人はやりとりできる。

だが、会うからこそ伝わってくる<生の情報>や<人の温度>がある。

そこのに心を配ると、会話も弾む。

打ち解ければ、友情を深めることができる。

会うことで人は触発し合う。

元気な人に合えば元気が出る。

笑顔の人に合えば、自然と口角が上がる。

相手の様子を知ると同時に、こちらの真心や熱意もまた必ず伝わる。

 


唯一助かった長女が28日、同区の自宅で死亡しているのが見つかった

2024年10月07日 03時16分44秒 | 事件・事故

【特集】袴田巌さん58年後の無罪 なぜ死刑囚にされたのか
知人「恨まれるような人ではない」
 長女は当時、父方の祖父母と、近くの別宅で生活。
事件前夜は、友人との九州旅行から帰ってきたばかりだった。

 家業の「こがね味噌(みそ)」の専務だった父親の橋本藤雄(ふじお)さん(当時41)、母親のちえ子さん(当時39)、妹の扶示子(ふじこ)さん(当時17)、弟の雅一朗さん(当時14)。一夜で4人を失った。

2014/03/29(土) 
静岡市清水区で1966年、みそ製造会社専務=当時(41)=の一家4人が殺害された「袴田事件」で、
別棟に寝ていて唯一助かった長女が28日、同区の自宅で死亡しているのが見つかった。

自殺?!なぜ_

長女の交際相手は、暴力団関係者との噂もあったーともされている。

清水署によると、事件性はないとみられる。

事件当時19歳だった長女は、親きょうだいを一度に失った。
以後48年間、苦しみの中を生きてきた“もう1人の被害者”ともいえる。

関係者によると、28日午後6時ごろ、長女を見舞いに来た家族が異変に気付いた。

27日には、事件の犯人として死刑が確定していた袴田巌さん(78)の再審開始が決まったばかり。
長女の自宅周辺では救急車の音に気付いた住民が容体を案じた。
「そっとしておいてあげたい」「話すことはありません」と皆、言葉少なだった。

みそ製造会社の元従業員の男性(82)は長女の死を知ると、「さみしい思いをし続けたと思う」と言葉を詰まらせた。
男性は3年ほど前にJR清水駅付近で長女を見掛けた。その際は、精神的に不安定な様子が見られたという。
「事件のことが影響したのだろうか。かわいそうという思いが一番」と沈痛な面持ちだった。