<ウソも100回言えば本当になる>

2017年06月22日 08時06分48秒 | 沼田利根の言いたい放題
<実績横取り>ハイエナ政党と揶揄されている共産党の体質であるが、政権に批判的な人々の受け皿にもなっているのは事実。
政治的に無知な人々とは言い過ぎとなるが、国民の質が政治の質であることは断言できるだろう。
共産党の実態を知らないことが、そもそも問題なのだ。
<ウソも100回言えば本当になる>共産党の姑息な手段である。
国際社会で否定されている共産主義が日本国内でそれ相応の支持を受けている、それが国民の政治的な質を落としているのはないだろうか?
沼田利根

「夢車券」

2017年06月22日 08時04分02秒 | 未来予測研究会の掲示板
4-6-8(ヨーロッパを買って、ハワイへ行こう)
取手競輪場の予想屋「夢ちゃん」は、何時もおどけたように大きな声をファンに向けて投げかけていた。
だが、多くの競輪ファンたちは、聞き過ごしていた。
つまり、競輪通を自認しているファンにとっては、戯言にしか思われないかったのである。
筋(並び)車券を基本に予想を組み立てているファンにとって、筋とは無関係な4-6-8などの車券は買えない。
通常、4番、6番、8番の選手は、格下に位置づけられている。
多くの選手だって、4番、6番、8番で走ることは屈辱であろう。
つまり、1番、2番、3番、5番、7番、9番で走ることで、選手はそれ相応にファンたちの支持を集めている。
タクシー運転手の荻野信介は、4-6-8のボックス車券を常に買い続けていた。
600円の投資である。
彼にとっての「夢車券」であった。
腹勝車券でも1万円を超える配当であり、単勝車券なら、3~5万円、時には7万円を超える大穴となる。
500円も買っていれば、35万円ほどとなる。
荻野にとっては、「夢車券」は保険である。
狙うのは、あくまで10倍~20倍くらいの車券。
本命は買わない。
1番人気で決まるほど競輪はあまくない。
展開次第で紛れる要素が多々ある。
走る格闘技である競輪は、自己犠牲になってもライン(並び)の結束を貫く。
先行選手の2番目に位置する選手が、アシストして別のラインの追い込むをブロックする。
縦に一列棒状で走行するのであるが、勝負どころでは横にも走る。
つまり斜行である。
競馬なら失格であるが、競輪では許される。
横にも強い選手が当然、ファンの信頼を集める。
競輪は荒れる要素なのだ。

事件の背景にはパレスチナ問題)

2017年06月22日 08時02分11秒 | 社会・文化・政治・経済
思い入れ、思いこみは禁物。
だが、自然の摂理が別である。
「止まない雨はない」
「冬は必ず春となる」
絶対はないとされるが、
死なない人間などどこにもいない。
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イスラエル・テルアビブ空港乱射事件(1972年)。
事件は日本赤軍メンバーの日本人3人が自動小銃を乱射し、居合わせた旅行者ら約100人が死傷した。
実行役の日本赤軍、岡本公三容疑者(69)以外の2人は自爆死。
生還を前提としない襲撃の方法が世界を震撼させた。
ほとんど前例のない無差別自殺型テロは強い衝撃を国際社会に与え、今のイスラム武装勢力などのよる自爆テロの出発点ともなったと指摘されている。
言わば、神風特攻隊に原型があるように想われる。

事件の背景にはパレスチナ問題が横たわる。
第二次世界大戦後のパレスチナ地域にイスラエルが建国され、もともと住んでいたパレスチナ人は難民化した。
果てしない攻撃と報復の連鎖の中で、同地域にマルクス・レーニン主義政権を目指す武装組織パレスチナ解放人民戦線(PFLP)が襲撃を立案し、世界革命路線をとる日本赤軍が実行役を担った。

毎日新聞の岸達也記者が、4月の下旬に岡本公三に取材した。
エロリストの岡本容疑者についてレバノンのPFLP幹部は「彼は英雄」と語り、「事件はテロではなく、レジスタンス(抵抗運動)だった」とした。
岡本容疑者は、事件後にイスラエルで終身刑を受け収監されたが、捕虜交換で1985年に出国。
現在、レバノンで政治亡命者として暮らしている。

共産党のこと

2017年06月22日 07時57分18秒 | 創作欄
真田徹の共産党嫌いは、小学生低学年のころの記憶に起因している。
徹の母親の信恵が、PTAの役員をしていた。
小学校の夏休みに校庭で映写会が企画されていた。
ところが、同日の同時刻に共産党は、学校の近くの公園で映写会を実施するビラを配布していたのである。
正義感の強い信恵は、PTAの会長の大曾根一郎に「これは、共産党の妨害です。抗議に行きましょう」と怒りをぶつけた。
だが、東京大学出で大手企業の部長であった大曾根は、「抗議をしても無駄でしょう」と取り合わない。
信恵にとって大曾根の冷めたような態度が全く心外であった。
「本当に無駄ですか!」と信恵は感情をあらわにした。
「まあ、様子を見ましょう。小学校に多くの児童生徒と保護者が集まれば、共産党の映写会は失敗に終わるでしょう。ここは冷静になりましょう」と諭すように言う。
信恵は<冷静に>と夫の伸三から言われることもあったので、強く反発した。
「冷静になれる問題ではない」と行動に出たのだ。
近隣の共産党員の自宅に出向き、「妨害行為は止めなさい。大事な学校行事ですよ」と怒りをぶつけたのである。
相手も主婦であり、娘はクラスが違うが徹の同級生だった。
「私に抗議されてもね。主人に伝えておきます」
相手は逃げるように玄関から部屋へ入ってしまう。
その夜、3人の若い男たちが、徹の自宅にやってきた。
いずれもヤクザ者ように目が鋭い。
「お母さんは居るかい」ドスの利いた太い声であり、玄関に出た徹の姉の典子は怯えた。
「お母さん、怖い人が来ている」と2階に居た母親に伝えた。
信恵は「共産党員たちが来たな」と身構え、階段を下りて行く。
「奥さん、困るないきなり、野村さんところに来たそうじゃないか。我々の所へ先に来るべきじゃないの」
20代半ばと想われる若者は腕捲りをして威嚇する。
「あなたがたの居る場所が、分からなかったのよ。妨害行為は止めなさい。大事な学校行事ですよ」
「妨害行為?何の根拠で言うんだ。世の中、偶然もあるんだよ。たまたま、我々の活動と重なっただけなんだ。余計な詮索はよせ」30代と想われ長身の男が眼鏡を光らせる。
一見、インテリ―風であるが、バリバリの共産党の闘士である。
「共産党の映写会、別の日に変更できないんですか」信恵は腰が引け出す。
「あんた、さんざん共産党の悪口を言って歩いてそうじゃないか。許さんぞ」脅しに出たは、40代と想われる工員服姿の小柄な男だ。
「悪口ではありません。私は共産党の体質を言っているのです」
「おい、具体的に言ってみろ。どういう体質なんだ」20代の男は顎を突きだす。
そこへ、巡査が現れた。
徹と同じクラスの佐々木茂子のお父さんだった。
桜坂の途中に、派出所があり、佐々木一家が住んでいた。
徹の家と100㍍くらいの場所であり、巡査の脇には隣の笹井さんの70代のおばあちゃの徳子が立っていた。
「君たちは、共産党員だね。事情を聞こう」と3人を外へ連れ出す。
「我々は話し合いに来ただけなんだ」30代と想われる男は逃げ越しとなる。
「まあ、いいから来なさい」と巡査は警棒に手をやりながら、3人を促がす。
この巡査の佐々木健一は、翌年の春に米軍のジープに撥ねられ即死している。
ちなみに、学校の映写会の前、舞台に琴が運ばれ、宮城道夫が登場した。
長い髪をおさげに結った教師なりたての音楽の道子先生が、盲目の宮城の手をとって舞台に現れた。
徹の母親が目に涙を浮かべていた。
琴は春の海など3曲が演奏された。
翌年の映写会では、徹の母親が大正琴を弾いた。