「共謀罪」法の未来

2017年06月24日 08時58分21秒 | 社会・文化・政治・経済
毎日新聞「柳田邦男の深呼吸」
歴史が示す密告社会

国家の権力の恐怖の側面と、権力を前にした人間の弱さについて、歴史の教訓を改めて胸に刻む必要性を強く感じている。
だが、それは歴史の教訓の読み方を知らないだけだ。
1)人間は権力をほしいままにできると、日常感覚では考えもしないことでも平然とやってのける。
2)その極みは、思想や宗教や民族の違いだけで、人を殺すことだ。
3)人間は自分の生命、地位、名誉などを守るためには、親戚や友人でも密告などで売ることまでする。
表の顔と心の真実のずれが常態化する。
4)密告が日常化した社会では、人間不信が深刻化し、良心的に生きようとする人ほど深刻なトラウマを抱え込む。
大人が深い7トラウマに陥ると、子どもの人格形成に深刻な影響を与える。
「共謀罪」法で私が危惧するのは、この法律には、この国を「密告社会」に変質させる危険性な要素がある、とい点だ。
アベ晋三首相は国会で「一般市民が捜査の対象になることはない」と述べたが、捜査の実際を知る人なら、誰もそんな言葉は信じないだろう。
潜行捜査の段階では、捜査対象を一般市民かどうかどう選別して取り組むことなどはあり得ないからだ。
警察が権力を盾に捜査したといべき事件は相次いでいる。
沖縄県警は威力業務妨害などの容疑で反対運動のリーダーを、約5か月間も異常な長期拘留をして「運動を潰し」批判された。
鹿児島県警は県議選をめぐる選挙違反事件をでっち上げて、志布志市の住民を13人送検したが、死亡した1人を7を除き全員に無罪判決が出た。
大阪地検特捜部の検事は功名心から、厚生労働省の女性局長を、「不正事件に関わった」とい虚構の事件の首謀者として起訴したが、裁判で無罪となった。
警察の捜査は、国家権力の最前線における行為だ。
内偵という捜査の中では、わが身をを守る7ために根拠にない「密告」が行われることはあり得よう。
捜査官に誘導されるかもしれない。
「共謀罪」法が施行されるこの国の将来は、そういうことまで考え監視しなければならないのだ。



















地域で育った者が育った場所で起こすテロ

2017年06月24日 08時53分04秒 | 社会・文化・政治・経済
過激派組織「イスラム国」(IS)は、世界各地で活躍するイスラム過激派と連携を深めており、ネットワークを広げている。
昨年7月1日にバングラデシュの首都ダッカで起きた人質テロ事件。
外国人らが集まる高級レストランが武装集団に襲われ、国際協力機構(JICA)の事業で現地に派遣されていた日本人7人ほか、イタリア9人など計20人が殺害された。
元々バングラデシュで活動していた過激派が分裂し、ISに忠誠を誓った派が犯行に及んだ。
ISは中東のみならず南アジアや東南アジア、アフリカなどで既存ローカルなイスラム過激派に影響力を及ぼし、傘下に取り込むなどして、ネットワークを拡大している。
欧州では、地域外から来た者が引き起こすテロでなく、地域で育った者が育った場所で起こすテロだ。
ISなどの組織の構成員として実行するテロと、インターネットなどを通じて過激思想に染まった容疑者が組織に属さず行うテロがある。

恵理子は麻央さんのブログの読者の一人

2017年06月24日 08時49分36秒 | 創作欄
取手通信医科歯科通信


毎日新聞「ひと」
NPO法人{わたしのがんnet」共同代表に就いた
羽賀涼子さん(46歳)

すらりとして華奢に見えるが、芯は頑丈だ。
弱音はは叶い。
高校1年で急性リンパ性白血病になり、兄から骨髄移植を受けてこの夏で30年。
全身への放射線照射と大量の抗がん剤による治療は強力だった。
周囲は「出産は無理」と憂えたが、「ここで逃げたら一生できなくなる」と、1994年1月、男児を産んだ。
当時、日本初。
3年後にも男児を授かった。
小児がんの子どものためのキャンプで1999年、教師だった廼哲也さんに出会った。
中学の時、急性骨髄性白血病を克服していた。
同世代で、治療体験を持つ同志のような間柄になった。
その廼さんは38歳で大腸がんを発症。
「当事者」の発信を力にしようと、NPOの法人「わたしのだんnet」の設立に関わり、共同代表に就いた。
活動の柱は、患者の声を動画やメッセージで集め、インターネットで発信し、当事者をつなげることだ。
昨年5月廼さんは45歳で他界。
直前に「自分が生きていればできたことをたってほしい」と託された。
「がん」の経験をあまり前に出さずに暮らしてきたが、覚悟を決め、今月3月、意志を継いだ。
再発や生活の不安は尽きない中、5年前から一人で子どもを育てている。
その30年分の経験を携え、人と人をつなげる力になりたい。
当事者だし、これまでも大変なことを乗り切って、いかされているのだ。
「がん当事者」の本橋由紀記者の記事である。
鈴木恵理子は、昨日、病院での化学療法を受けながら、毎日新聞の「ひと」欄を読んだ。
実は、先週の1週間は、吐き気がして食ができなかった。
体重は2㌔減少していた。
口内炎も悪化して、硬いものが歯茎に当たって痛む。
歯周病がさらに悪化して、歯磨きをするとあらゆる場所から出血。
回復へ向かっていたヘモグロビンの数値も落ちていた。
前回の血液検査で12.4の数値が11.1落ちていた。
9.7から12.4回復していたので、今回は13を超えることを期待していたのだ。
「手術前下血で3.7まで落ちたことを思えば、それほど気にすることはないかもしれない」と思いんそした。
右足の浮腫みも気になっていた。
救いは腫瘍マーカーの数値の確実な低下である。
具合が悪い時は、化学療法を止めたい気持ちとなるが、がんの転移は何としても避けたい。
この日、化学療法に使用する制癌剤の点滴が1時間以上届かず、ベットで待たされた。
イライラが募る。
そこのとに起因したのか?外科での検温の時に、36.2 度だったのに、約3時間の点滴が終わって検温したら37度になっていた。
「あら、大変!家へ帰って検温して38度を超えていたら、電話をください」と看護師が心配する。
さらに、病院の待合室で目にしたニュースが、恵理子を打ちのめした。
乳がんを公表し、闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが、亡くなった。
恵理子は麻央さんのブログの読者の一人であって、陰ながら自宅での闘病生活を応援していた。
「無念ね!」と唇を噛んだ。
麻央さんのように恵理子も口内炎で硬い物が苦手となっていた。
二人の子どもを残しの死。
未婚の恵理子にはその心残りは理解できないが、あまりにも早すぎる34歳の若さだった。
恵理子と同世代である。
闘病中も自宅でブログを続けるも力尽きた。
家へは戻らず恵理子は気を紛らわせるように、取手競輪場へ足を向けた。
「競輪愛好家」を今では自認している。
最近、競輪愛好家の一人であるJAとりで総合医療センターの看護師の存在を知り、「取手選手応援コーナー」で観戦するようになる。
競輪選手への思い入れも多くなる。