アレクセイ・アナトーリエヴィチ・ナワリヌイ(ロシア語: Алексе́й Анато́льевич Нава́льный、ラテン文字表記の例:Aleksei Anatolievich Navalny、1976年6月4日 - )は、ロシアの弁護士、政治活動家[1]、大ロシア主義者。
2012年大統領選挙
12月20日に釈放されたナワリヌイは、2012年3月4日の大統領選挙で勝利をつかむと公言するプーチンに対して結束するよう市民に呼び掛けた。ナワリヌイは釈放されたとき、テレビのリポーターに「(自分が)大統領選挙に出馬することは無意味なことだ。クレムリンは公平な選挙をさせてくれないだろうからね。だが、もし公平な選挙が行われるのであれば、出馬する準備はできている。」と述べている。2011年12月24日には、選挙直後よりも大規模なデモ(西側報道によれば5万人規模)の組織を手伝い、「盛んに歓声を上げる観衆」に対し「今すぐクレムリンを乗っ取るのに十分な人数が集まった」と熱弁をふるった。
2012年3月の選挙でプーチンが大統領に選出された後、ナワリヌイはモスクワのプーシキン広場で反プーチンデモを行い、1万4千人から2万人が参加した。集会後、ナワリヌイは再度当局に身柄を拘束されたが、このときは数時間後に解放されている。
2012年5月8日、プーチンが大統領に正式に就任した日、ナワリヌイと反対派のリーダーセルゲイ・ウダルツォフの両名はチスティエ・プルーディ(ロシア語: Чи́стые пруды́。「綺麗な池」の意)での反プーチンデモに参加した後に逮捕され、2人とも禁固15日間を言い渡された。
2013年モスクワ市長選と訴訟
2012年7月31日、彼は横領罪で起訴された。連邦捜査委員会によれば2009年の材木契約における彼の非公式顧問としての役割が捜査対象になっており、また連邦捜査委員会のウェブサイトでは彼が横領目的の犯罪グループを組織していたことが判明したと掲載された。2013年7月5日、当局は禁固6年と罰金100万ルーブル(約300万円)を求刑した。
フランス通信社(AFP)はこの裁判は異例の速さで進行していると報じ、同年9月のモスクワ市長選に彼が立候補する前に収監するためだという見解を掲載した。被告側は明らかにでっちあげの罪状だと主張していたが、7月18日、裁判所は禁固5年の判決を下した。この判決に対し、駐ロシア米国大使が失望したと述べるなど国際社会からは批判された。
だが、翌日の19日、裁判所は上訴が可能な期間中は彼を収監しない旨を決定した。これにより、上訴審で1審判決が支持されるまでは被選挙権が剥奪されないため、彼は市長選への立候補が可能になった。AFPが報道した専門家の見解によれば、彼の釈放は前例がなく、明らかに政治的理由があるという。なお、大統領側は不正はなく法に基づいた処置だと主張している[46]。北海道大学の木村汎は「2013年のモスクワ市長選に、プーチン陣営は「横領」で執行猶予の判決を受けたナヴァーリヌイ氏を思い切って出馬させることにした。市長選が現職当選確実の単なるセレモニーにすぎないとの印象を払拭しようと考えたからだった。」「ところが同選挙でナヴァーリヌイ氏が予想以上に善戦したので、来年の大統領選で同様の処置をとることが難しくなった。」と述べている。
同年9月8日、モスクワ市長選の投開票が行われた。彼は選挙に不正があったと主張、大統領側近で現職のセルゲイ・ソビャーニンの実際の得票率は半数以下だと述べて決選投票の実施を求めた。
2018年ロシア連邦大統領選挙
刑事事件で有罪判決を受けているナワリヌイには2018年3月の2018年大統領選挙には出馬する資格が無いというのが中央選挙管理委員会の見解であったが、2017年12月24日に立候補届を提出した。選挙管理委員会は翌25日に全会一致でナワリヌイの立候補は無効との判断を下し、ナワリヌイは選挙ボイコットを呼びかけた。
毒殺未遂
2020年8月20日、ナワリヌイは旅客機内で毒物によるものと見られる体調不良に陥り、同年9月7日に回復するまで意識不明の重体となっていた。