先日、宮ちゃんのおごりでスナック「エスカルゴ」(取手・台宿)でご馳走になったので、お礼のあいさつに行く。
お礼といっても、家にあるものを3種類持って行っただけだ。
「いいのに」と彼は恐縮していた。
「高い支払いだったのでは?」
「大した額じゃないよ。今日も行いこう」笑顔になるが、さあすがに遠慮した。
「刺身を買って待っていたんだ」解凍した刺し身が卓に並ぶ。
そして、大吟醸の酒が出されるのだ。
川崎時代の話から、彼の人生の話となる。
自動車メーカーの勤務から、新聞配達時代の話は、新潟、群馬(前橋、渋川)、栃木(宇都宮)まで及ぶ、1日1万円で食事代は1000円。
アパート代は新聞販売店が負担する。
多い月は40万円の稼ぎとなったそうだ。
競馬の話と、競馬仲間に誘われた、松戸競輪のことまで及ぶ。
結婚はしなかったが、女性と同棲した時期は3年ほど。
台湾の女性と遊んだ宇都宮のことも。
さらに、横浜の夜の街や千葉の元トルコ街のことも。
「実に良い女で、毎回、指名していたんだ」
「韓国人は?」
「経験ないな。フィリピンの女がダメだ」と否定する。
「金をやって、仲間の男たちにも女と遊ばせたな」
「人がいいんだね」
「たいしたことない。金は遣うものだ」
なお、取手に亀有から移住したのは、父親が日立に勤務していて、社の斡旋であったそうだ。
井野団地ができる前の北相馬郡取手町時代のことだったのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます