松井徹は、「愛されたい願望」とともに、「なりたかった人間」でもあった。
小学生時代の理科の草間登紀子先生の感化で、科学者を夢みた。
「黒い花」は創れないか?
「月」へ行けないのか?
「宇宙人」と出会う方法はあるのか?
「台風」を破壊する方法?
小学6年生の夢であったのだ。
そして、中学生となった徹は、アナウンサーと落語家になることを願望する。
「徹君は、いい声をしているね」学友の天田裕君は言う。
「俺の声?」徹はまだ自覚していなかった。
「徹君の話、面白いわね、落語家になったらいいよ」ほのじの泉順子の指摘。
高校生の徹は、短歌や俳句に興味を示す。
母方の伯父の影響だった。
大学時代も特に短歌を続けた。
そして、森田朝雄教授が主宰する短歌誌に投稿する。
さらに、学友3人の名前を借りて投稿する。
それは、森田教授が生徒たちに半強制的に課題として短歌を創らさせたのだ。
その課題にお手上げの学友たちも当然いた。
「短歌なんか無理!頼むよ」学友のその願いで、徹は代作をやむなくて作詞したのだ。
その代作の学友の短歌がいずれもに掲載されていた。
だが、その後の徹は短歌の才能を軽視して、短歌を卒業し小説家を志望していた。
また、徹は大学時代から歌手を目指していたのだが・・・・
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