利根輪太郎は、牛久のカーテン屋さんが提唱した「1000円で楽しむ競輪」が身に沁みる。
月に2回の資金を家人からもらう。
1回1万円である、だが、その日に1万円を失う。
愚かである。
過去を思っても、空しい!
あの頃は、月に3万円の小遣いであった。
さらに、月刊誌のバイト代が付きに6万円。
さらに、臨時の収入が、記者会見の度に1万円。
製薬業者の接待(銀座・赤坂のクラブ)そして、帰りの名目の車代が1回10万円。
東京から取手の自宅まで、毎度、タクシーやハイヤーで送られるのだ。
思えば、異常なバブル経済社会の風習であったのだ。
ギャンブルはじめ夜の世界などで金が無くなれば、妻ばかりではなく父母から金を引き出すのだ。
その額は2000万円は超えていただろう。
実にもったいない!
救いは息子たちや妻の半面教師となったこと―と身勝手に自嘲するばかり・・・
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