この台湾旅行で、学生時代の同級生に会いました。
彼は文学を専攻していて、現在台湾で教えています。
「そういえば、先日村上春樹論を研究会で発表したよ。」
と、たまたま村上春樹の話になりました。
私は、村上春樹の本は数えるほどしか読んだことがありません。
高校生の頃に友人が「風の歌を聴け」を読んでいたので、私も読もうかなと思いましたが機会がなく、大学生の頃にもやっぱり周りで流行っていたので、やっと初期3部作を読みました。
その時は読んだものの特に感慨もなく「ふーん」って感じデシタ。
さらに先輩に借りて「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読みました。
これは、構成が斬新でなかなか面白かったのを覚えています。
その後はずっと縁がなく、大ブームになった「ノルウェイの森」も読むことはありませんでした。
ところが、10数年前から台湾通いをするようになり、村上ファンの台湾人とも交流ができ、日本語版を買ってきてと頼まれたりするようになりました。
で、あるとき100円で買った「ノルウェイの森」を初めて読んでみました。
平易な文章であっさり簡単に読めましたが、読了後気持ち悪くなりました。
感想は、「主人公の男を絞め殺したい」でした。
そのあと、高校のときに村上春樹を紹介してくれた友人から、面白かったよと、「スプートニクの恋人」を借りて、読みました。
ノルウェイの森ほどではなかったけれど、やはり気分が悪くなりました。
以来、村上春樹の本には手を伸ばす気になりません。
私には向かない本のようだと思います。
話は戻って、台湾で村上春樹の発表をした友人は、
大学時代に私が「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んでいるのを見て、村上春樹を読むようになったといってました。
なんと、きっかけを作ったのは私だったのですか!
彼に、
「村上春樹を読むと、主人公を絞め殺したくなるんだよね。」
と話すと、彼にはその理由がわかったようでした。
(さすが研究者!)
「それは不幸な出会いをしてしまったね~」
と言ってました。
彼によれば「ノルウェイの森」は、私みたいな思考をする人間には鬼門だとの事。
なるほど、そうかもしれない。
村上春樹の「喪失観」が色濃く出ている作品なのだとか。
彼の見解によれば、その「喪失」については、ノルウェイの森でかなり書ききったようで、その後の作品ではトーンダウンしているらしいです。
ノルウェイの森を読まなければよかった。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だけで終わっておけばよかった。
村上春樹の本はちょっとしか読んでいないので、えらそうなことは言えませんが、私が読んだ範囲での感想を書くならば、
彼の書く小説の主人公は、自分の人生が人より価値があって、自分だけは特別で、自分だけは人には理解できない苦しみの中にあって・・・・って、これでもかと。
彼の小説に共感できる人は、その主人公に共感できるのかな?
自分だけは特別で、自分だけは誰も理解できない悲しみを背負ってて・・・って。
嗚呼、気持ち悪い。
この世の中が、そんな人であふれかえることを想像するだけで、気分が悪くなる。
そんなことを追求しても不幸になるだけでは?
村上春樹一人がそのことを考えているのは、まぁ世の中いろんな人がいていいので、かまいませんが、あれだけベストセラーになると、怖いです。
みんなそんなに不幸になりたいの?
その不幸振りを鮮明にして、さらに傷口を大きくして、さらに怖いことにはその傷につける薬はないのですよ。
若い一時期にはそういう感覚ってあると思うけど、大人になってもそれを続けてるのはどうなのだろう。
村上春樹を好きな人はそういう観点では読んでないのかな?
台湾の村上ファンの友人も同席していたのですが、彼が一番面白いと思っているのも「「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だといってましたが。
私の村上観が変わるときまでの記録としてこの文章を載せておきたいと思います。
彼は文学を専攻していて、現在台湾で教えています。
「そういえば、先日村上春樹論を研究会で発表したよ。」
と、たまたま村上春樹の話になりました。
私は、村上春樹の本は数えるほどしか読んだことがありません。
高校生の頃に友人が「風の歌を聴け」を読んでいたので、私も読もうかなと思いましたが機会がなく、大学生の頃にもやっぱり周りで流行っていたので、やっと初期3部作を読みました。
その時は読んだものの特に感慨もなく「ふーん」って感じデシタ。
さらに先輩に借りて「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読みました。
これは、構成が斬新でなかなか面白かったのを覚えています。
その後はずっと縁がなく、大ブームになった「ノルウェイの森」も読むことはありませんでした。
ところが、10数年前から台湾通いをするようになり、村上ファンの台湾人とも交流ができ、日本語版を買ってきてと頼まれたりするようになりました。
で、あるとき100円で買った「ノルウェイの森」を初めて読んでみました。
平易な文章であっさり簡単に読めましたが、読了後気持ち悪くなりました。
感想は、「主人公の男を絞め殺したい」でした。
そのあと、高校のときに村上春樹を紹介してくれた友人から、面白かったよと、「スプートニクの恋人」を借りて、読みました。
ノルウェイの森ほどではなかったけれど、やはり気分が悪くなりました。
以来、村上春樹の本には手を伸ばす気になりません。
私には向かない本のようだと思います。
話は戻って、台湾で村上春樹の発表をした友人は、
大学時代に私が「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読んでいるのを見て、村上春樹を読むようになったといってました。
なんと、きっかけを作ったのは私だったのですか!
彼に、
「村上春樹を読むと、主人公を絞め殺したくなるんだよね。」
と話すと、彼にはその理由がわかったようでした。
(さすが研究者!)
「それは不幸な出会いをしてしまったね~」
と言ってました。
彼によれば「ノルウェイの森」は、私みたいな思考をする人間には鬼門だとの事。
なるほど、そうかもしれない。
村上春樹の「喪失観」が色濃く出ている作品なのだとか。
彼の見解によれば、その「喪失」については、ノルウェイの森でかなり書ききったようで、その後の作品ではトーンダウンしているらしいです。
ノルウェイの森を読まなければよかった。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だけで終わっておけばよかった。
村上春樹の本はちょっとしか読んでいないので、えらそうなことは言えませんが、私が読んだ範囲での感想を書くならば、
彼の書く小説の主人公は、自分の人生が人より価値があって、自分だけは特別で、自分だけは人には理解できない苦しみの中にあって・・・・って、これでもかと。
彼の小説に共感できる人は、その主人公に共感できるのかな?
自分だけは特別で、自分だけは誰も理解できない悲しみを背負ってて・・・って。
嗚呼、気持ち悪い。
この世の中が、そんな人であふれかえることを想像するだけで、気分が悪くなる。
そんなことを追求しても不幸になるだけでは?
村上春樹一人がそのことを考えているのは、まぁ世の中いろんな人がいていいので、かまいませんが、あれだけベストセラーになると、怖いです。
みんなそんなに不幸になりたいの?
その不幸振りを鮮明にして、さらに傷口を大きくして、さらに怖いことにはその傷につける薬はないのですよ。
若い一時期にはそういう感覚ってあると思うけど、大人になってもそれを続けてるのはどうなのだろう。
村上春樹を好きな人はそういう観点では読んでないのかな?
台湾の村上ファンの友人も同席していたのですが、彼が一番面白いと思っているのも「「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だといってましたが。
私の村上観が変わるときまでの記録としてこの文章を載せておきたいと思います。