グーグルマップを眺めるのが趣味のワタシ、ある日の昼休み、お弁当食べながら眺めていて、気になる場所を発見。
ここです。
埼玉県深谷市櫛引というらしい。

防風林と思われる木々が規則的に並ぶ区画、新しく開発された土地なのは間違いないだろうけど、どんなところなのか?
調べてみると、耕作に向かない土地ということで、戦前まで周りの村々の共同入会地〜薪を刈ったりする場所〜とされて原野のまま残されてたようです。それが戦時中、陸軍の弾薬工場が疎開してきて、原野の中に350棟ほどの建物が建てられたんだそうです。
その後、昭和21年から、引揚者などを対象にした戦後開拓地として、開墾が始まったのだとか。
航空写真で見た防風林は、赤城おろしを防ぐためのものだったようです。
埼玉県の利根川から近いところで、交通の便も良さそうなのに、近代までほったらかしにされてきたことから見ても、よっぽど厄介な土地なんでしょうね。
で、お盆休みに熊谷の方まで行ったので、足を伸ばしてみました。
(Nさん、変な趣味に付き合っていただきありがとうございました。)

防風林

ちょうど畑は、端境のようで何も植わってなかった。

畑の中にポツンと残る、戦時中の工場建物。これはコンクリート作りだから残ってるけど、多くは木造だったと思われます。開拓はじめの頃は、開拓小屋として使ったのかもしれませんね。今に至るまで残してあるのは何故なんでしょうね。土地の人に聞いてみたいと思いました。

開拓地の中心にある記念碑。
これが建っている場所は、農協と地区の集会場がありました。
戻ってきて調べたら、NHKの小さな旅という番組で2014年にこの場所を紹介していました。オンデマンドで見られたので購入してみてみました。防風林は幅27メートル、原野に生えていた木々をそのまま残して作ったものだったようです。畑に残っていたのは「弾薬庫」だったようです。
ここです。
埼玉県深谷市櫛引というらしい。

防風林と思われる木々が規則的に並ぶ区画、新しく開発された土地なのは間違いないだろうけど、どんなところなのか?
調べてみると、耕作に向かない土地ということで、戦前まで周りの村々の共同入会地〜薪を刈ったりする場所〜とされて原野のまま残されてたようです。それが戦時中、陸軍の弾薬工場が疎開してきて、原野の中に350棟ほどの建物が建てられたんだそうです。
その後、昭和21年から、引揚者などを対象にした戦後開拓地として、開墾が始まったのだとか。
航空写真で見た防風林は、赤城おろしを防ぐためのものだったようです。
埼玉県の利根川から近いところで、交通の便も良さそうなのに、近代までほったらかしにされてきたことから見ても、よっぽど厄介な土地なんでしょうね。
で、お盆休みに熊谷の方まで行ったので、足を伸ばしてみました。
(Nさん、変な趣味に付き合っていただきありがとうございました。)

防風林

ちょうど畑は、端境のようで何も植わってなかった。

畑の中にポツンと残る、戦時中の工場建物。これはコンクリート作りだから残ってるけど、多くは木造だったと思われます。開拓はじめの頃は、開拓小屋として使ったのかもしれませんね。今に至るまで残してあるのは何故なんでしょうね。土地の人に聞いてみたいと思いました。

開拓地の中心にある記念碑。
これが建っている場所は、農協と地区の集会場がありました。
戻ってきて調べたら、NHKの小さな旅という番組で2014年にこの場所を紹介していました。オンデマンドで見られたので購入してみてみました。防風林は幅27メートル、原野に生えていた木々をそのまま残して作ったものだったようです。畑に残っていたのは「弾薬庫」だったようです。