動坂というのは、不動坂で、その“不動”とは、本駒込一丁目南谷寺の目赤不動尊でした。
2015. 6.20 雨曇子撮影
私たちは「動坂食堂」に入って、あなご丼( 1100 円)を食べました。
食堂を出て重いお腹をかかえて田端に向かいました。
田端駅前に出て文士村記念館を横目で見ながら「田端高台通り」に出ます。
「・・・田端までゆくと坂がきつくなる。のぼりきって台地に出ると、あたりに人家はすくなく、はるか北に荒川の川岸が望まれ、上り下りする白帆が空と水に浮かんでまるで広重の絵をみるようであった。」(司馬遼太郎「坂の上の雲」)
私たちは、人に尋ねながらこの高台通りを南に下りて、八幡神社と隣あわせた大竜寺に着きました。
「・・・このあたりはケヤキやカヤの老木が多く、とくに大竜寺の墓地の背後は鬱然としている。“あしが死ねばあの寺に埋めてくれ”と子規みずからがその菩提寺を選んだこの寺は、本堂がひどく田舎びて十間四方の大きな茅ぶきであった。墓地は本堂の向かって左横にある。子規の墓はその奥にあった。」(「坂の上の雲」)
(子規の遺言通り墓誌が刻まれています)
「正岡常規又ノ名ハ処之助又ノ名ハ升又ノ名ハ獺祭書屋主人又ノ名ハ竹ノ里人伊予松山ニ生マレ東京根岸ニ住ス父隼太松山藩御馬廻加番タリ卒ス母大原氏ニ養ハル日本新聞社員タリ明治三十 年 月 日没ス享年三十 月給四十円」
「アシヤ自分ガ死ンデモ石碑ナドハイラン主義デ、石碑立テテモ字ナンカ彫ラン主義デ、字ハ彫ツテモ長タラシイコトナド書クノハ大嫌ヒデ、寧ロコンナ石コロヲコロガシテ置キタイノジヤケレドモ、万一已ムヲ得ンコトニテ 彫ルナラ別紙ノ如キ者デ尽シトルト思フテ書イテ見タ、コレヨリ上一字増シテモ余計ジヤ」(「坂の上の雲」より引用)
7 年前の N H K スペシャルドラマ「坂の上の雲」を思い出しながら帰途につきました。